第20話 清廉潔白なメイドです!

 執務室の机に座りながら、レイモンドはポカンと口を開けていた。

 晴れて執務室への出入りを許されたアリシアが、驚くべきスピードで片付けをしているのである。散乱した書類は日付や内容によって分類され、積み上がっていた本は綺麗に本棚に詰められていく。


「……見事なものだな。まるでその本が元々どこにあったか、分かっているようだ」


 その言葉に、本棚に手を伸ばしかけていたアリシアはハッと動きを止める。

 掃除や整理整頓が出来るのが嬉しくて、ついはしゃいで片付けてしまったが……死んだ「アリシア」の知識が無ければ、出来ないはずの動きだったかもしれない。


「あ、あのですね……。実家でも領地運営の執務をしておりましたし、王子の業務も代わりにやっておりましたから……。どれがどんな書類か、必要な本かそうでないか、大体分かるのです」


 誤魔化すためにそう言ったが、嘘ではない。サンフラワー家や王家で押し付けられていた仕事や知識も、活用していることは確かだ。


「そうか。ならばそれは、貴方の努力の賜物なのだな」


 関心したように頷くレイモンドの言葉で、今までの自分が報われたような気がした。

 幼い頃から明け暮れた王妃教育も、家事や執務の知識も、婚約破棄によって意味の無いものになったと思っていたのに……。


「……ありがとうございます。そう言っていただけて、うれしいです」


 レイモンドに認められ、褒められるだけで、今までの辛い思いは帳消しになってしまった。滲む涙を隠しながら、アリシアは本棚の整理を再開する。

 その姿を眺めながら、レイモンドはごにょごにょと呟いた。


「あー……その、なんだ。王子というのは、ロイか?」


「え? はい、そうですけれど……」


 アリシアは驚いてレイモンドの方に振り向いた。王子のことを、「ロイ」と呼び捨てに出来るような関係なのだろうか。


「解消になったとは言え、婚約者だったのだろう? その……未練とかは、ないのか?」


「未練……?」


 未練というか……「アリシア」の記憶が戻ってから今日に至るまで、彼のことを一度も思い出すことはなかった。

 自分の薄情さに驚きつつ、それをそのまま伝えるのもどうかと考えあぐねていると、沈黙を肯定と受け取られてしまったようだ。レイモンドは歯切れの悪い言い方で続ける。


「幼い頃から、婚約していたと聞いた。それほど長い付き合いならば、情もわくだろう。こんなことを聞いて良いのか分からないが、その……ロイの事が好き、だったのか……?」


 ああ!と、アリシアは納得して手を合わせた。


 (旦那様は独占欲がすこーし強めだったから、私が誰かのものになっていないか心配しているんだわ。仮にも「妻」なのだし、メイドだとしても、他の人に気持ちが向いているのは嫌なのかもしれないわね。)


「ご心配なさるようなことはありませんよ! 政略婚約でしたし、いわゆる男女の仲のようなことは全くありませんでした。清廉潔白(?)なメイドですから、安心してくださいませ!」


 アリシアは胸に手を当て、ピシリと背筋を伸ばした。


「いや、そういうことを聞いているのでは……」


「うーん……強いて言えば、小さい頃に手を繋いだことがあるくらいで……」


「手を……」


 レイモンドは目を細めて、アリシアの手を凝視する。


 (ええ!? 子供の頃に手を繋いだくらいの事もお嫌なのかしら……!?)


 渋い顔のままレイモンドが近づいてきて、アリシアの右手を取って口元に引き寄せた。


「えっ、だっ……レイモンド様、何を……」


「この指輪は何だ? ロイから贈られたものか? こんなものを身につけるくらい、やはり未練が……」


「ああ、これは……」


 右手に嵌めていた指輪は、サンフラワー家を出る時に使用人のアガサに貰ったものだ。「ミーシャ」の母親のたった一つの形見なので、大事に身につけていただけだ。


 レイモンドは限界まで目を細めて、指輪に触れそうなほど顔を近づけた。吐いた息が手の甲にかかり、思わず笑ってしまう。


「ふっ……ふふっ! ほら旦那様、目がお悪いのに眼鏡をかけないから、そんなに近づかないと見えないんですよ」


「貴方は、何でも知っているのだな。俺の目が悪いのも……」


「あっ……その、人間観察が趣味でして……」


 レイモンドが顔を上げると、バチリと視線がぶつかる。鼻先が触れそうなほどの至近距離に、二人は顔を真っ赤にして勢い良く距離を取った。


「あっ、ああ! そう言えば、ブルーベルは自室で勉強をしているのだったな? たまには様子を見てくるか!」


「そ、そうですよ! それが良いと思います、ええ! お嬢様も喜びますから!」


「では、早速行ってくるとしよう!」


「行ってらっしゃいませ!」


 レイモンドはいそいそと上着を羽織り、部屋を出て行ってしまった。その耳が真っ赤に染まっていたのを、アリシアは気付かない。


「駄目、本当に『ミーシャ』としての自覚が足りないわ。旦那様と一緒にいると、つい昔に戻ったようで『アリシア』として話してしまう」


 そう呟きながら執務室の鏡の前に立ち、自分の姿を確認する。

「ミーシャ」は柔らかなミルクティー色の髪に、真っ白な曇りのない肌。赤毛でそばかすの「アリシア」とは違うのだ。


 そんな事をしていると、遠くの廊下でドタバタと騒ぐ音が聞こえてきた。ヨゼフの叫び声のようなものも響いてくる。


「……何かしら? アルがいたずらして回っているとか?」


 その声は次第に執務室へと近づいてきて、解錠のノックの音と共にドアが勢い良く開いた。


「おやめ下さい、ユリウス様! 勝手に入られては……」


「もう、うるさいなぁヨゼフは……そうだ、こうしちゃおう。えいっと」


 部屋に飛び込んできた人物は、勢いのまま扉を閉めてドアノブに魔法をかける。

 ピシピシと音を立てて鍵穴が凍りつき、部屋の外にいるヨゼフがドンドンと扉を叩いた。


「なっ……開けてください、ユリウス様! 旦那様に叱られますよ!」


「あー、はいはい、レイなら大丈夫。俺には甘いからさ〜」


 ユリウスと呼ばれた男性は振り返ると、不敵な微笑みを浮かべながらアリシアを見つめた。

 肩まで届きそうな灰色の髪に、垂れ目がちなコバルトブルーの瞳。細部は違うが、均整のとれた美しい顔立ちはどことなくレイモンドに似ている。


「ふーん、君がそう?」


「え、ええと……?」


 事態が飲み込めないアリシアをよそに、ユリウスは口の端に笑みを浮かべながら、ゆっくりと近づいてくる。

 

「君がミーシャ=サンフラワーだね。レイが新しく妻を迎えたって聞いて、どんなものかと見に来たんだけど……」


 ユリウスはそのままアリシアの頬を鷲掴みにし、グイッと自分の顔に引き寄せた。


「……君、昔ここで死んだメイドに似てるね。この瞳が、そっくりだ」

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