【ハレ巫女】妹の身代わりに「亡き妻しか愛せない」氷血の辺境伯に嫁ぎました〜全てを失った「ハレの巫女」が、氷の呪いを溶かして溺愛されるまで〜
きなこもちこ
第1話 誰でもない私
「ミーシャ=サンフラワー! お前を婚約破棄する!」
雨が、降っていた。
ミーシャと呼ばれた少女は芝生に膝をつき、祈りの姿勢のまま、ぼんやりと前を見つめていた。緩やかにウェーブを描くミルクティーの髪はぐっしょりと濡れ、白い祈祷服に張り付いている。
「記憶も能力も無くしたお前を憐れに思い、今まで婚約を解消していなかったが……。ガーデンパーティの僅かな時間だけでも、晴れさせることが出来ないなんて! それでも『ハレ』の一族、サンフラワー家の巫女か?」
灰色の髪の少年──ロイ王子が、城の庭に続く回廊からミーシャに向かって喚き立てる。滝のような大雨のせいで、パーティの参加者達は屋根のある回廊部分に避難していた。
「ひどいですわ……。これでは、ロイさまのお誕生日会が台無しです!
黒髪の少女がロイの腕にもたれかかり、芝居がかった動作で顔を覆う。少女の肩を抱きながら、ロイは愛おしそうに呟いた。
「ああ……いくら君が『アメの巫女』だからって、疑ってなどいないよ、可愛いクロエ。他ならぬ君が、ガーデンパーティを希望したのだから。叶えてやることが出来なくてすまなかった」
顔を覆った指の隙間から、クロエがちらりとミーシャに視線を送る。その口元には意地の悪い笑みが浮かび、瞳は紫色の光を放っていた。
ミーシャはハッと我にかえり、水を含んで重くなった祈祷服を引き摺って立ち上がった。
「ロイ様! この雨は、クロエ様が……」
「何? クロエが嘘をついているとでも? 自分が祈祷を失敗したからといって、罪をなすりつけるような真似を……恥ずかしくはないのか!?」
パーティの参加者が、口元を隠しながらクスクスと笑っている。嘲笑う声が、人々の悪意が……ミーシャを取り囲んで、ぐわんぐわんと鳴り響いた。
「時が経てば力も戻るかと期待していたが……完全な無能だと、今日証明されたようだな。力の無い者を、婚約者にしている必要はない。クロエのような優秀な巫女こそが、王妃に相応しいのだから!」
ロイは、泣き真似を続けているクロエの頭を優しく撫でる。
「サンフラワー家には、今日正式に婚約破棄の知らせを送ろう。全く……会の余興にもならなかったな」
「お待ちください、ロイ様……!」
「もうお前は赤の他人なのだから、親しげに名前を呼ぶな! さあ、今すぐ領地へ帰らせろ」
弱々しく抵抗するミーシャを使用人達が捉え、乱暴に馬車へと押し込んだ。
・・・・・
馬車に揺られながら、ミーシャは自分の体を抱きかかえるようにして震えていた。濡れた服が肌にぴったりと張り付き、体の熱を奪っていく。
婚約破棄が、悲しかった訳ではない。ロイに対して、恋や愛などという感情は持ち合わせていなかった。
ただ「王子の婚約者」という肩書きが無くなるのだけが、怖かった。
ミーシャには、十歳までの記憶が無い。そのためか自分の体が借り物のように感じられ、常に他人からどう思われているかを気にしていた。
「王子の婚約者」という肩書きは唯一無二のもので、そう呼ばれた時だけは自分の存在を確かめることが出来る。だからこそ、身分不相応だと分かっていても、今までみっともなく縋りついてきたのだ。
今その大きな支柱を失い、自分がグラグラと崩れかけるのを感じていた。
・・・・・
「……あぁっ……!!!」
屋敷に着き、着の身着のまま父親の執務室に呼ばれていくと、頭上から熱い紅茶が降ってきた。
