第9話 子爵からの仕事

 農園に行った二日後、アーレはエッフェンベルガー子爵家を訪ねた。

 いつものように乗合馬車に乗り、子爵家の裏口からメイド長のリーレさんを呼ぶ。

 リーレさんにいつものように奥の部屋に案内され、そこで来訪者にふさわしい服に着替える。エッフェンベルガー子爵の令嬢が昔着ていた服らしい。

 手に入り込んだ汚れや日焼けは隠しようがないものの、身なりを整えられ、子爵の待つ部屋に案内された。


 今日は写本十ページ分と挿絵一枚を持ってきた。農園の仕事が入るようになったので、いつもより少なめだった。

「いつも丁寧な字だね。この葉の色使いもいい」

 子爵に褒められ、少し照れながらも

「ありがとうございます」

と、控えめの笑顔で平静を装って礼を言った。

「これは預かるよ。文字の方もこのまま続けて」

「承知しました」


 原稿の確認が終わるとお茶とお菓子が用意され、その月にあったことや世間話などをする。

 この仕事を始めて一年半になろうとしていた。

 仕事を受ける上で、直接子爵に会っての納品と月の報告は必須条件だった。

 農園の仕事が入るまでは、休日の市とこの仕事の納品以外で外出することはほとんどなく、王城の城下町にはこの仕事がなければ足を向けることもなかった。おかげで初めて農園に向かうときも、ちゃんと王城に向かっていることを確認できた。

「今日も魔法の実を持ってきてくれたんだね。いつもありがとう」

「いえ、私からお渡しできる物は、これくらいしかありませんから」

 初めは緊張した子爵との会話もずいぶん慣れてきた。慣れたからこそ、うっかりすることのないよう、特に言葉遣い、姿勢には気を配っている。昔学んだことをを思い出しながら。


「そう言えば、王城で魔法の実を栽培していると聞いたな」

「ちょっと、訳あってお手伝いしています」

「ほう、君が?」

 森の引きこもり農民が王家の事業に関わっていると聞き、子爵は興味を持ったらしい。

「君を外に引きずり出したのは、誰かね?」

「アルトゥール・ガルトナー様です」

「ガルトナー。…ああ、ガルトナー家の次男か。そう言えば、第二王子の衛士をしていたか」

 そのあたりはアーレには初耳だった。

 仕事を持ってきた人で、王城の関係者なのは知っていたが、あえてどんな身分の人かまでは聞いたことはない。聞いたところで遠い存在なのは間違いない。少なくとも、馬に二人乗りできるような立場ではないだろう。にもかかわらず、世話好きなのか、物好きなのか、面倒を見る覚悟を持っているらしく、今週も農場への送り迎えをしてもらっていた。

