第2話 ある料理人のつぶやき 

「若様、そろそろ来ますよ」


 家令の牧田さんが、ふー様に声をかけた。この人は、俺が先々代の公爵様に拾われた頃から、まったく風貌が変わっていない。この界隈では珍しくもない人外だと思うが、口にすると関係性が壊れそうで、もうかなり長い付き合いになるが、その辺りは踏み込まないようにしている。


「うん。料理長、行こうか」


 俺に差し出してくれた、可愛いぷくぷくの子供の手を取る。俺と手を繋ごうなんて子供は、ここの若様のふー様以外にいない。俺は、強面というか、人相が良くないから、普通の子供には泣かれるからな。ちなみに、もう一つの手は、家令の牧田さんが繋いでいる。自分で言うのもなんだが、傍から見ると、悪人二人が公家の子供を誘拐しようとしている図にしか見えないんじゃないか。牧田さんは、身なりや所作、言葉使いも隙のない完璧な紳士だが、目つきが堅気のそれじゃない。


 そんな俺達の間で、機嫌よくニコニコしているふー様は、他の魔力持ちの皆さん以上に、甘いものが大好きだ。魔力が減ると、甘いものを食べると直ぐに元に戻るという不思議な体質の持ち主なんだとか。元々、帝国一と評判のあった大公爵家の菓子代だったが、ここ数年、皇家の追随さえ許さないほどに巨大化したのは、ひとえに、この可愛らしい小学生のせいらしい。


 そんなふー様の初夏から秋にかけてのお気に入りは、庶民の味アイスクリンだったりする。ふー様なら、西都でもトップの洋菓子屋のヴォルぺの高価なアイスクリームをいくらでも食べることが出来るはずが、何故か、俺が子供の頃に祭りの屋台で食べたような、安物の氷菓。


 牧田さんは、ふー様を溺愛していて、何やかやと甘いあの人は、先代も当代の公爵様も、瑞祥の方におられる公爵の弟様達も大事にしているが、俺は、はっきり言って、こういう食べ物を値段や評判で判断しないふー様が一番好きだ。自分では、こっそりと依怙贔屓していたはずが、今では如実に献立に影響するほどで、先日、当代公爵に文句を言われた。偏食公爵に文句を言われたところで、方針を変える気はないがな。


 アイスクリン屋の老人が、毎週末、この貴族の邸宅が並ぶ嘉瑞山まで、庶民の味を売りに来るようになったのは、ふー様の熱心な勧誘のせいだ。そもそものところで、大貴族の子供が、何故、貧乏神降臨といった風貌のみすぼらしい老人と知り合いなのかと疑問に思うところだが、「まぁ、ふー様だしな」としか言いようがない。


 牧田さんの話によると、ふー様が下校中に、香裳川かもがわの河川敷で行き倒れていたところを、ふー様と隣の侯爵家の上の坊ちゃんが見つけたらしい。この老人は、香知こうち県の出身で、仕事を求めて西国に来て以来、日雇いの肉体労働を長年していたそうだ。いい加減な雇用条件下で、仕事を転々としていたせいで年金どころか、税金を払っていたのかも怪しく、当然ながら定年を迎えるような年齢になっても、年金がなく、生活費がない有様だ。老人の体力では、雇ってもらえる建設現場なんかない。そこで、生まれ故郷の味、安価な材料で作れるアイスクリンを売って生活費を稼ごうとしたものの、西都民には全く受け入れてもらえなかった。西都は子供でも、あの菓子屋のせいで、舌はもちろんのこと、目も肥えているからな。お世辞にも清潔とは言い難い身なりの老人から、食べ物を買おうとは誰も思わないだろう。


 ・・・ふー様以外は。


 行き倒れた老人を水の魔力で介抱して、話を聞くうちに、古びた自転車の荷台に括り付けられたクーラーボックスの中にあったアイスクリンが食べたくなったらしく、侯爵家の坊ちゃんが止めるのも聞かずに、口にしたらしい。


「これ、乳脂肪がめちゃくちゃ低いね。あっさりしてて、すごく食べやすい」


 そう言うと、ふー様は、その日のうちに、老人を稲荷屋の本店に連れて行き、ダイエットを気にする公家の奥方や姫、メタボの公卿に売り出せるからと説得、老人の雇用を決めてきたらしい。そして、瑞祥家の領地の抹茶を使って、アイスクリンに練り込み、それを求肥でくるんで大福のようなものを作らせた。それを稲荷屋が、親会社の経営する茶房で売り出したところ、見事にヒットした。西都では、身分に関係なく女性や子供に人気のある瑞祥公爵家のネームバリューを使うと、ヒット商品になりやすい。ただ、その手を使えるのは、ふー様だけだ。稲荷屋の目端の利く一番下のせがれは、その辺を見越して、ふー様に開発顧問という肩書を贈って、色々な商品を売り出している。ふー様の立場や肩書を利用して甘い汁を吸っているなら許されない話だが、真相は全く逆で、ふー様が、稲荷屋とドルチェ・ヴォルぺの両看板を持つフォックス・ホールディング社の裏で好き勝手に楽しんでいるだけなので、周りの大人達は何も言わない。稲荷屋は、代々、信心深くて、節美のお稲荷様の前で阿漕あこぎな商売をすると罰が当たって店が潰れると公言して憚らない家だしな。


 アイスクリンの老人は、若様の言うロイヤリティーなるものを稲荷屋から受け取ることに恐縮して固辞したが、「じゃあ、毎週、日曜日に嘉瑞山の門前まで、売りに来てよ。その出張代ね」と言われて、今に至るというわけだ。嘉瑞山には、大きな門があって、その門前は広場のようになっている。嘉瑞山に住む公家への訪問前に、門前の守衛所でどこの家に行くのか告げて、先方に確認が取れるまで開門してもらえないため、車が何台も止めることが出来るスペースが設けられているからだ。そこに、くだんの老人が、古びた自転車の荷台にクーラーボックスを括りつけて毎週末にやってくる。最初は、ふー様と、隣の侯爵家の坊ちゃんと末の坊ちゃんの三人だけしか客がいなかったが、頭の良いふー様が、瑞祥家のお兄様お二人を誘い出したことで、女性客が一気に増えた。今では、オンライン予約で各家に配達もされているが、ふー様の言う「様式美」というやつで、嘉瑞山では今でも、お客は、子供も大人も硬貨を握りしめて列に並んで、順番にアイスクリンを買う。


 正直に言って俺が作る方が、絶対に美味しいはずだという自信はあるが、アイスクリンは、この老人から買うことに「妙」があるということで、嘉承の厨房で作ることは禁止されている。ふー様は、決して偉ぶらないが、様式美や妙と言った、いかにも公家な物言いをすることがある。無学な俺にはさっぱりだが、ふー様がそういう時は、必ず美食が絡んでいるので、料理人の俺にとっては、悪くない話だ。むしろ、楽しいことの方が多いな。


 本当に、俺が、小さい子供と手を繋いで、アイスクリンを買うために行列に並ぶなんて日が来るとはな。

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