15話 不穏な影3-焦眉の急-

駒葉こまば市中高生襲撃事件の概要を伝え終えると、芝山晴しばやま はるは別の書類を準備し始めた。その間に冴木夏都さえき なつは黒い上着を脱いで、中のYシャツのそでまくった。

「冴木さん・・・すよね」

「あぁ、覚えてもらえてうれしいよ。僕に何か聞きたいことでもあるのかい?」

「あの、刺青っつーか、あざは冴木さんにはないんすか?」

「僕は左足首にあるんだよ。短いズボンでも履かない限りは見えないさ」

「そっか、聳孤しょうこは足に痣があるんすね」

橘永遠たちばな とわが声を上げると、茅野柊かやの しゅうと冴木は一瞬動きを止めた。

「――僕が聳孤であることを、だれかから聞いたのかい?」

「あれ?冴木さんじゃなかったでしたっけ?じゃあ、柊かな?」

永遠は首をひねった。

「永遠、それは・・・」

「話が盛り上がっているところ悪いが、橘くんに本部でのアルバイトについて説明を始めても良いか」

柊が口を開いたところで、芝山が話を遮った。

「はい、お願いします」と永遠が返事をする。

「申し訳ありませんが、先に自室に戻って良いでしょうか。・・・まだ体調が戻らなくて」

茅野かやのくん、無理をすることはない。僕が橘くんについているから、君は自室に戻って回復に努めるんだ」

「ありがとうございます。永遠、ごめんね」

「おい、柊・・・!」

永遠の制止も聞かず、柊は一礼すると自室に戻っていった。

「橘くん、すまないが茅野くんは休ませてもらえないか。茅野くんの武器は消耗しやすいんだよ。僕の武器は中・長距離型だからあまり感じないんだがね。近距離型は一撃の威力は大きいが、近づく際に怨霊おんりょう生気せいきを吸い取られてしまうんだ」

「そうなんすか・・・」

永遠は右手のこぶしを強く握りしめた。

「茅野にも聞いて欲しかったが、仕方ないな。君の話をしよう、橘くん。今から話すのはその足が完治してからの話だ」

「・・・っす」

「昨日少し話したが、君に依頼したいのは所謂いわゆる後方支援で、一般人の誘導や報告書の作成等だ。一般人の誘導について、たいていの場合は警察がすでに配置についているが、対象が複数いる場合や五麟ごりんをターゲットにして襲撃された場合など、準備が整っていない場合もある。派出所の警察官等が駆けつけたところで見えないからな。そうすると、こちらで指示を出すしかない。報告書の作成について、見えない人間では報告書を書けないという不都合がある。そもそも怨霊の記憶自体が消えてしまうからな」

「怨霊退治も色々と不便なんすね」

永遠は怨霊を見ることが出来ない人間の苦労を感じざる得なかったが、芝山は首を横に振った。

「そうとも限らないのではないだろうか。もし記憶が留まっていたら、怨霊のうわさが広まってしまうし、興味本位で危険な行動に出る人間も現れるかも知れない」

冴木もうんうんとうなずいている。

「実際に依頼が多いのは警察からなんすか」

「一番多いのは警察だが、行政機関や一般企業の代表なんかからも依頼が来ることはある。警察が自分たちでは対処が難しい案件を俺たちに請け負わせたりするんだ」

「それってオカルトっぽいのも含まれません?どうやって線引するんすか?」

「判断が難しい時は、事件の現場に行くことが多いな。怨霊関係であれば、その痕跡が残っている可能性が高い」

「なるほど・・・」

永遠の様子を見て、芝山は書類を差し出した。

「雇用契約書だ。詳細についてはここに記載してある。まずは目を通して検討してほしい」

「多くないっすか・・・?」

「守秘義務を伴う案件も多いからな。条項が若干複雑になっている。不明点があったら気兼ねなく聞いてくれ」

「不明点というか、量が多すぎて読むのもちょっとめげそうなんすけど・・・。読む気すら起きないっつーか」

芝山から手渡された雇用契約書には何ページにもわたり、条項がびっしりと書き連ねられている。

「ならば僕が読むのを手伝おう!安心してくれたまえ!これでも、大学は法学部志望でね。本部ここに入ってくる契約書関連はなるべく目を通すようにしているんだ」

――ピリリリリリ・・・。

「ちょっと失礼」と言うと、芝山はソファを立った。スマートフォンを携えて部屋から出ていったが、しばらくして戻ってきた。

「警視庁から呼び出しだ」

「芝山さん、後のことは任せてください。橘くんのことは、僕が責任持って送り届けますよ」

「冴木、すまないが頼めるか?彼の足のこともあるし、タクシーを手配してくれ」

「もちろんです!お任せください!」

その言葉を聞いて、芝山は安堵あんどした表情を浮かべつつシェアハウスを出ていった。

「よし、橘くん!さっそく読んでいこうか!」

「よろしくお願いします」

それから冴木の契約書読解講座は続いた。永遠は頭がパンクしそうになりながらも、冴木の熱量のお陰でなんとか最後まで読破した。

「橘くんお疲れ様だったね!短時間でこの量を読みきれたのは素晴らしいよ!」

「あ、あざした・・・」

冴木は嬉しそうに頷いていたが、リビングにかかっている時計を見てぎょっとした顔をした。

「大変だ!もう昼食の時間になってしまう!オムライスくらいなら作れそうだが、橘くんは嫌いじゃないかい?」

「いや、むしろ好きですけど、冴木さん気にせずに休んでくださー」

「それなら良かった!急いで着替えて来るから、少し待っていてくれ!」

冴木は永遠の返事を聞き終えないまま、自室に戻って行った。

「行っちまった・・・」

永遠が唖然あぜんとしていると、あっという間に冴木が戻ってきた。黒い服から学ランに着替えている。

「待たせたね!あと少し辛抱してくれ!」

冴木はピンクに熊のワッペンがあしらわれたエプロンを付けて料理を始めた。永遠は何か手伝えないかとキッチンまで移動した。

「なんか、随分可愛いエプロンっすね・・・」

美鶴みつるさんに頼んだら、このエプロンを頂いてしまったんだ。デザイン以外は問題ないから大切に使わせてもらっている。橘くんは足を痛めているのだから、座っていてくれないかい?」

