第8話

「このメガネはね、あの子の生命線なんだよ」

 表面の細かい傷を磨き取ったあと、父は柔らかい布を持ち出して最後の仕上げに取りかかった。

「このメガネがないと、あの子は気が狂ってしまう。人には見えないものを、あの子は見てしまうんだ。見えすぎると、あの世とこの世の境がはっきりしないで、あの子の頭がおかしくなる。だから、このメガネをかけてこの世のものだけが見えるようにしているんだよ」

「見えるのは…幽霊?」

「人はそう言う。でも、彼らに見えているものが何かはわからない。何しろ、こっちには何もみえないからね」

 夕暮れの公園で、美月の目にはひとりでに揺れるとしか見えなかったブランコには誰かが乗っていた。校庭の隅の飼育小屋で、スメラギは誰かにむかって笑いかけていた。どちらの場合も、スメラギは笑っていた。

 美月の体にとり憑くもの、得体の知れないものにむかって、スメラギは笑顔をむけていた。美月の周囲の大人がその存在を恐れ、美月自身も、その正体に興味を抱きつつも恐れていたものにむかって、スメラギは笑顔をみせていた。

 そう悪いものでもないらしい ― くるぶしを締めつける数珠の存在感が少し軽くなった気がした。

「…閻魔王も見えるのかな?」

「あの子がそう言った?」

 美月はこくりとうなづいた。

 「じゃあ、見えるんだろう」

 子ども騙しのお話なんかではなかった、閻魔王は存在するのだ。急に背筋がピンとのびた。

 昼間、スメラギを悪者に仕立てようとあることないことウソをつきまくっていた連中は舌を抜かれるのか ― そうおもった瞬間、美月はあっと声をあげそうになった。

 スメラギに、握りつぶされそうなくらいに手首を掴まれていなければ、美月が同じことをしていた。自分ではウソと意識していなかった(意識しないようにしていた、というのが正しい)が、スメラギが日頃どれだけ、いじめられ、生まれつきの白髪をからかわれていたか、少し大げさに話してやろう、何だったら、話を作ってもいい。頭に血がのぼっていた美月はそう考えていた。

 スメラギを庇うにしても何にしても、作り話をすれば、それはウソをついたということになる。スメラギが目で圧していなければ、美月もまた、いじめグループの連中と同じ、ウソつきになりさがっていた。

 守ってくれたってわけだ ― 二度とウソはつくまい、美月は幼心に固く誓った。



 翌日、美月は、父親に直してもらったメガネをそっとスメラギの机のなかにしのばせた。

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