第10話 過去の因縁

 少しずつ雪の勢いは落ち着いてきている。静かな夜に、桃谷屋の主人の落ち着いた声が響いていく。


「あれは、私がまだ若旦那と呼ばれていた十代の頃」


 桃谷屋が話し出したのは、彼がまだ若い時の出来事だ。それはもう二十年以上前。

 ある時、使いに出ていた彼が店に戻って来ると、店の中が何やら騒がしかった。


(一体何が……)


 店の前には、若旦那と同じく店内が気になった人々が集まって来ている。その人だかりをくぐり抜け、彼は人々の前に出たことでようやく現状を理解することが出来た。

 そして、絶句した。


「えっ」


 店の中では、見たこともない男たちが暴れていた。美しく染められた布地が地面に転がって汚れ、踏みにじられて破れている。奉公人たちが怯え、番頭が何とか彼らを止めようと掴みかかり返り討ちに合ってしまった。

 ガッシャンという音に、女性客の間から金切り声が上がる。

 若旦那は突発的に飛び出し、番頭を抱き起した。


「番頭さ……っ」

「坊ちゃん、お逃げく……」

「何だぁ、貴様? 何モンだ?」


 あぁん? そうガンを飛ばしながら、着物を着崩した男がガニ股で近付いて来る。着物は着古されたのか所々擦り切れ、髪も真面に結われていない。服装からしても、気質かたぎの者ではないのだろう。彼の他にも数人の男が店内にいて、思い思いに店の物を転がしたり弄び投げつけたりしていた。

 ニヤニヤと黄ばんだ歯を見せて笑う男を前にして、若旦那は怯えを超えた怒りが沸き起こる。それは幼い頃から共にいた番頭を傷付けた相手への怒りであり、両親が大切に守っている店を荒らされたことに対する怒りでもあった。


「……れ」

「は? 聞こえねえな?」

「――っ。謝れよ! 番頭さんを傷付けて、店を荒らして、謝るのが人の筋ってもんだろう!? 番頭さんが……この店が……何で傷付けられなくちゃいけないんだ!」


 それは、普段の若旦那が発するとは思えないような言葉だった。いつもの彼は、温厚で柔和な笑みを絶やさない青年で、怒ったところを誰も見たことが無いという専らの噂だ。そして、それは噂ではなく真実である。


「若旦那、さま……」


 だからこそ、番頭は己の傷の痛みを一時忘れるほどに驚いた。つ、と液体が流れる感覚が戻って来たのは、着崩れた男が若旦那を突き飛ばした時。己の「若旦那様!」という声を聞き、我に返ったのだ。


「若旦那様!」

「うっ……」

「成程な、お前がここの若旦那か!」


 若旦那を殴り、倒れ伏している少年を見下ろした男は高笑いした。


「お前を探していたんだ、若旦那。オレの雇い主が、お前を捕らえて殺して来いって命じてきたんでな。お前の命、ここで頂戴しようかねぇ?」

「――はあっ!?」

「なんと……」


 若旦那が叫び番頭が息を呑む。黒山の人だかりからも悲鳴が上がり、誰かが岡っ引きを呼びに行く足音がした。

 その後すぐ、表から騒がしい声が複数聞こえて来る。それが顔見知りの岡っ引きたちの声だとわかり若旦那はほっと胸を撫で下ろした。


「来て、くれたか……」

「桃谷屋さん! 無事か!?」

「――チッ。今度はこうはいかねえからな」


 岡っ引きの声を聞き、男は舌打ちをすると仲間たちに「出るぞ!」と号令をかける。その言葉を合図に、男たちの野太い声が若旦那の耳を刺激した。彼らは野次馬の人波をかき分け蹴り倒して外へ走り出て、居合わせた岡っ引きたちの追走を振り切って行ってしまう。

 子分たちに襲撃者の捜索を命じた岡っ引きの親分は、呆然として立てないでいる若旦那のもとへと走り寄って来た。


「若旦那! 番頭さん、額に怪我してるじゃないですか!」

「私のことは良い。これくらいは軽いものだ。それより、若旦那を」

「わかったぜ。ところで、大旦那様はおられますかえ?」

「あ、ああ。奥におられるはずですよ」

「承知した」


 ごめんなさいよ。そう断り、親分は若旦那を肩に担いだ。まだ十代の少年を運ぶのに、親分はそれが最も簡単だと判断した。若旦那も抵抗せず、素直に運ばれていく。


(弱りましたな。……まさか、坊ちゃんを狙って来るとは)


 ため息をつき、番頭は額の傷から流れる血を手拭いで拭き取った。そして、不安そうな顔で店の中を覗いている人だかりに対し、精一杯の笑みを向ける。


「お騒がせして、申し訳ありません。これから片付けをし、皆さまを迎えますのでもう少々お待ち頂けますか?」


 番頭の声掛けを聞き、野次馬たちは各々店へのいたわりの言葉をかけて去って行く。その声を遠ざかりつつ聞きながら、若旦那は考えに耽っていた。


(あの者は、私を殺せと命じられたと言っていた。……一体、誰に?)


「着きましたぜ、若旦那」

「あ、ああ。ありがとうございます、親分」


 思考が切られたのは、大旦那である若旦那の祖父の部屋の前に来た時だった。親分が襖越しに声を掛けると、中から低い祖父の声が聞こえる。


「南町の親分さんか。どうぞ入ってくれ」

「失礼しますよ」

「おじい様……」

「……そうか。会っちまったのかい」


 ため息をつき、大旦那である祖父は孫と親分を手招く。そして、表の出来事の一部始終を知ると目を閉じた。


「お前には、そろそろ知っておいてもらわねばなるまいか」

「何を、でございますか……?」


 若旦那が怖気付きながらも尋ねると、祖父と親分は目を合わせ、頷き合う。先に口を開いたのは祖父だった。


「表の騒ぎに関する、この家との因縁だよ」

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