幼馴染に愛される

勇者の一行が魔王城を目指して森の中を歩いていると、ふと狼の群れに囲まれてしまった。勇者たちは即座に戦闘陣形を整える。近接の得意な戦士3人が360度どんな方向から攻撃されても対応できるように一定の間隔を保って立ち、その三角の中心に遠隔攻撃の得意な魔法使いと治癒魔法が得意な勇者が立った。

戦闘は有利に進んだ。

戦士たちが剣や斧といった武器を使って狼たちを薙ぎ払い、生まれた隙を利用して魔法使いが詠唱し、特大火球魔法を次々狼の群れにぶち込んでいった。そもそも狼などは旅の道中で何度も戦ったことのある相手なのだ。勇者が仲間に治癒魔法を使う必要すら無い。仲間たちの奮闘によってあっという間に、狼たちを全滅させることに成功した。

そうして皆が臨戦態勢を解く。油断する。

その油断が命取りであった。

勇者の近くに転がっていた狼の亡骸の一つが膨張を始めたのである。それは急速にでかくなり、やがて狼の身体は真ん丸の巨大風船のように膨らんだ。この狼は森に潜む寄生植物の一つに寄生されていたのである。そうした寄生植物は宿主の死後、子孫を残すために宿主の身体を爆破させる。


「勇者様‼」


仲間たちが咄嗟の事で判断が遅れる中、大柄な戦士がそう叫び、彼を庇うように両手を広げ前に立った。

その直後、球体だった狼が破裂した。

中から無数の種子と骨片が弾丸のように弾け飛び、大柄な戦士の身体へと容赦なく大量に突き刺さる。皮膚が切り裂かれ、肉が抉られる。それらは人間ならば一発もらっただけでも致命傷になりかねないが、大柄な戦士は勇者を守るために壁となって一身で受け止めた。

やがて彼は仰向けの姿勢で倒れた。

生気の無い目は半開きのまま、全身は蜂の巣のように穴だらけで裂傷も酷く、身体の至る所から出血し、首に幾つも通る大小の血管や腹に収まった臓器が外から見えていた。


「待っててっ。 今、助けるからっ」


慌てて駆け寄った勇者が彼の胸元に手を当てて治癒魔法を唱えた。だが息を吹き返すことは無い。治癒魔法は傷を癒す事は出来ても命を蘇らせる事は出来ない。そして彼の心臓は既にズタボロになっている。彼はとっくに、死んでいる。


「大丈夫だから! 絶対……助かるから……」


勇者は涙目になりながらそれでも諦めずに治癒魔法を掛け続けた。気付けば周りには仲間たちが囲むように立っていた。そのうちの一人、彼の幼馴染で戦士でもある短い青髪の女性が彼を後ろから抱きしめた。


「もうやめよう。彼はもう死んでいるよ」

「いや、まだ……」

「死んでいる」

「……くそぉ……くそぉっ」


勇者はがくりと項垂れた。




獣たちの不気味な鳴き声が響き渡る夜の森。勇者たちはそこでテントを張り、野宿を行っていた。外ではパチパチと焚き木が燃えている。これが肝心である。勇者が祈りを込めた炎は森の生き物たちを寄せ付けない。逆にこの炎が消えることがあれば、勇者たちはたちまちに魔物たちに襲われることになるだろう。しかし誰もが戦闘と長旅で疲弊していた。そのため皆で交代で炎の見張りを行った。

今は勇者の番だった。

膝を抱えて地面に座り、揺れる炎をじっと眺めていた。

脳裏にしつこく思い起こされるのは自分を庇って死んだ仲間の姿である。危険に気付くのが遅れた自分のせいで仲間がボロボロになって無惨な死を遂げた。今回だけではない。今まで何人もの仲間が彼の為に犠牲になっていった。勇者は何十人もの死体の上に立っているのである

それもこれも全て勇者が神に選ばれた“唯一”の人間だからに他ならない。勇者は身近な4人だけに、魔物に対して有効なダメージを与えることが可能になる聖属性を付与することが出来た。そのため魔王軍に人間の領地が占領されかかっている今、勇者は絶対に死なせるわけにはいかず、次の街に着けば死んだ仲間の穴埋めをするように国が用意した新たな旅の志願者が必ず現れた。そしてきっとまた自分のせいで仲間が、死ぬ。