 結構自由にさせてもらえるので、荷馬車を貸してもらえるようになってからは行きはアルトゥールが、帰りは自分が馭者になって、片道一時間ほどの道を移動している。

 思えば、アルトゥールの名を直接呼ぶことはないが、呼び捨てでいい訳がなかった。

「ガルトナー家って、高貴なお家なのでしょうか」

「君はこの国の貴族のことをよく知らないのだったな。ガルトナー家は伯爵家だ。アルトゥール・ガルトナーは伯爵家の次男で、なかなか腕の立つ衛士だ」


 伯爵家、と聞いてアーレの心が萎えた。

 もう、ため口で話せない。

 送り迎えしてもらうなんてもってのほか。自力で出勤できる手はずを整える必要がある。

 馬やロバはすぐには飼えないが、今日ここに来たように乗合馬車なら使える。少し遅くなるかもしれないけれど、乗合馬車で通っていいか聞いてみなければ、とアーレは思った。

「そ、そうなんですか。最初は市にお客さんとして来ていたので、普通に、敬語も使わずしゃべってました。…不敬ですよね」

「本人が気にしていないなら、問題はないだろう。農園の仕事は忙しいかね?」

「いえ、週に二回、送迎、お土産付きなので、かなり恵まれていると思います。ご結婚の披露宴の食材とされるようですので、三ヶ月だけの条件で」

「ふむ」

 子爵から特に駄目とは言わなかったので、アーレはほっとした。

 日々の話をしていても特に指図されるようなことはなかったが、子爵家以外で働き始めたことを止められる可能性はあると思っていた。しかし、考え過ぎだったらしい。

「まあ、無理のないように」

 子爵からのねぎらいの言葉に、アーレは頷いた。


 次の仕事のための画材と、お土産に紅茶の茶葉とお菓子を頂き、着ていた服を返して、いつもの自分の服に戻る。

 髪だけがきれいにまとめられていて、着古されて継ぎまである自分の服に合わず、いつもながら変な気分だった。

 リーレさんにもお礼を言って、子爵邸を出た。


 せっかく城下町まで来て、次の乗合馬車までまだ時間があるので、駅の近くの店に立ち寄った。

 町を歩く者は皆おしゃれで、少し気後れがしたが、どうせ買い物を済ませれば帰るだけだ。しかも行くのはおしゃれな店ではない。日用品も、食料品も、安くて実用的な店を好んでいた。

 それなのに、通りすがりに珍しくアクセサリーの店に目がいった。少し目がいっただけ。自分には似合わないのはわかっているので、足を止めることもなく通り過ぎた。

 アルトゥールの、恩に着せない強引な優しさに、少し自分のペースを乱されているのを感じた。

 引きこもりの農民でいい。大地に祈り、魔法の実を育てる、時代遅れの農民で。


「アーレじゃない。どうしたの、こんなところまで来るなんて」

 少し甲高い声で名を呼ばれた。

 少し苦手な幼なじみ。二年前まで森にいたアデルだった。

 アデルの両親は隣の国に戻ったと聞いていたが、アデルはこの城下町で仕事を得て暮らしている。黄色の柔らかに広がるスカートをまとい、何人かの同世代の女の子達と共に買い物を楽しんでいたようだ。できれば知らない振りをしておいて欲しかったが、声をかけられた以上、無視することもできない。

「アデル、久しぶり」

 愛想笑いがうまくできているとは思えなかった。相変わらず鋭い目でこっちをにらみつけるが、友人の前だからか、取り繕うように笑顔を見せた。

「こんなところまで、買い物?」

「買い物はついでで…。仕事の納品で…」

「そんな格好で町に来るなんて、相変わらずね」

 市のある街では誰も気にしないアーレの服装も、王城の城下町では質素さが際立っていた。しかしアーレには華やかな色合いの服もなく、そもそもおしゃれにお金をかける気持ちも金銭的余裕もない。

「アデルは、…森にいたときからおしゃれだったから。今日もよく似合っているわ」

 思ったことを言っただけなのに、周りに聞こえないよう声を潜めながら、

「あんたなんかに褒められたって、嬉しくもないわ。…とっとと森に帰りなさいよ」

そう言ってアデルは友人達の輪の中に戻っていった。


 アーレにはわかっていた。

 あのアデルの言葉は、森に戻りたくないアデル自身への言葉。アーレを通して、森を思い出したくない、自分は森には帰らない、そう言っている。

 アデルはいつも森から出たがっていた。アデルだけではない。あの場所に住む誰もが。

 十年を待ちわび、丁度十年になったその日、一斉に誰もいなくなった。

 自分には、その意味が判らない。

 誰もいなくなっても思ったより不自由をしないのは、誰もいなくなった後のことを想定して育てられていたのだろう。一人になっても生きていけるように。自分を育てていた人が親でないことも判っていた。

 自分には親もなく、親代わりの者からも捨てられた、仕方のない厄介者。

 自力で生きていけるようにしてもらえたことに感謝こそすれ、恨む必要もない。そう思うのに…。


 少し立ち直るのに時間がかかりそうだった。

 気まぐれに、あまり知らない野菜の種を買って帰った。

 どんなものが育つか思い浮かべながら、乗合馬車に揺られ、森へ戻った。

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