通し稽古de:MOMO太郎
「一度、通しで最後までやりたいと思います、みなさんよろしいですか?」
MOMO太郎役――、
おじいさん、おばあさん、犬、猿、キジ、そして鬼の役者が揃った。
全員が台本を手に持ち、読みながら、通して最後まで演じていく――
まだリハーサルではないので、セリフを覚えていない役者も多い。
「ではまずは、おじいさんとおばあさんのところからお願いします」
『はい』
おばあさん役の女優、おじいさん役の俳優が立ち上がる。
まだ登場出番ではない役者は、円形に置かれた椅子に座ったままだ。
ナレーターはまだいないため、監督がナレーションを務める。
「――あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。おじいさんは山へしばかりに、おばあさんは川に洗濯をしにいきました」
すると、おばあさん役の女優が台本を閉じた。
一見、セリフは全部覚えているから見る必要はない、と言っているようにも思えるが――実際、周りの役者はそう思ったらしい。
なまじ『できる』と噂の女優だからこそ、これくらいは当たり前だ、とでも共通認識が出来上がっていたのかもしれない。
彼女のことをよく知っていれば……、出演回数こそ少ないものの、気にして情報収集をすれば、彼女がどういうキャラクターなのか、分かっていたはずなのに――
「おじいさん? どうして私が洗濯にいかないといけないのですか?」
「は? え?(……ちょっとっ、台本を見ないのはいいですけど、リハーサルじゃないからって違うセリフを言わないでくださいよ!!)」
おじいさん役の俳優が小声で注意をするが、女優の方は「早くしろ」と言いたげだ。
威圧的な目だ。
小柄だが、威圧的なせいか長身に見えるし、上から見下されているようにも感じる……。
む、とした男性俳優が、同じように台本を閉じる。
そっちがその気なら――、と拳を握ったおじいさんが、おばあさんの疑問に答える。
「なら、おばあさんが山へしばかりへいくかい? 大変だぞ?
山は過酷な道も多い、足腰を鍛えていないと、戻ってくるのも一苦労だ。
男性が重労働をするのが、やはり道理じゃないのかね?」
「洗濯が重労働ではないと。へえ」
……地雷を踏んだ気がした。
確かに『山へしばかりへ』と比べてしまえば、『川に洗濯へ』は楽に思えてしまう。
比較したら楽に見えるだけで、実際の労働としては楽なわけではないのに。
二人分の洗濯ものを持ち、川へ向かっていき、洗濯――洗った洗濯ものを持って帰ってくるだけでも、女性からすれば(ましてやおばあさんである)かなり過酷な道だろう。
しばかりに匹敵するくらいには。
「いや、洗濯ももちろん重労働さ、それは分かる。でも、しばかりも同じくらい過酷なんだよ……、じゃあどうする。おばあさんは家で待ってるかい?
しばかりにいった後、俺が洗濯もしてこようか? 一日通して、二人分の労働をしている間、おばあさんは家でなにをしているつもりだい?
食事を作る? それはありがたい。
掃除をする? 綺麗な家に帰れるなら感謝するよ――その他には?」
「他には?」
「そうだ、まさか一日通して、掃除と食事の用意しかしないつもりかい?」
「あなたこそ、しばかりと洗濯しかしないつもりですか?」
「他のことができるほど、すぐに終わる仕事ではないよ。
洗濯はともかく……、しばかりは一日を通して取り組むものだ。
洗濯のためにしばかりの時間を短くするが、それでも成果を上げるためにはギリギリまで粘る必要がある。他の仕事は難しいな」
おばあさんは分かりやすく苛立った。
『洗濯はともかく』……その一言だけが、彼女の耳に入っている。
「まあ、一旦それは脇に置いておきますが」
「?」
「食事と掃除を、どんな楽な仕事だと思っているのですか?」
「……いや、掃除をするだけだろう?
食事を作るだけだ……、十何時間もかかることではないだろう?」
「しばかりも、洗濯も、十何時間もかかることではないでしょう?」
「しばかりはかかる」
「さて、あなたは仕事の最中に休憩をいくつ挟むのでしょうね」
おばあさんの微笑み。
……物語の中のおばあさんは、当然、そんなことを思ってはいないし、おじいさんに不満もないだろう……が、目の前の女優がおばあさんに憑依すると、物語の中のおばあさんが、本当にそう思っているかのように感じてしまう。
不満を抱えたまま、これまで洗濯、掃除や食事を作ってくれていたとしたら……おばあさんになるまでずっと、不満を抱えていたとしたら――行動力が伴えば、おじいさんの身が危ない。
「そもそもおじさんは、当人であることの自覚がないのですか?
