第30話 小さな商人との握手
「な、な、な……何してるんですか!!」
アリシアは慌てて、レイモンドに抱きついている少女を引き剥がした。あまりの軽さに小脇に抱えられた少女は、瞳をキラキラと輝かせてこう告げる。
「これを見せてほしいんですの〜!!」
少女の手に握られていたのは、レイモンドが作った氷の髪飾りだった。
「ただの髪飾りかと思いきや、先ほどの砕け方……細工が氷で出来ていたんですのよね!? これは魔道具に違いないと思いまして……ほら! 魔石の裏に魔法陣がありますの〜!」
「ああ……魔石に魔法陣が刻んであるので、魔力を込めれば誰でも細工が出現させられるようになっている。このように……」
レイモンドが魔石に手を触れると、一瞬にして氷の細工が現れた。
「ふおおー! すごいですの!! それで? 砕く時は?」
「砕く時は側面のこの魔法陣に触れて、魔力操作をすれば……」
「ひゃ〜! 木っ端微塵に砕け散りましたわ!! なんて素晴らしい……私、魔法と魔道具が大好きですの!」
害意は無さそうだと判断したアリシアは、そっと少女を床に下ろす。少女は一人でブツブツと呟きながら、しばらく髪飾りをクルクルと回して眺めていた。
「ありがとうこざいましたの。お返しいたしますわ。……これ、販売されるつもりですの? まだ市場では出回っておりませんよね?」
名残惜しげな少女から髪飾りを受け取り、レイモンドがアリシアの髪に装着しながら答える。
「ああ……そのつもりではいるが、まだ流通方法などは考えていなくて……」
「それなら、ぜひ我がラベンダー商会にお任せくださいですの!!」
「ラベンダー商会って……あの王国一の規模の!?」
驚くアリシアを見て、少女は誇らしげに胸を張った。
「そうですの! 申し遅れましたが、
状況が飲み込めていそうにないレイモンドに、アリシアがそっと耳打ちをする。
「ラベンダー商会と言えば、この王国で一番の規模を誇る商会です……! 扱っているものも、食品から衣服、武具や魔道具までと幅広く……王都で売られているものは、一度ラベンダー商会を通っていると言っても過言ではないほどです」
「そうなのか……」
話している間も、ロッティの視線はアリシアの髪飾りに釘付けだ。
「この髪飾りは素晴らしいですの……うちで扱わせていただければ、国の端から端まで行き届かせられること間違いなしですの!
「まあ……こちらとしては有難いお申し出ですが、こんな取引を口約束で決めてしまって宜しいのですか?」
「もちろんですの! 細かい収益の配分は、また改めてご相談になりますけど……父もスノーグース領とお取引がしたいとずっと申しておりましたの。でもツテがなく、領主は雪男の怪物だという噂まであって手を出せず……」
少女はそこで言葉を区切ると、ニカッと歯を見せて笑った。
「でも今日お会いして、噂は噂に過ぎなかったと分かりましたの。蓋を開けてみれば、ダンスも魔法もお上手な、超絶美男子でしたし! しかも大勢の前でハグなんかしちゃって、美人妻にメロメロのご様子……とっても人間らしくて、どこが怪物なんだかって感じですの!」
「そ、それは……」
アリシアとレイモンドは、顔を真っ赤にして口ごもる。
「うちの商会のツテを使って、その間違った噂も訂正していくつもりですの。それに何より……二人とも、とっても面白そうな人じゃあありませんか! こんなご縁を逃す手はありませんの! どうです、うちと組んだら損はさせませんので……お友だちになってくれません?」
ロッティは仁王立ちしながら、小さな手をずいっと差し出した。アリシアはチラッとレイモンドに視線を向け、小さな声で呟く。
「レイモンド様……これはチャンスです。ラベンダー商会とパイプが出来れば、領地の輸出入の内容が格段に向上すると思います。レイモンド様と共に……領地も、閉じこもっていた世界から飛び出すべきです。それに、この少女は何だか信用できそうだと、私の直感が告げています」
小さく頷いたレイモンドは、僅かに微笑んで言った。
「……ああ、同感だ。それに貴方の直感ならなら間違いないだろう。ここは彼女にかけてみよう」
レイモンドはしゃがみ込んでロッティに視線を合わせ、そっと手を差し出した。
