4-9(残酷描写あり)
「カブト! 意識を取り戻せ!」
俺はうつ伏せになってライフルを構えながら、泣きわめいている。アゲハさんが、カブトがモウセンゴケに貫かれてしまったと報告したのだ。俺はここからでは一部始終を見ることができない。しかし、一番奥のホームの屋根の下にあった、カブトの勢いが衰えているのが肌で分かった。
「カブト! まずいよ!」
アゲハさんも、カブトに向かって叫ぶ。
「え?」
力の抜けたような、カブトの声がした。
===
おい、なんだ……。なんだよこれ……。
僕は、僕の腹を貫いた細い触手を見下ろしている。白いシャツに血が滲んでいる。暗い電車の通路に、ぽたぽたと粘液と血液が混ざった液体が垂れている。いつかアゲハさんが言ったように、痛みは感じない。けれど、僕の心は、身体は、完全に恐怖に支配されてしまっている。
「ねえ、ちょっと、やだよ……」
声が震える。体全体に力が入らない。どうしたらいい? どうしたらいい?
僕は、このまま敗れるのか? キリを助けられないまま、僕までも絶望に落ちていくのか?
「だ、だめ……」
僕は右手に持っていた光剣を何とか力を振り絞って振り下ろし、モウセンゴケを切断する。
「あああっ!」
あっさりとモウセンゴケは焼き切れ、灰になる。僕は体を支える力を亡くし、座席が頭を受け止める形で倒れ込む。目が眩むほどの光を出す光剣は、通路に投げ出される。恐怖が、震えが、悪寒が、僕の身を包んでいく。ぽっかりと開いた体の穴から、まるで川みたいに血液が噴き出る。目の前に立っている視界の中の根っこが、僕の目に溜まった涙でぐしゃぐしゃに潰れていく。
「あ、ああ……」
僕は、ここで終わるのか? ちゃんとした最終回を迎えずに、バットエンドで終わるのか? みんなに夢を与えきれずに、不完全なヒーローとして終わるのか?
僕は、僕の非力さを恨んでしまう。悔しさが、身体に残った臓器からせりあがってくる。僕は何とか、両手で腹を抑えようとする。
くそっ! くそっ! くそっ……!
涙がだらだらと溢れ出る。なんて僕は弱くて、非力な人間なんだ!
段々と、自分が嫌いになっていく。自己嫌悪に陥っていく。これじゃ、このままじゃ、みんなに夢を届けられない! みんなが憧れてくれるようなヒーローにはなれない……!
ヒーローを信じてくれる、みんなの前で! 僕は何てざまなんだっ!
頭の中が、段々感情的になっていく。カッコいいヒーローになれない悔しさと、そんな自分への怒りと自己嫌悪、そして、キリがこんなことになってしまっている疑問も当然、僕の頭の中でぐちゃぐちゃと混ざっていく。
「がはっ!」
僕はガラス片と灰でぐちゃぐちゃになっている座席に吐血する。
「まずいよカブト! 撤退するんだ!」
アゲハさんがイヤホンマイクの中で声を上げる。
そんなこと言われたって……。どうしたら……。
クワの出す発砲音が響き渡る中、そう迷っていると、割れた窓ガラスから一本の黒い糸が伸びてくる。アゲハさんの口吻だと分かる。僕はその口吻に巻き取られ、引き摺られる。
===
俺はカブトが倒れた電車へと降下するアゲハさんを、ほぼやけくそで援護していた。焦り、怒り、畏怖、悔しさ、悪寒、心臓の震え。すべてを抑え、スコープの中を覗き込み、引き金を引いていた。もう、頭がどうにかなってしまいそうだった。
ホームの屋根に降り立ったアゲハさんは、やがて飛び立たった。カブトの体はアゲハさんの口吻に巻き取られている。宙に浮くカブトの体がスコープ越しに見え、息ができなくなる。
「カブトっ‼」
喉がぐしゃぐしゃになってしまいそうなほど叫ぶ。カブトの腹は、その奥の夜景が見えてしまうほどにぽっかりと穴が開いており、そこから駅のホームへと血液を垂らしていた。カブトはぐったりと頭を下げ、意識を失ったように目を瞑っている。
「僕は駅ビルの屋上までカブトを引き上げる! そこで何とか僕がカブトの回復をするから、援護を頼む!」
「わ、わかった……」
アゲハさんの声に、俺は震えた声で応答する。カブトとアゲハさんを狙おうと伸びる一匹の触手にライフルを向ける。がくがくと震える手と、涙のせいで狙いが定まらない。
「うっ!」
引き金を何回か引いて、やっと一匹に当たる。やがてアゲハさんが俺の視界から消え、俺のいる高度よりも上に昇ったのだと分かるが、俺はとあることに気づいてしまう。
「おい……。うそだろ……」
いつかアゲハさんが言った通り、このアニメは、通しで一生に一回しか見ることができない。だから聞こえてくる声は、初見の人達だけの声になる。
顔が青ざめていく。全身がドライアイスに浸かったみたいに冷えていく。
俺のライフルから出る光が、弱くなっている。スコープの先についている光のバロメーターが、じりじりと下がっていく。
そして俺には聞こえている。大勢の人達の騒ぎ声が。俺には見えている。ありえないほどの勢いで減っていく右上の数字が。
俺はスコープから顔を上げ、その声に集中してしまう。
……どうしよう! カブトが!
……ねえちょっと! なんてアニメ見てるのよ! 早く切りなさい!
……え! ちょっとなんで消しちゃうの⁉ ここから逆転するかもしれないのに!