冴木は永遠と会話をしながらも、手際よくオムライスを調理していく。

「てか、冴木さん制服着てますけど、今日高校行くんすか・・・?」

「これかい?美鶴さんと茅野くんから私服のセンスが酷すぎて、まだ制服を着ていた方がマシだと言われてしまったんだ。まぁ、任務の時は仕事着を着ているし、高校へ行くときは制服を着ているし、部屋着くらいはあるから、心配は無用だよ!」

「そ、そうなんすね・・・。そういえば、東櫻大附属って寮もありましたよね」

「あぁ。寮はあるんだが、任務に行くと門限をひたすら破ることになって、事情を知らない寮のスタッフの方から問題児扱いをされてしまってね。シェアハウスで厄介になっているんだ」

「実家は地方なんすか?」

「いや、都内にあるんだが、実家の人間関係がドロドロのぐちゃぐちゃなんだ。父親も体裁を気にする人だから、絶縁状態になってしまってね」

冴木ははつらつとした顔で答えた。

「ドロドロのぐちゃぐちゃって・・・。ほぼ初対面の俺に、そこまで言わなくて良いっすよ・・・」

「橘くんとは今後も関わることになるだろう?だったら隠す必要もない」

冴木は笑顔で答えた。永遠は柊が冴木を心配していた理由が分かった気がした。冴木は底抜けに良い人なのだ。でなければ、任務明けで雇用契約書の読破に付き合った挙げ句、オムライスを振る舞ったりしないだろう。

「さぁ、できた。温かいうちに食べてくれ!」

そう言って冴木はダイニングテーブルにオムライスを並べた。ひとつは柊へのものなのか、ラップをかけている。

「・・・あざっす」

永遠はオムライスを一口食べると思わず、「うまい」という言葉がこぼれた。

「うまいか。それなら良かった!君の家は定食屋だと聞いていたから、少しばかり緊張していたんだ」

冴木も席につくと、オムライスを頬張り始めた。

「何時から任務だったんすか?」

「今朝は4時から任務だった。でも仮眠をしていったから問題ないさ」

「大変じゃないんすか?しかも、助けても忘れられちゃうなんて・・・」

「僕は感謝してほしい訳じゃない。みんなが穏やかに過ごせるようになれば、それで良いんだ」

冴木は曇りない眼差しで永遠を見つめた。

「なんか・・・冴木さんってかっこ良いっすね」

「そうかい?ありがとう。なんだか照れるね」

「俺、ちゃんと考えますね。アルバイトのこと・・・」

永遠は昼食を食べ終わった後、冴木に付き添われながらタクシーで帰宅した。




「柊、遅い時間にごめんね」

シェアハウスのリビングに現れた一之瀬眞白いちのせ ましろは、柊に謝罪した。

「こっちこそ面倒かけてごめん。荷物のことすっかり忘れてた」

そう言いながら、柊は遠足に持っていったリュックサックを眞白から受け取る。

「今は他の人達はいないの?」

「ちょうど今、みんな出てて」

柊は眞白をリビングのソファに誘導して、自らも腰をおろした。

「体調はどうなの?」

「今日一日休んで、だいぶ楽になった」

「それなら良かった。柊が倒れたって聞いて、肝を冷やしたんだから」

「ごめん・・・」

「永遠のところには今朝行ってカバンを渡して来たよ。ほとんど物が入ってなかったけどね」

「永遠とは何か話したの?」

「困らせると思ったから深くは話してないよ。嘘をついているのが露見しないよう、一生懸命右上を見ないようにしてたし。でも・・・」

「でも?」

「遠足でカレーを作ってた時に、3年前のこと気にしてた」

「3年前の・・・」

柊は顔が険しくなっていく。

「・・・柊、この世の終わりみたいな顔してる」

眞白ましろが心配そうに柊の顔をのぞき込む。

「し、仕方ないでしょ」

「大丈夫だよ。よく覚えてないって」

「・・・そう」

「でも、柊が心配してるのは他にも理由がありそうだね?」

「・・・永遠が一緒にアルバイトするかもしれない」

柊はうつむいたまま小さな声で答えた。

「そっか。心配なんだね」

「一緒にアルバイトすると、思い出す引き金になり得るかもしれない。今朝会った時に予兆はあった。辛い記憶を思い出して、またあんなことになったら・・・」

「落ち着いて。まだ永遠が思い出すと決まったわけじゃないでしょ」

「そうなんだけど・・・」

「それに、柊がバイトをすること自体反対しないのは、理由があるからでしょう?」

「眞白にはお見通しなのね・・・」

「俺は今まで通り2人のことを見守っているよ。あの日から何も変わってない、俺にとって2人は大事な友達なんだから。大丈夫、俺は何も聞かないよ」

「――話せなくてごめんね」

「今でも月命日には花束を手向けているの」

柊は何も言わず目を伏せた。

「そっか・・・じゃあ、俺はそろそろ帰るね」

「玄関まで送る」

「良いよ。柊はもう休んで」

そう言って眞白は立ち上がり、リビングのドアに手をかけた。

「・・・俺は、少しでも柊の負担が軽くなれば良いって思うよ」

その言葉を残して、眞白はシェアハウスを後にした。


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