第四章 ちょっとだけ過去と未来の人

4-1

 目を覚ますと、そこはいつもの僕の部屋。お母さんの車を出す音で心が安らぎ、僕は布団から身を起こす。朝食を準備して、いつものように自分の部屋のテーブルで食べる。最近ヒーローの任務で忙しかったからなのか、アニメを見ていなかったなと思い、僕はお父さんから借りたDVDをクローゼットから出し、再生していた。


 やっぱりこの時間が、一番自分が自分でいられるなと思う。


 目玉焼きをかじりながら、頬に何かがこびりついている感触がして、僕は頬に触れる。そうか、僕は寝る前に、泣いていたんだ。


 今ではもう、すがすがしいくらいに気分がすっきりしている。日差しも明るく、まるで僕を優しく励ましてくれているみたいだった。この部屋にガンガン効いた冷房も、僕の心を和ませてくれた。バトルアニメの内容は、なんてことないただの日常シーン。男主人公が、ヒロインの風呂を覗いてしまうラッキースケベというやつ。見ていて特にそう言う感情はわかないのだが、僕はとあることを思い出し、アゲハさんを呼んだ。


「ねえ、アゲハさん」


「なんだい?」


 窓の日差しからアゲハさんが現れ、テレビの上に止まる。コントローラーで再生を止め、僕は訊いた。


「戦いのときさ、僕、粘液に捕まって、それで……」


 そんな僕の様に興奮していた大人がいた、とは言い出しづらかった。その時を思い出し、僕は複雑な心境になる。


「ああ、そのことかい。あれは少し危なかった。僕があの時キリを呼ばなければ、君達がやられているシーンは長くなっていただろうね」


 そうなんだと思い、僕は俯く。今まで、敵にほぼやられることなく進んでいた僕達。しかし今回は、敵の思惑通りに動かされてしまう場面があった。漫画やアニメで見るヒーローは、敵にやられずに最終回を迎えることなんてありえない。だから、今回のことは、一種の通過点みたいなものなのだと思った。ヒーローが苦戦するのは当たり前だ。でも、社会の大人たちの中にはその様子を見せるのを許さない人がいる。


「あれは、性暴力的な場面として見られる可能性があった、ってことだよね……」


「そうだね。あのシーンが長く続いていたら、一部の大人たちは子供にアニメを見ないように言ったかもしれない」


 僕はきっぱりというアゲハさんを見上げる。どうしてなのだろうと、僕は不満を覚える。


 どうして都合のいい大人たちは、綺麗なものしか見せたがらないのだろう。


 あの時僕はモウセンゴケに捕まって、確かに気持ちが悪かった。でも、このことは創作として世に出されているのだ。敵にやられることがあっても、その様子に性的感情を抱くような人がいても、それは普通の事ではないのか。僕は、そう思った。

 

「僕、あの時、その様に興奮している大人たちの声が聞こえたんだ……」


「怖かったのかい?」


「怖くはあったけど、アニメになっている以上しょうがないことだし、それに、そんな一つの場面で、人が救えなくなってしまう方が、僕はよっぽど怖い……」


 僕はまた俯く。これが、僕の本音だ。


「……君は本当に優しい人間というか、いや、凄い人間だね」


 そう言われて僕は、またぱっと顔を上げた。アゲハさんの本心のようなものに、少しだけ触れたような気がしたから。


「普通ならば、あそこで君は恐怖を植え付けられたり、君に興奮した大人たちに怒りを覚えてもおかしくはないと思うのに」


「そんなこと、言うつもりはないし、怒ってなんかもないよ……。そんな甘い気持ちで、僕はヒーローをやろうとは思ってない」


 そうだ。僕はヒーローなんだ。この世界に希望を与える存在である分、この世界の複雑な部分だって、目にカビができてしまいそうなくらいに見ていくんだ。こんなところで、ヒーローがくたばっていいわけがないんだ。


「さすがだよ。でも、少しは自分自身を大切にすることだ。自分の身が持たなくなってしまうのが、一番危険なことだからね」


「……そうだよね」


 アゲハさんの言葉に、僕は頷いた。その言葉は何よりも大切なもので、大事にしなければならないものだった。自分が希望を持たないで、誰にどんな希望を与えられるというのだろうか。


 ===


 僕は朝食を食べ終え、クローゼットに隠したジャケットと短パンに着替えた。戦闘衣装によく似たこの服に、僕の心は無邪気に跳ねていく。やっぱりこの姿じゃないとな! と、等身大の鏡に向かって明るい顔をする。次は例のシューズでも買いにいこうかな、なんてことを思う。靴屋なら、そこまで行くのに抵抗はない。まあ、お小遣いが溜まればの話だが。


 僕は前のアパレル店員のテンションを思い出した。嘘のないきらきらした目。多分僕の戦闘衣装は、誰から見てもカッコいいのかもしれない!


 三十分くらいだろうか、その服装のままクーラーの効いた部屋で宿題をしていると、ぴんぽんとインターホンが鳴った。宅配便かな、と思い、僕は玄関に出てドアを開けた。


「あ……」


 まぶしいくらいの外の景色と一緒に、そこに立っていたのは、涼しそうなカーディガン姿の、桐谷礁子だった。礁子はにこっとこちらに笑顔を向け、言った。


「おはようございます。ちょっと、お茶でもして話しませんか?」



 

 


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