……こんな非道徳的なアニメなんて、見ていいわけないでしょ⁉
……おい。何すんだよ母さん!
……このアニメ見ちゃいけないって、分かんないの?
……はあ、何言ってんだよ?
……あんたがこんなのばっか見てるから、あんたはいい子になってくれないのよ!
……おいお前なんてもん見てんだ!
……は? 勝手に何言ってんだよ親父!
……お前みたいなのがこんなの見てるから、現実との区別がつかないやつが出てくるんだ!
……はあ⁉ 偏見もそこまでにしとけよ‼
……最近アニメに触発されて、迷惑ばっかかける若者が増えてるのが分からんのか!
「おい……。やめろ……。やめてくれ……。なんでこんなことになってんだよ……」
……このアニメ炎上するなあ。
……世間が騒ぐのが楽しみだな。
……ははっ。今時こんな前時代的なアニメやってんの?
……はははははははははは! そうさ! こういうスプラッターな作品を求めていたのさ!
……最近のアニメは規制されてばっかだからね。
……刺されたカブト超シコいんだけど。
……いいねいいね。もっと、もっとやってくれよ。
「なんだよ……。なんだよこれっ!」
俺は泣きわめく。もうどうしようもできないくらい、川が氾濫していくみたいに様々な言葉が飛び交っている。
純粋な気持ちで見てくれる人たち。視聴をやめさせようとする大人たち。残酷な描写に素直に泣きわめく子供たち。評論家のような言葉を並べ立てる人たち。その中に混じる社会的少数派の人たち。よくやってくれたという賞賛の言葉。子供に悪影響だという批判の声。あくまでこれを娯楽として楽しむ人たちの声。数えきれないほどの偏見と罵倒。言い争いの声。
「おねがいだから……。お願いだから。もうやめろっ!」
俺が何を叫ぼうと。俺みたいなちっぽけな人間が訴えようと、勝手に飛び交う炎を覚ますことなどできない。偉そうに、自分勝手に、分かったような口をきく人間たちの声を静めることなどできない。
ここには、ヒーローを信じたい人間が、このアニメを楽しんでくれる人間が集まっていたんじゃなかったのか⁉ 作品として楽しんで、俺達を見たい人達だけが応援してくれていたんじゃなかったのか⁉ それなのに! それなのに!
どうしてこんなことになってるんだ!
こんなことで、俺達ヒーローの力が弱まっていくのか⁉
「あああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼」
もう……。もう嫌だ。こんな社会が。変に斜に構えようとする社会が。いちいち言われなくても分かるようなことを偉そうに並べ立てる社会が。お互いの価値観を押し付け合う社会が。もうこれ以上、どう言葉にしたらいいのか分からない不満で飛び交う、この世界が。
俺はガラスの外に、手に持っていたライフルを浮かせる。後ろに下がって、フィンガーレスグローブをはめた右の手のひらを広げる。
いいか。いいか俺。この状況で出せるだけの力を、ありったけに振り絞るんだ! 全てを消し飛ばすほどの力を!
「お、おい! 何してるんだ⁉ クワ⁉」
駅ビルの屋上に降り立ったアゲハさんが、イヤホンマイクの中で叫んでいる。俺は叫ぶ。
「あいつをやっつけるんだ! ライフルを巨大化させて、全部消し炭にしてやる!」
「ダメだ! この状態でそんなことをしてしまったら、クワの意識が持たなくなる! 体の回復ができても、意識の回復は手に負えない! 戦闘不能になってしまうぞ!」
「それでもやるんだ! やらなきゃダメなんだ!」
俺は泣き叫ぶ。俺は知らなかった。こんなことに、社会がなっているなんて。もう、俺は怒りが抑えられない。俺は、覚悟を決めたんだ。
「うっ、うううっ‼」
ライフルが、俺の怒りを表したみたいに、電気を放ちながら巨大化していく。暴風が発生し、俺のパーカーや髪が靡く。店内の机や椅子が後ろに吹き飛んでいく。それでも俺は、この白い床に足をつける。
心臓が、どくどくと跳ねる。気だるさが、俺の頭を包み込んでいく。それでも右腕をしっかりと抑え、ライフルに向かって力を振り絞る。
……。
今だ。
「いっけええええええええええええええええええええええっ‼」
瞬時に、爆音が鳴る。あたり一帯が、まるで昼になってしまったのかと思うほどに光であふれる。巨大な光線が、駅ビルのガラスから電車の中に斜めに発生している。溶けてしまいそうなほどの熱を体が帯びて、目がくらんでいく。
あああああああああああああああああああああああ!
咆哮を、モウセンゴケが上げる。俺はそれを爆音とホームの様々なものが壊れていく音の中で微かに聞き取る。
やがて光線は消え、電車が止まっていた場所に、綺麗に大きな穴が開いた。ライフルは収縮し、線路に落ちていく。建物の断面はただれたように赤く、黄色く溶ける。線路に投げ出された電光掲示板や、火花を散らす電線、消灯していく電気の光が見える。
モウセンゴケは、抹消されていた。穴の奥底には、溶岩のようになった液体の中に沈んでいく少女。
あいつは、キリなのか?
そう思うが、俺はこれ以上ない気だるさ、身体の重さを感じ、その場で倒れ込んでしまう。まぶしい天井を見つめ、俺は思う。
……ごめん。ごめんな? カブト。
意識とは全く反対に流れ出てくる涙を、かっこ悪いなと悔しがりながら、俺の意識は昏倒してしまった。
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