床に倒れて悶えているミーシャを見下ろし、紅茶をかけた張本人──妹のダリアが、クルクルにカールした赤毛を揺らしながら高らかに笑い声を上げる。
「アッハハ! びしょ濡れで寒そうだったから、あっためてあげようと思ったんだけど……。その気味の悪い白けた髪が、紅茶色に染まって良かったじゃない? ようやくサンフラワー家の髪色になれて! アタシ、やっさし〜い!」
ダリアはソファの端に腰掛けて、ケラケラと腹を抱えて笑っている。父親はそんな彼女を咎めようともせず、冷めた目つきでミーシャを見据えた。
「……王子から、婚約破棄の知らせが来た。お前には失望したよ」
「違うのです、お父様。これは……」
「何が違うものか。サンフラワー家から、婚約破棄の傷物が出るなんて……」
父親は額に手を当て、深いため息をついた。
「能力を無くしたお前も、いずれ何かに利用出来るだろうと今日まで養ってやったが……家名を汚すだけだったな」
「お父さま……。どうか、もう一度チャンスを……」
父親は足元に縋るミーシャを、虫でも払うかのように払い除けた。そのまま娘を見下ろし、ゆっくりとした動作で懐から羊皮紙を取り出す。
「役立たずのお前だが、一つだけ家の役に立つ方法がある。──辺境伯、レイモンド=スノーグースの元へ嫁ぐのだ」
「辺境伯へ、ですか……!?」
ミーシャは目を見開き、体を固めた。
「髪や目の色などの条件から、本当はダリアにきた縁談だが……姉妹のお前でも問題ないだろう。どうせ伯爵の縁談避けのための、お飾りの妻なのだから」
ダリアは父親の腕を取ってピタリと寄り添い、不敵な笑みを浮かべた。
「あんな辺鄙な所へ嫁ぐなんて、まっぴらごめんだわ! 年中真冬で凍えるほど寒くって、娯楽もなんにもない。しかも相手は、触れたものはみ〜んな凍らせちゃう氷血の伯爵さま!」
ダリアは目を瞑り、腕を抱えて大袈裟に震える真似をした。
「今まで何人もの花嫁候補が送り込まれたけど、全員ひと月も持たずに逃げ帰ってきたらしいし。……何でも、『亡き妻しか愛せない』とかで、他人には残虐非道だそうよ」
俯くミーシャの顔をダリアが覗き込み、クスクスと笑った。
「でもお飾りの妻なら、お姉さまにぴったりじゃない? お姉さまって中身も意志もなーんにもない、ままごと人形みたいだもの! 旦那に触れられることも、愛されることもなく、寂しく一生を終えるんだわ〜!」
何て可愛そう!と、ダリアは天を仰いで笑い声をあげる。
父親は退屈そうに葉巻に火をつけ、ゆっくりと口に咥えながら言った。
「辺境から追い出されても、家に居場所はないからな。ロイ王子の婚約者候補には、お前の代わりにダリアを推しておく。王家も『ハレの巫女』の力を欲しているし、何たってこの愛らしさだ。第二夫人どころか、王妃も狙えるだろう」
ダリアは頭についた大きなリボンを揺らしてソファに飛び乗り、猫のように父親に擦り寄った。父親はそんなダリアの頭を撫でながら、葉巻の白い煙をミーシャに吹きかける。
「一週間以内に支度をし、この家から出て行ってくれ。お前が嫁げば、うちにも莫大な金が入ってくる。そうなれば、いつ死んでくれても良いぞ。最後に家の役に立てて嬉しいだろう? ……さあダリア、何か欲しいものはあるか?」
「うふっ、お父さま大好き! ちょうど新しいドレスがほしいと思っていたの!」
父親に抱きつく妹を横目で見ながら、ミーシャはフラフラと立ち上がり、お辞儀をして執務室を後にした。
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