「……では、よろしく頼む」
「ヨッシャア! 交渉成立ですの!」
ロッティはガッツポーズをし、レイモンドの手を力強く握った。
「おい……ラベンダー商会のあの娘、スノーグース伯の手を握ったが何も起こらないぞ。ダンスの時もそうだったし、やっぱり触れたもの全てを凍らせるなんて嘘なんじゃないか?」
「ダンス終わりの雪も綺麗だったな……あんなに繊細な氷魔法は初めて見た。魔力もコントロール出来てるようだし、噂とは全然違うな……」
遠巻きにこちらを眺めていた人々が、ヒソヒソと噂する声が聞こえてくる。その中から、おずおずと一人の女性が進み出てきた。
「あ、あのう……その髪飾り、販売されるかもって聞いたんですけれど……。それ、今買うことって出来ます?」
「やだ! 抜け駆けするなんてずるいじゃない! 私も私も!」
「こっちも! こんなに話題になった髪飾り、買い逃したって聞いたら留守番してる嫁に怒られちまう!」
それを皮切りに、堰を切ったように人々が押し寄せてくる。
「伯爵夫人! そちらのドレスはどちらで!? 細工は細かいしデザインも斬新……王都のブティックでは見たことがありませんけれど」
「あ……これは、うちの仕立て人が……」
「まあ、領地お抱えのデザイナーなのね! 良ければ紹介してくださらない!?」
「氷の魔石も仕入れられるんだって? うちにも融通してくれよ! 王都にばっか卸されるから、地方では手に入らないんだ。氷の保管箱が欲しくて……」
「おい、スノーグース領の輸出入が解禁されるならこっちも!」
「じゅっ、順番、順番に……」
押し寄せる群衆に目を回す中、中央からパンパンッと大きな手拍子が響き渡る。
「皆さん、静粛にですの! 氷の髪飾りの受注予約は、ラベンダー商会が承りますの。髪飾りはこちらに、氷の魔石はこちら、その他の問い合わせはあちらにお並びになって……」
少女によってテキパキと区分けがなされ、あっという間に人混みが整理された。振り向いたロッティは、アリシア達にパチリとウインクをする。
「す、すごい手際です……」
「流石だな。これだけでも、手を組んで良かったと思える。あまりに人が多くて、疲れた……」
「まあ、大丈夫ですか? あまり顔色が良くありませんが……」
「あーー! お嬢、やっと見つけました!」
行列の後ろから、一人の男性が人をかき分け進んできた。ツンツンと立った髪は目が覚めるようなオレンジ色で、吊り目がちな目元によく似合っている。
「まったく、お嬢ったらすぐ居なくなるんですから……探すこっちの身にもなってくださいよ〜! それにまたこんなにたくさん人を集めて……」
「アルノー、遅かったですのね! それに今回は私が作った群衆ではないですが、もう交通整備はしてしまいましたの。ほら早く、あちらから注文をお聞きして……」
「ええ!? 何の注文です? ほんとに人使いが荒いんだから……。ごめんなさい、ええと……スノーグース伯爵とご夫人、でしたよね。お嬢がご迷惑かけませんでした?」
アルノーと呼ばれた青年が、申し訳なさそうにロッティの頭を下げさせる。頭を押さえられ、ロッティは不満げに短い両腕を振り回して抵抗した。
「ご迷惑なんてとんでもない! ロッティさんには助けていただいて……」
「ほら見てみなさいですの! 失礼なこやつは私の付き人で、アルノーと申しますの。今日の注文は全てこやつが取りまとめますから、そのつもりで……」
「お嬢、また口が悪くなってるってば!」
「あらいけない。とにかく私はそちらから捌くので、あなたはあちらから……」
「久しぶりに会ってみたら……ずいぶんと調子に乗っているようね、お姉さま!」
突然響き渡った金切り声に、アリシアの体がビクリと跳ねる。
声が聞こえた方から群衆の波が自然に割れ、真っ赤な髪の少女が歩み寄ってきた。
クルクルの赤毛に、これでもかとリボンのついたド派手なピンクのドレス。忘れもしないこの姿は……
「ダリア……」
小さな声で呟いたアリシアの目の前で、妹は意地の悪い笑顔を浮かべて立ち止まった。
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