3-3

 僕はお父さんの家で、いつものように昼食を食べ、漫画を読んだりアニメを見たりして過ごし、五時になって電車に乗った。ホームを歩きながら、二日連続でハンバーガーショップに行くのは気が引けるな、と思い、久しぶりにカレーでも作ってみようかなという気になった。


 僕は駅の中のスーパーで必要な具材を買いながら、このジャケットと短パンで外を歩いているという特別感に浸っていた。いや、特別じゃない! この服は僕のものなのだ! と僕は即座に思い直す。自分の服に愛着を持つなんて、人生で初めてかもしれない……。


 しかし、こうやってお肉のコーナーで賞味期限を確かめているうちに、パックを手に持ったままボーっとしていた。


 そして不覚にも、背後から近づく気配に気づかなかった。


「佐凪くん、お買い物?」


「びゃあああああああああ⁉」


 僕は両肩をびくっと上げて叫ぶ。マジでやめてくれよ桐谷礁子! ていうかどこにでもいるな桐谷礁子! 


「もー、なんでそんなにビビるかなー……」


 振り返ると、そこには銀色のカチューシャと赤色のヘアピンを付けて、右肩に三つ編みをかけた不服そうな表情の桐谷礁子の姿。夏休みで学校から解放されたような、白色のシャツに涼しそうなカーディガンが腹立つほど似合う。


「急に後ろから声かけんなよ……!」


「じゃあどうやって声かければいいのよ……」


 そりゃそうだけど……。そっか、勝手に自分の世界に入り込んでた僕が悪いか……。


「て、てか今日で二回も会ったな……」


 さっきまでの自分が何だか恥ずかしくて、僕は話を逸らす。


「ふふっ。奇遇だね」


 ほんとに……? まだ僕の中での、奇行女・桐谷礁子のレッテルは剥がれていないからな!


「ねえ、買い物済ませたら、帰りながらお話ししない? 帰り道途中までは一緒でしょ?」


「……まあ、いいけど」


 まあ、あたりが強い感じで話していたけど、そう言われると断りづらい自分がいたのだ。今僕が分かったこと。僕は押しに弱い。


 ===


「いや、最初はなんか話しかけにくいなって思ってたんだけど、佐凪くんって面白い人なんだね」


 そんなことを言って礁子は笑顔を向ける。

 街の景色が薄暗くなりはじめ、明かりがともり始める住宅街の坂道を僕達は買い物袋を下げながら歩いていた。ちまちまと立つ、虫が群がった電灯が、コンクリートの表面を明るくする。礁子と話して、僕が周りからどのような目で見られているのか、少しわかった気がした。


「そう言えば、今日の朝に買ってたジャケット、さっそく着てるね。それ、佐凪くんに結構似合ってるよ」


「そ、そう……」


 そう言われて僕は素直に照れてしまう。いつもの僕の悪い癖……。しかも女相手だから、どう距離を保てばいいのか分からない。


「しょ、礁子はどうしてこんな時間に買い物してたの?」


 話をすり替えたくて、名前を声に出すのを躊躇いながら訊いた。


「いや急にね、お父さんが帰り遅くなるから、好きに弁当でも買って帰ってきてって電話してきてさ」


「お母さんは?」


「離婚してるよ」


 さらっと礁子は言う。お門違いだとはわかりつつ、僕は父子家庭である礁子が羨ましくなった。


「佐凪くんはどうしてお買い物?」


「あ、えっと、僕、いつもお母さんが帰ってくるの遅いからさ、いつもご飯は僕が作ってるんだ」


 すると、礁子は目を丸くして言った。


「え? 佐凪くん料理できるの?」


「うん……」


 礁子のきらきらとした眼差しに、僕は引き気味に答える。


「えー、凄いな! 私こう見えて料理てんでだめだから、普通に尊敬しちゃうな」


「でもさ……」


 そう言いかけて、やめた。礁子は足を止めた僕を振り返り、佐凪くん? と声をかける。無意識に袋を握りしめる手が強くなる。僕は、こんな家庭で育って、いつの間にか料理ができている自分に対して、複雑な感情になっている、みたいなことを言おうとした。もう少し誰かに甘えたかった、みたいなことを礁子に言ってみたかった。でも、そんなことをここで話すべきじゃないと思ったし、家庭の事情に突っ込む話はしないほうがいいとも思った。


「ううん、何でもない」


 僕はそれだけ言って、礁子と並んで歩き始めた。思ったより、変な女ではなさそうだ。まだ僕を追っかけた理由は分からないけど……。


 ===


 テレビでは、テニス選手のインタビューがあっていた。どうやら最近話題の選手らしく、今あっている大会でも大活躍だったらしかった。


 僕はリビングで、鍋に油を引きながら、特に興味のないその選手のインタビューを聞き流していた。


「優勝の秘訣は、何だったと思いますか?」


「やっぱり、コーチや友達、応援してくださる皆様だったり、そういう支えてくれる存在がいたからだと思います。そして、僕の夢を後押ししてくれた人だっていました」


「その人とは?」


「ここで言うのは恥ずかしいので……」


 そこで、テニス選手は言いよどむ。テレビの中で、もしかしたら彼女さん? みたいなほほえましい雰囲気が流れる。テニス選手も恥ずかしそうにしている。ああ、寂しさまぎれにテレビなんてつけるんじゃなかったと、今更に後悔した。


 僕はテレビを消して、切った野菜と鶏肉を炒めていた。嘘みたいにリビングが静まり、鍋が奏でる音に心が安らいでいると、目の前の、豆苗を育てている窓枠にアゲハさんが止まっていた。夜に蝶を見ることなんてないから、暗くなったすりガラスを背景に止まる蝶という光景が奇妙に見えた。


「おお、カブトは料理中か」


「え、何? こんな時間に」


 僕はアゲハさんを見下ろしながら訊く。


「いや、君に伝えたいことがあってね」


「伝えたいこと?」


 そう訊くと、アゲハさんは少し期待させるように、溜めてから言った。


「なんと、クワと会うことができるようになったんだ!」


 


 

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