閑話 香木原千明は後悔する

 あれは俺──香木原かぎはら千明ちあきが中学生の時だった。


「悪い千明……今日は早く帰らなきゃいけなくて……」

「ああ」

「あー……千明。俺もあまり遅くなるなって親から言われてて……」

「ああ」

「千明、俺も────」


 三年生が引退して、二年生がいないバスケ部は、俺たち一年生が主力となっていた。そんな中、俺は部活の練習が終わったあとも自主練をしていて、チームメイトも一緒に自主練をしていたが、それはほんの一週間ほどだった。


「片付けも、モップがけも俺がやっておくから気にしなくていい」

「ああ、悪いな」


 そう言って、殆どの人が体育館から立ち去っていくと、急に孤独を感じる。


「別に無理に合わせなくてもな。俺は好きでやってることだし」


 思わず、吐き捨てるように呟いた。だが、体育館にはまだボールの弾む音が響いていた。音のした方を見ると、一人でただただ夢中に、スリーポイントのシュート練習をしている男子がいた。


依河よりかわくんも帰っていいんだよ」


 どうせこいつもやる気があるのは今だけなんだろう。そう思って声を掛けた。


「え、もう終わり?」

「いや、俺はまだやるけど」

「じゃあ俺も残るよ。片付けとかしなきゃだし」

「みんなは帰ったよ」

「え!?」


 行人ゆきひとは振り返って俺の方を向くと、周囲を見渡した。


「本当に居ねぇ……」

「だから帰ってもいいよ」

「いや、もう少しやらせてよ。結構入るようになってきたんだ」


 そう言って行人はゴールに向き直ると、シュートを放つ。綺麗な放物線を描くそれは、初心者にしては綺麗にゴールに吸い込まれていった。


「なんか右に三歩歩いたくらいのところが一番入りやすいんだよなー」


 行人は籠から新しいボールを取り出して呟いた。俺はそれを見て……


「ずっとおんなじ場所で打ってたら練習にならないだろ」


 少し強い言葉で言った。


「え?」

「試合でもわざわざそこに立って打つのか?」

「それは……」

「そもそも、そんなに悠長に打てるわけもないだろ。というか、依河くんはまだドリブル下手なんだから、特に左手がぎこちないしまずはそこから──」


 なぜだかイライラして、殆ど八つ当たりに近い言葉を投げる。


「……確かにそうだな」


 意外にも、行人は俺の言葉をすんなり受け入れた。それでも、俺はまだ依河行人という男を信じられなかった。


「……依河くん、一つ提案があるんだけど」

「ん?」

「朝練。しないか?」

「朝練?」


 どうせ行人もやる気があるのは今だけで、すぐに自主練もやらなくなるだろ。俺はそう思っていたのに、結局あいつは、三年間一度も休むことはなかった。






「おい! 千明!」

「ん?」


 行人の声にハッとして顔を上げる。

 第二体育館は教室から遠いこともあって、昼休みに利用する人はすくないが、今日は他に誰もいなく、完全に貸し切り状態だった。


「ん? じゃねーよ。話聞いてたか?」

「聞いてた聞いてた。次の授業が教室移動になったって話だろ」

「教室の場所も?」

「もちろん」

「ならいいけど」


 行人は呆れたように目を細めると、体育館の隅に教科書と筆箱を置いた。やけに見覚えがあると思ったら俺の筆箱だった。


「これ、置いとくぞ。どうせギリギリまで練習するんだろ」

「練習なんて立派なもんじゃないけどなあ」


 制服のブレザーは脱いでいるが、汗をかくほど激しい動きをするつもりはない。ただボールをついて、ドリブルして、シュートしているだけだ。

 ふと、手に持ったボールを見つめる。

 

「ゆきんちゅ」

「ん?」


 俺は持っていたバスケットボールを行人に向けてパスする。


「暇なら付き合い」

「…………」


 行人はしばらくボールを見つめたあと、片脇に担いでブレザーの脱ごうと、空いてる方の手をボタンにかける。

 しかし、その手はボタンを外すことなく止まり、ボールを持ち直して、俺にパスを返してきた。


「いや、今日はいいや」

「なーんでよ」

「気分じゃない」

「……『気分じゃない』ね」

「そもそも俺は自分の教科書置いて来たからな」

「それもなんでだよ。効率悪い立ち回りしてるな……」

「自分のこと完全に忘れてた。ってことで俺は教室に戻る」

「あいよ」


 そう言って行人は体育館から出ていく。その背中を見送って少し胸が痛くなる。


「後悔……か?」


 行人がいなくなった後に小さく呟いた。

 

 中学最後の試合。途中から試合に出た行人に俺はパスをして、シュートを打たせた。けれど、そのシュートは外れて、結果的にその最後の試合は一点差で負けた。


 一点差だ。バスケは基本的シュート一つで二点入る。それなのに、俺は行人にパスをした。あいつが得意としている場所に立っていたのもあるが、あの時は行人にシュートを打たせたかったんだ。でも、あそこで俺がパスを回さなかったら、俺が強引に二点取れば勝てたのに……


 行人はあのシュートを外して、心が折れてしまったのかもしれない。誰よりも練習していたはずなのに、一番大事な場面で外してしまった責任。もしそうなら、俺がパスをしなかったら……


「今もまだ……」


 言っても仕方ないのに、未だにそんなことを考えてしまう。

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