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妊娠適正年齢は、二〇歳から三五歳までと言われている。実際はその年齢を過ぎても子供を産む女性は多いが、出産に際してのリスクが高まるから、女性はこの適正年齢中に子供を産み続けるのが望ましいとされている。
そしてまだ体が出来上がっていないうちに妊娠をすることは、出産時のリスクが高まることから政府によって非推奨とされている。だから二〇歳未満で結婚をした女性は、二〇歳の誕生日を迎えるまでは、性交渉をしても子供が出来ないように避妊するのが望ましいとされている。
ゆえに二〇歳を迎える既婚女性の誕生日は、自然と「子作り解禁日」と同義となっていた。
もちろん、「子作り解禁日」のことをハルが忘れていたなどということはない。ただ、ユーリが帰れるかもしれないという出所不詳の噂話に一瞬気を取られていただけだ。
ユーリも、ハルとアンジュを含めた夫たちも、全員生殖能力に問題がないことは医療機関のチェックを受けて確認済みだ。子育てするにはちょうどいい、庭つきの広い家も買った。経済的にも今のところ不安はない。夫たち同士の関係も、悪くはない。
不安があるとすれば、それはユーリが元の世界に帰れるという選択肢を与えられたとき、どういった振る舞いをするか――くらいである。
ハルはつい先ほどまで、あの広い家がこれから少し騒がしくなる未来しか思い描けていなかった。今は逆に、あの家が寒々と沈黙する姿ばかりが脳裏をよぎる。
なにごとにも相性というものがあるが、四人も夫がいればだれかひとりくらい、ユーリと相性のいい人間はいるだろうと――ユーリは、その体に四人のうちだれかの子を授かるのだろうと、当然のように思っていた。
ハルはアンジュを見やる。「子作り解禁日」の話を振ってきたからには、まだ彼はユーリが元の世界へ帰れるかもしれないという噂話を知らないのだろう。しかしわざわざ不確定な情報を言ってやるのも気が引ける。
特にアンジュはユーリに心酔し、信奉しているところがある。崇拝と言ってもいいかもしれない。それは、アンジュの育ちにかかわる根深い理由のせいだ。アンジュはユーリを崇拝することで、心の平衡を図っているところがある。
そんなアンジュに、ユーリがいなくなる可能性について少しでも話すのは、危険だろう。彼の精神状態は間違いなく不安定なものになる。そうなると、なにをしでかすかわかったもんじゃない。
ハルはそれを見越して、未だうわの空ながら、アンジュの話に乗った。
「来月、誕生日なのを忘れたわけじゃない」
「当たり前です! 妻の誕生日を忘れるだなんて、夫失格ですよ」
「だーかーらー忘れてねえって。……んで? お前はなに考え事してたわけ?」
「順番についてです。まだ、そういう話はしていなかったでしょう?」
「順番、ね。色々あるけど?」
子作りの順番、子供が出来る順番――。ハルの頭の中で、様々な可能性が回る。
ユーリは処女だ。男性経験がまったくない。元の世界では女子校に通っていたこともあって、同年代の男と親しくはしてこなかったし、恋人も、好きなひともいなかったとは本人の弁だ。
そんなユーリに初っ端から無茶はさせられないだろう。一度に何人もの男の相手をすることが出来る女もこの世にはいるが、ユーリに最初からそういう素養を求めている夫は、四人の中にはいない。となると、常識的に考えて、一晩ひとりが限度だろう。
子供だって、母体の負担がどれほどかは個人差によるところが大きく、予測が難しい。だから将来的に子供を何人儲けるかは今のところ未知数だった。
「全部です。全部。しかし、さしあたっては誕生日の夜にだれがお相手を務めるか――ですかね」
「……最初は肝心だな」
「そうです。ユーリさんが苦痛や恐怖を感じるのは、あってはならないことですから」
ユーリが処女なら、ハルとアンジュは童貞だ。当たり前だが、星の数ほどの男が有り余っているこの世界において、女性経験をする機会というものはまれである。男性相手に、というのも珍しくはないが、あいにくとハルもアンジュも異性愛者で、そういう経験はなかった。
「じゃーなんだ。お前はミカかエルンストが最適だって考えてるわけ?」
「エルンストさんは論外です。さすがにユーリさんの誕生日には戻ってくるでしょうけれど……あんな、ちゃらんぽらんなひと」
アンジュはハルとソリが合わない一方で、エルンストのことは信用ならないと思っているフシがある。要は一方的に猜疑の目で見ているのだ。エルンストはああいう性格だから、アンジュの目などまったく気にしておらず、今にいたる。アンジュはその育ちのせいもあって妙に潔癖なところがあるから、仕方がないと言えば仕方がない。相性が悪いのだ。
「じゃあミカか?」
「どう考えてもミカさん以外にいないと思いませんか? ミカさんは結婚経験もあり――……それは、まあ、失敗しましたけど……でも、ミカさんが一方的に悪かったわけじゃないわけですし。それで、女性経験がちゃんとあるんですから。僕たちと違って。それならミカさんが適任だと思いません?」
ミカは、ハルやアンジュより年上の二五歳。欠点と言えば離婚歴があることくらいで、王都のメインストリートの近くにファーマシーを持っているし、一家の中でも頼られる、大黒柱的存在だ。見た目も所作もスマートで、性格面もおおよそ悪く言う人間はいないだろう。いるとすれば、ミカの元妻とその夫たちくらいのものだ。
けれど、ハルは面白くない気持ちになった。頭ではアンジュの結論を適切だと処理する一方、心情面では受け入れがたかった。ユーリと最初に結婚したのは自分なのに、と思ってしまう。
けれどもそれはなんとも幼い考えだということも、またハルは理解している。
ユーリは、夫たちの優劣をつけないと言った。ハルたちはそれを受け入れて、上手くやって行けている。そこへ最初に結婚したという事実を振りかざし、癇癪を起こして波風を立てるのはダメだということは、ハルもちゃんとわかっていた。
わかっていた。わかっている。けれど――。
「……お前は何番がいいわけ?」
ハルはわざと話をそらした。アンジュはそれに気づいているのかいないのかわからない態度で答える。
「僕は何番でもいいですよ。なんだったら、順番が回ってこなくても」
「は? 正気か?」
さすがにアンジュのこの返答は予測できておらず、ハルは心底おどろいた。それに対し、アンジュは淡々と答える。そんな態度から、今ひねり出した答えではなく、前々から心に決めていたのだろうことが察せられた。
「僕はユーリさんに献身できるのであれば、自分の血が残せるかどうかなんてどうでもいいんです」
「……ああそうかよ」
「……ハルさんは違うでしょう?」
「当たり前だ」
「なら、順番は譲りますよ。ハルさんとは常々ソリが合わないと思っていますが……たとえハルさんの血が入っていようと、親と子供は別ですし。ユーリさんの子供なら、みんな可愛いでしょうから」
アンジュはそう言って微笑んだ。無意識のうちにこぼれた笑みかもしれなかった。彼は待ち遠しいのだ。だれが父親であれ、ユーリの子であるのならば、彼は心の底から慈しみ、無償の愛を注ぐのだろうということがうかがえた。……ハルの母親や、アンジュの親とは、違って。
ハルは今ばかりは、アンジュのその純真さがうらやましく思えた。
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