第4話

「俺、男になんて興味ねぇんだけど」


 やることやっといて何をいまさらと思ったかもしれないが、それは事実だ。俺はゲイでもバイでもない。女が好きだ。彼女だっていた。いまはいねぇけど。


「私だってそうですよ」


 隣に寝転んだまま、ちょっと眠そうな顔をして瞼をこする門別は、なんかそういう絵でも見てるみたいだ。なかったっけこんなの。『事後の女神』とかそんなタイトルのやつ。ねぇか。


「ゲイのつもりもバイのつもりもなかったです」

「マジかよ。ここまでさんざんやっといて」


 いつの間にやら敬語は取っ払ってた。ショック療法ってやつかもしれない。


「普通に彼女もいましたし」

「やっぱいたよなぁ」


 これだけのイケメンだ。女の方がほっとかないわな。


「だけどなんか、のこと、好きになっちゃったみたいで。この年になったら味覚も変わりますしね」


 何だよ。何でここで名前で呼ぶかな、あんた。

 白くて細い指で、つぅ、と首筋をなぞる。そこにあるのは、俺がついさっきつけたばかりのキスマークだ。うわっ、何であんなにつけてんだよ俺。歴代の彼女にだってそんなんしなかっただろ。いや、確か最初思いっきり付けたらマジで切れられたんだった。それで俺はつけなくなったのに、ある日脱がせたら、全く身に覚えのないキスマークつけてたんだよな、あいつ。それで別れたんだっけな。あークソ、嫌なこと思い出した。

 

 そんな胸糞悪い思い出とセットのはずなのに、門別は、どういうわけだか、それを殊更愛おしげになぞるのだ。それこそ、大切な思い出のように。前の彼女の時はあんなに気を遣ってたのに。理性を飛ばしてしまわぬようにと必死だったのに、そんなこと、考える余裕もなかった。無我夢中だったのだ。そんなセックス、何年ぶりだ。保健室でのあの姿も脳裏に浮かんでしまって、下半身に再び血が集まって来る。馬鹿野郎、今日一日で何回やるつもりだ。しかも相手は男だぞ。落ち着け、酒のせいだ。たぶん。俺、酒は強いはずなんだけど。


 落ち着け落ち着けと己に言い聞かせていると、


「嗜好って、固定しない方が人生楽しいと思いません?」


 そんなことを言って、門別が俺の背中に手を伸ばしてきた。


「この季節で良かったです。プール授業があったら、生徒から質問攻めだったでしょうから。私としたことが。あとで消毒しますね」


 プール? 養護教諭のあんたに何の関係があるってんだ。

 そう思って、軽く首を傾げる。と、俺の背中に門別の指先が触れ、チリっとした痛みが走る。


 え、何。引っ掻かれた? 引っ搔いたのかよ、あんた。しかも、消毒が必要なレベルでやったのかよ、おい、加減しろよな! そりゃそんなん学生共あいつらに見られたら何言われるかわかったもんじゃねぇわ!


 いや、加減出来なかったのか。そんな余裕もなかったのか。

 

 鬼のように強かったあんたが。

 柳のように、しなやかに受け流すあんたが。

 曲がりなりにも養護教諭であるという立場も忘れて、消毒が必要になるほどに爪を立てたのか。


 あんたも所詮は人間なんだな。

 ただの男なんだな。

 

 そこに思い至ったら、あとはもう、何かが弾けてしまったらしい。


 薬箱持って来ます、と起こしかけた身体を組み敷いて、華奢な鎖骨に嚙みついた。といっても、もちろん血がにじむほどじゃない。まだそこまで俺の理性は飛んでない。


「……どうしました、太一君」


 どうしたんだろうな、本当に。

 俺は、ゲイでもバイでもないんだけど。

 あんたの言葉を借りりゃあ、「なんか好きになっちゃったみたいで」ってやつなんだろう。この年にもなりゃあ味覚も変わるしな。


「もう一回、します?」


 俺の下で、その小綺麗な顔をちょっと歪めて笑う。


「……する」

「さすが、若いですね」

「一つしか違わねぇだろ」

「消毒は?」

「後でまとめてで良い。どうせまたつけんだろうし」

「わかりませんよ? さすがに私だってそう何度も――」

「そんじゃ手加減しねぇから、せいぜい頑張れ」


 それだけ言って、口を塞いだ。



 そんでその後、「な?」と勝ち誇ったように言って、より酷くなった背中の消毒をしてもらったわけだが、その時の、悔しそうに下唇を噛んでいる門別が、不覚にもちょっと可愛く思えてしまったのだ。


 たぶん、そのせいなのだ。


「えっと、付き合う、すか」


 そんな言葉がつるりと出たのは。


「は?」


 うっわ、結構酷いですね、なんて言いながらちょいちょいと消毒していた門別が、脱脂綿をぽろりと落とした。さすが養護教諭は自宅の薬箱にも脱脂綿とか常備してんのか、なんてちょっと感心する。


「いま、なんて言いました?」

「え、いや、だから、付き合いますか、って」

「誰と誰が」

「や、だから、俺と、門別さん、が」

「え」

「あれ? 違うんすか? 俺のこと好きになったとか言ってませんでした?」

「言いましたけど」

「俺も何か味覚変わったかもなんで、あんたのこと、ちょっと好きになっちゃったかもしんねぇっす」

「太一君、ちょっとちょろ過ぎません……?」

「そっすか? いや、別に嫌なら良いんすけど。俺はまだ引き返せるっていうか、ただの同僚ってことでも」

「嫌じゃないです。嫌なわけないじゃないですか」


 何も挟まれてないピンセットを持ったまま、後ろからぎゅうと抱き締められる。背中には触れないよう、わずかに隙間をあけて。


「それじゃあ、太一君のこと、恋人と思って良いですか」

「……ウス。俺も、そう思うことにします」

「今日、このまま泊っていきます?」

「そっすね。さすがに疲れました。あぁでも、もう無理っすから」

「わかってますって」


 でも、キスくらいなら良いでしょう?

 

 尋ねた癖に俺の返事も待たず、無理やり後ろを向かされ、強引に唇を奪われた。気持ちは盛り上がったが、やはり身体はついて来ず、その日はやけにチリチリと痛む背中に耐えつつ眠りについた。

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