私たちは二人暮らしです、つまり家のことや生活に関することは、全て私たち二人のことなんですよ。洗濯を『してやろうか』とか、掃除を『手伝ってやろうか』とか――
私がやる前提で、あなたは横から少し手を加えるだけ――なんでだよ。お前のためでもあるんだからお前もやれよ」
「おばあさん? 口が悪いぞ……?」
「しばかりは、ありがとうございます。私が作業をしても、おじいさんほどの成果は上げられないでしょう、だからこれは向き不向きがあるでしょうから――
だけど、それを踏まえた上でも、おじいさんは私の仕事を当たり前だと思い過ぎです。
全部を放棄してあげましょうか?
洗濯もしません、食事も作りません、掃除もしません――困るのはおじいさんでは?」
「はい……おっしゃる通りです……」
「どうせこれで子供ができたら、全てを私に丸投げするのでしょうね。
またあなたはしばかりにいくと言って、子育てを含めたこれまでの仕事を全て、私に押し付けて――しばかりにいった山の中で一人、気楽な一日を過ごしているのでしょう……――鬼よりもまず、あなたを退治しないといけなさそうです」
「す、すみません……」
「ふん、私のことを鬼嫁、とでも言いたいのでしょう? 顔に書いてありますよ」
「そんなことはないです!!」
とは言ったが、おじいさんは嘘を吐いた。
ちょっと思った……からこそ、言い当てられた時にドキッとしたのだ。
「まあいいです、いきますよ。いけばいいんでしょ洗濯へ! ……はぁ、まあ、川にいかないと桃が流れてきた時に拾えないですから――今回は私が折れてあげます」
「桃? なんのことを言って――」
先の展開を読んだセリフだ。
当然、おじいさん役の俳優は設定を守ろうとしている。
メタフィクションを入れる余裕はなかった。
「しばかりにいかずに待っていてくださいな、大きな桃を持って帰ってきます。
暇ならきびだんごの一つでも試行錯誤して作っておいてくださいな」
「――はいっ、一旦、通し稽古はやめます!」
監督の一言で稽古が中断された。
……当然だ、暴走し過ぎである。
数行の出来事を表現するのに、長々とやり取りが続いていた……、本当の舞台では到底できない掛け合いだった。
台本をぶち壊されて(そもそも昔話の桃太郎なので、オリジナルに沿ってはいるが)憤慨するかと思いきや、監督は数十秒の沈黙後、
「台本、変えてもいい?」
「と、言うと」
「今の掛け合いが面白くて良かったから、あれをメインにしよう。
おばあさんを主役に台本を書き直す――だから少しだけ時間をくれ」
今回もまた。
女優の暴走で台本が書き換えられた。
彼女は主役しかやったことがないが、それは脇役にキャスティングされても、脇役ごと主役にすり替えてしまうからだった――バイプレイヤーがメインプレイヤーへ。
脇役が主役を喰って取り込んだ……、
主役は私だと言わんばかりの強気な演技で。
「――主役を喰うつもりで? いや別に、そんなつもりはないですけど……」
後のインタビューで、彼女はこう答えた。
「役に入り込むと、その場の環境の不満が見えてくるので、それを言っているだけですよ、通し稽古の時ならまだ色々言えますから――。
もちろん、リハーサルとか本番でそんなことはしませんよ。通し稽古で言ったら台本が変わっただけで……あれ? 普通かと思っていたけど、その反応だと違うみたいですね」
――役に憑依してしまうんですね。
「そうですね。理想は、役を私に憑依させるべきなんですけど……、気弱なキャラに私が憑依すると、不満を吐露してしまいますから……。それって気弱じゃないですからね。
欠点と言えばそこでしょう。ただ、気弱なキャラも、私が憑依したことで強気なキャラに変更されてましたから――
監督の想像力の手助けになっているのなら、欠点でもないのかもしれませんね」
―― 完 ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます