歓迎の夜
なんだかんだで十六時だから宿に行くのだろうけど。
「風香の実家や」
そうなんだ。ご迷惑にならないかな。
「たっぷりご迷惑をされとるからエエやろ」
来居港は知夫里島の玄関口だけど、ここが知夫里島の中心地ではない。どうも無理やり作ったフェリーターミナルみたいな感じで、こんな島にループ橋みたいなものがあり、そこから軽く山をこえた村役場もある湾に面したところが島の中心部になる。
「言うても五百人ぐらいの島やけどな」
それでも中心部には知夫漁港もあり、漁業だけでなく日常品の搬入も行われているそう。とりあえず行ったのはコトリの趣味。
「天佐志比古命神社でこれも一之宮や」
鳥居の額に一宮神社って書いてあるものね。水若酢神社、由良比女神社に続いて隠岐一之宮三社制覇だ。あれ、中ノ島には一之宮はないの?
「フェリーの時刻の兼ね合いで行かへんかったけど宇受賀命神社があるねんけど・・・」
ここも創建年代が不明なぐらい古くて、続日本紀に水若酢神社、由良比女神社と並んで官社になったと記録され、延喜式にはその三社に加えて伊勢命神社の四社で式内大社にされてるのよね。
「そやけど一之宮とは呼ばれてへんねん。それ言い始めたら天佐志比古命神社は名神小社やからな」
これは古代の郡制になるのだけど、
東島後・・・・・・・・・・・・・周吉郡
西島後・・・・・・・・・・・・・穏地郡
中ノ島・・・・・・・・・・・・・海士郡
西ノ島、知夫里島・・・知夫郡
こうなってたんだよね。続日本紀で官社になったのは、
穏地郡・・・水若酢神社
海士郡・・・宇受賀命神社
知夫郡・・・由良比女神社
島後もツーリングしたから良く分かったけど、東島後になる周吉郡は山が迫って平地が乏しくて寒村ぐらいしかできないところなんだ。だから古代から穏地郡が中心になってるのはよくわかる。
中ノ島や西ノ島はどうだと言われると辛いとこもあるけど、島として独立しているから、基本は同格で『我こそは一之宮』になりそうだけど、宇受賀命神社はなぜかそう呼ばれなかったぐらい。理由は不明としか言いようがない。
「そやけど天佐志比古命神社はなんとなくわかる気がする」
これも島前に残る伝承だそうだけど、由良比女神社はもともとは知夫里島にあり、これを西ノ島に移したとされてるんだそう。移ったおかげで西ノ島にイカが押し寄せるようになり、逆に知夫里島にはイカが来なくなったとか。
「由良比女神社はよほどイカにこだわる神様やったみたいで、知夫里島におった時もイカ浜に神社があったとなってるぐらいや」
イカはともかく一之宮であった由良比女神社を引き抜かれた知夫里島は代わりに天佐志比古命神社を一之宮にしたんじゃないかって。これはなんとなくわかりそうな話だよね。おらが島の一之宮って感じで今に至るみたいなお話。
これはコトリもさすがに自信がないと言うか、思い付きに過ぎないとしてたけど、知夫里島と西ノ島は知夫郡なのよね。理由はこれだけに過ぎないけど、古代では西ノ島より知夫里島が栄えてて西ノ島を支配下に置いてた時代もあったんじゃないかって。
その力関係が逆転して知夫里島の由良比女神社を西ノ島に遷したのかもしれないってね。古くて遠すぎて、そんな記録は失われてしまってないのが古代ロマンかな。
「もうちょっとイカにこだわったら、かつては知夫里島の浜にイカが押し寄せる時代があって、これを由良比女の御神徳として祀ってたんちゃうか。これが海流の変化で西ノ島のイカ寄せ浜に変わったから、神社ごと移転してもたんかもしれん」
あははは、それ面白い。イカが集まるところに由良比女様ありよね。この隠岐の一之宮がたくさんある理由として他に考えられそうな説もコトリは考えてた。
「出雲から舟で来るやんか・・・」
隠岐は出雲からも遠いのよね。だから後鳥羽上皇も中ノ島の崎港から上陸しているし、
「後醍醐天皇も知夫里島の仁夫や」
やっと島が見えたから上陸したって感じで良いはず。それぐらい古代の海路は危ういものだったと見て良いはずなんだ。そうなると赴任した国司もダイレクトに島後の国府に行くケースなくて、島前でまず寄港してから島後に渡るルートを取ったはず。
