第8話
自治都市アマルセア。
天然の入り江を利用して作られたそこは、大陸屈指の港湾都市である。
もともとは小さな漁村だったが、海路と陸路の中継地点として数十年前に注目され、そのまま一気に発展。
近海で獲れる海産物はもちろんのこと、ルーデットが暮らす歴王国アルピアで生産された作物や高級織物などを海を隔てた他国へと輸出するための一大拠点となっていた。
人口が二万人を超える大きな都市であり、王都を除けば大陸において最も賑わう街。
そんなアマルセアでは、一週間に一度、賑やかな週市が開催されていた。
だだっ広い円形の広場に青果や肉、衣類や工芸品など、色とりどりの露店が所狭しと並ぶ。
大道芸人や吟遊詩人も訪れ、広場は朝から人々の喧騒で埋め尽くされていた。
広場を吹き抜ける潮の香りと夏の日差しが、アマルセアの活気をさらに湧き立てる。
ルーデットは長い黒髪を頭の後ろでまとめると、診察用の施術着を羽織る。
白衣ならぬ、体の前面を覆う、黒衣の前掛けだ。
ルーデットは市場の一角に馬車を止め、簡易診療所を開業。
そこでアマルセアや近隣の村に住む人々を相手に、義肢の点検や怪我の手当てなどの総合診療を行っていた。
大都市に医者は貴重。
先週、サーラの件で週市を訪れることが出来なかったから、今日は簡易診療所に長い列が出来上がっていた。
そこで、ルーデットは「魔女先生」と呼ばれていた。
彼女の黒い長髪と、血や汚れが目立たないよう身に着ける黒一色の姿。
そして、あらゆる怪我を治療し、重傷者には義肢を提供する魔法のような手腕から、いつしかそのように呼ばれるようになっていた。
今診ている患者は、一年ほど前に右足を失い、ルーデットから義足を提供してもらった近隣の村に住む若者。
なんでも、先週くらいから義足の動きが悪く、歩く度に痛みを感じるという。
ルーデットは慣れた手つきで義足を取り外すと、その内部をチェック。
外装は魔力を宿す神木製。
留め具を外し、中を開くと骨の代わりとなる特殊金属が露わになる。
ルーデットは義肢の内部を入念に確認しながら、「ふむ」と小さく息をついた。
「魔力系統の異常だな……叡晶石が古くなっている。動きが悪い原因は、これだろう」
言いながら、義足の内部にはめ込まれたガラス片のような物を取り出す。
手中で転がし、しげしげと眺めるのは、
複雑な機構を持つ義肢を正確に動かすことが出来るのは、叡晶石が人間の持つ微かな魔力を増幅し、エネルギーに転換して義肢を稼働させているから。
「ペル、新しい叡晶石を取ってくれ。小型のヤツで言い」
「はーい」
ルーデットが呼びかけると、診察台の隣に停められた馬車からペルーシュカの声が返ってきた。
馬車にはあらゆる医療機器の他、叡晶石の在庫も積まれている。
少し待つと、ペルーシュカとサーラが並んで、小走りでやってきた。
先週、不法侵入しようとした時とは違い、現在サーラはルーデットの助手ということになっている。
獣人の特徴的な獣耳や尻尾もナースキャップと白衣で隠し、アマルセアに問題なく入ることが出来た。
サーラがアマルセアに入りたかったのは、どうやらそこから船に密航し、母国であるグルギア帝国に帰りたかったから。
けれど、今はルーデットの施療院に身を置き、診察の手伝いに精を出していた。
二人の手伝いもあり、診察はとてもスムーズ。
ルーデットは来ることの出来なかった先週の分まで、黙々と診察に専念した。
▽▼▽
街に琥珀色の夕日が射すと、週市も終わりを告げる。
商人たちがいそいそと露店をたたむと、客の数もゆっくりと少なくなっていった。
広場に静けさが戻り始めると、忘れていた潮の香りが広場に優しく舞い込んだ。
ルーデットも診察台を片付け、道具を馬車に乗せて撤収の準備。
エルムンド施療院は、アマルセアから馬車で四時間の距離。
そこそこ離れている関係上、今日は街内にある知人貴族のタウンハウスに泊めてもらう予定だった。
「ふぅ、疲れた……。二人ともご苦労、今日は大忙しだったな」
立ち上がり、腕を回して肩の疲れを取るルーデット。
まだ二十代前半の彼女だが、時折、仕草がおばさんっぽくなることがある。
診察道具を片付けながら、ペルーシュカとサーラも「終わった~」と疲れたように言葉を漏らした。
「今日は忙しかったですねぇ。患者さん、いっぱい来ましたから!」
ペルーシュカが言うと、ルーデットは「先週は来れなかったからな」と頷く。
そんな二人に、サーラが控えめな声で尋ねた。
「ルーデットさん、沢山の患者さんを診ていましたけれど……どうして、誰からもお代を頂かなかったんですか?」
サーラが不思議そうに首を傾げるのは、ルーデットが患者たちからの謝礼を一切、受け取らなかったから。
診察だけならまだしも、ルーデットは義肢のメンテナンスや壊れたパーツの交換、叡晶石という、高級な魔道具を惜しげもなく使用していた。
こんなことを無償で行っては、下級貴族なんてすぐに破産してしまう。
けれど、心配そうなサーラに、ルーデットは含みのある笑みを向ける。
「お代は別で払ってもらっている――彼らの『身体』でね」
ツンと尖った鼻から、「ふふっ」と意地悪そうな笑みを漏らす。
「私の作る義肢――”特殊義装”は、あらゆる工芸ギルドと魔法技術を融合させた傑作品。けれど、まだまだ王国内でも使用者が少なく、稼働の記録を大量に取らなくてはいけないんだ」
なんだか、いきなりきな臭い話し方になるルーデット。
心温まる親切そうな話を期待していたサーラの顔が、ちょっと引きつる。
「私はこの地……サマル地方をおさめるズオウ五世閣下より、義肢の実験と研究、実用的な運用の検証を仰せつかっている。今日診てやった者たちや施療院の患者はみな、実験の被験者なのさ」
「じゃ、じゃあ……今日、来ていた患者さん達は、みんな実験に協力する代わりに、義肢の提供と点検を無料で受けている、ということですか」
「そういことだ。損をする者のいない、完璧な関係性だろ」
実験とか研究とか。
なんだか怖い単語に、サーラが困ったように眉を下げる。
けれど、そこですかさずペルーシュカがフォローを入れた。
「でも、そんなに怖い話じゃないんですよ? 事実、ルーデット様の義肢のおかげで困っている人たちは助かっているんですから。それに、義肢を提供する際に、本人の同意を得ていますので」
「サーラちゃんを驚かしちゃダメです!」と
「ふふっ、悪かったよ。結局は、世のため人のためだ」
そこまで説明されて、サーラはようやく納得して頷いた。
やっぱり、ルーデットが悪い事をするはずがない。
それに、そんな活動に自分が協力できたのかと思うと、サーラもちょっとだけ誇らしかった。
そうして、診察道具の大半を馬車へ積み込んだ時。
広場の空気を揺らす、ズンッと腹の底が震える重低音が響いた。
続いて、水がわき出すように人々の叫び声が聞こえてくる。
ルーデットは面倒くさそうに港の方角を見つめながら、ただならぬ様子に舌打ちを漏らした。
「何か、トラブルがあったみたいだな……朝から晩まで、今日は騒がしい」
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