なおかつみたいな話だけど島後から島前も遠いのよ。国司だから国府には行くけど、一度島後の国府に入ったら、島前には出来るだけ渡りたくないはず。京都の貴族だものね。国司が国内の神社を順番に参拝するのは、
「ある種の地方巡察みたいなもんやろうけど」
隠岐の場合は海路になるから忌避されそう。そこでって訳じゃないけど、島前に寄港している間に参拝しておこうはありそうな気がする。これは国司としての参拝の意味もあるけど、無事島後に渡れるようにの祈願もあるはずだものね。
「結果として国司が隠岐に来てから一番に参拝するから一之宮や」
こんな遠くて小さな国だから、ここへの国司は京都貴族にとっても罰ゲームみたいなところはあったんじゃないかと思ってる。まあ遠流にされる島の国司が嬉しいわけないものね。だからかもしれないけど歴代国司で有名人は少ないのよね。
「そやな強いていうたら平正盛ぐらいや」
これも誰だって人物だけど平忠盛のお父さんで清盛の爺さんに当たる人物。歴史上では源義親の乱を鎮圧したことで名を残しているけど、
「正盛が義親に勝てるものかって当時の貴族の日記にも書かれているぐらいや」
そのせいか打ち取られたはずの義親がその後も騒ぎを起こすなんて事になっている。それはともかく義親征伐の恩賞として但馬守になったのが一一〇八年なんだよね。それ以前の官歴は、
一〇九七年・・・隠岐守
一一〇一年・・・若狭守
一一〇二年・・・若狭守重任
一一〇七年・・・因幡守
因幡守になったのは後の大抜擢の布石だと思うけど、若狭守重任は、
「コトリもそうやと思うてるし、そう考えとる歴史学者も多いわ」
若狭と言えば敦賀になり海運の昔からの拠点だものね。
「敦賀は若狭やない越前やから関係あらへん。せいぜい隣国やから横目で見とったぐらいや。それに北前船の時代には遠すぎるからな」
たしかに。正盛が得た経験としては隠岐までの長距離航海ぐらいかもね。そのせいか隠岐に正盛の『ま』の字も残っていないもの。ひたすら都に帰る日を待ちわびて暮らしただけだったんだろうな。
知夫里島の一之宮の参拝を終えて風香の実家に行ったのだけど、大きな家だね。お屋敷って風格じゃないけど、田舎の農家って感じが溢れてるぐらい。
「お世話になります」
なんか恐縮してしまいそうなぐらいの歓迎だ。
「客やからな」
そう言ったらそれでだけど、田舎の人は親切だと都会に人は無邪気に信じ込んでる人も少なくない。これも間違いとは言い切れないけど、余所者が歓迎されるのはあくまでも客である時なんだよ。お客さんなら歓迎してくれるけど、そこに住むとなると話は変わる。
「あれかって別に田舎だけの話やないんやけどな」
まあね。例えれば転校生がイジメに遭うようなもの。転校生がすべてイジメに遭うわけじゃないけど、そうだね、転校生なのにエラそうな顔したり、ましてやその地域のローカルルールを無視しようものなら、
「総スカンを喰らう」
郷に入れば郷に従うとは良く言ったもので、会社だって新入りが秩序を乱せばバッシングされる。なにか意見を出したいなら、まずそこでのルールを覚えて、仲間として認められてからになるのはどこでも同じだと思う。
そんなことはともかく、とりあえずお風呂を頂いたんだけど、夕食は庭でバーべキューか。それも近所の人まで呼んでの宴会だね。ここでは風香は大スター扱いだ。そりゃ、そうなるはず。隠岐出身の有名人で風香に肩を並べられるのが思いつかないぐらい。
それにしてもリッチだよ、隠岐牛に、アワビに、サザエに、岩牡蠣に、エビに・・・隠岐に来てから食べたものだけど、こうやって外でバーベキューで食べたら一味も二味も違う気がする。夕方から始まったんだけど日が落ちると、
「満天の星空なのも贅沢やな」
ツーリングでもこんな星空を楽しめる機会は少ないものね。飲めや歌えの宴会気分も楽しいな。
「イカも美味いな」
隠岐のイカは白イカだけど刺身でも焼いても美味しいもの。他にもあれこれ郷土料理みたいなものが出て来たけど大満足だ。こういう料理は旅館とか食堂じゃ食べられないものね。それでなにかわかったの。
「なんとなく程度やけど、風香に聞かんと最後のとこがわからん」
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