補充される。

死ぬ。

補充される。

死ぬ。

これではまるで死神と一緒だ。自分の、勇者の存在が、仲間の死を招くのだ。自分と旅をしなれば、もっと長生き出来た筈なのに。自分が皆を死なせてしまった。

みんな俺の事を恨んで死んでいったに決まっている。

地獄に引きずり込みたいに決まっている。

勇者の思考はどんどんとネガティブなものになっていった。

気付けば、炎の明かりを取り巻くように広がる闇の中に、死んでいった仲間たちが何人も立っていた。彼らはウロのような真っ黒な穴の開いた瞳を勇者に向け、恨みを呟く。


「殺してやる」

「地獄に落ちろ」

「お前さえいなければ」

「早く死ね」


勇者が耳を塞いでもそれは呪詛のように直接脳に流れ込んできた。彼は身体をがたがた震わせ、ただ謝った。「ごめんなさいっ。ごめんなさいっ」。謝ったって誰も許しはしてくれないが、そうでもしなければ罪悪感に押しつぶされてしまいそうだった。


「火を消せ」


亡霊の中の誰かが言った。その言葉は、次々と周りに伝播し、声はどんどんと重なりを帯びていく。


「「火を消せ」」

「「「火を消せ」」」

「「「「火を消せ」」」」


言葉が意識を塗りつぶす。火を消さなければならない、火を消したいという衝動に駆られる。

間違った選択である。

火を消したら森の魔物たちに襲われて確実に全滅する。

それでも。

それゆえに。

もう、旅を続けなくて良くなるのなら!

命を背負わなくて済むのなら‼

それは甘美なる誘惑で。彼は、それを求めた。

心臓が早鐘を打つ。

右手を伸ばす。

呼吸が荒くなる。

手の平を炎に向ける。

冷や汗が垂れる。

呪文を読み上げていく。

終わる。終わる。これで終わる。

全て、終わる。

そうして。

彼が呪文を読み終えようとした、その瞬間。


「よっ」


誰かに後ろから背中を叩かれ、驚いた彼は呪文の詠唱を途切れさせた。

振り返ると、青髪のボーイッシュな少女がそこに立っていた。

勇者の幼馴染であった。





勇者にくっつくようにして彼女は隣に座る。彼女は持ってきたブランケットで自分と勇者の身体を覆った。


「そろそろ交代の時間だと思って来たんだけど」

「……」


彼は絶望していた。

顔を俯かせて、彼女と目を合わせることが出来なかった。当然である。彼がやろうとしてい事は今まで共に旅をしてきた仲間たちへの裏切りに他ならない。沢山の命で繋がれてきた魔王討伐への旅を道半ばで終わらせ、仲間諸共、森の獣たちの餌になろうとしたのである。自分の命に危機をもたらす人間を、誰が許すだろうか。

許される筈がない。幼馴染だとしても、それは変わらない。

彼は身体をガタガタと震わせる。唯一、自分の事を勇者では無く、一人の親しい友として接してくれる幼馴染だけには自分の元を離れて欲しくなかったのだ。

彼はそんな切なる願いを込めて、その表情を確かめるように顔を上げて、彼女を見た。

彼女は、微笑んでいた。


「火を消そうとしたんだよね?」

「……うん」

「いいよ」

「え?」

「君が望むなら火を消して、旅を辞めたって構わない」


彼女は女性にしては少し低く、一切の含みの無い純粋な声でそう言った。

彼は、ひどく困惑する。怒りや憎しみと言ったネガティブ感情をまるで向けられなかったのもそうだが、何より、彼女の言葉の意味するところは“君になら殺されても良い”ということだ。

そんなの、普通じゃない。

彼は思わず尋ねた。


「どうしてそんなことが言えるんだ?」


彼女はその言葉を聞くと、勇者の頭を抱え込むようにして抱きしめて、呟いた。


「僕はどんな時でも君の味方でいるって決めているから」


彼女は昔話を読み聞かせるように滔々と語り始めた。


「覚えているかい? 今から10年くらい前の僕たちがまだ幼かった頃。村の守り神の為に、祭壇の上に供物として捧げられていた黄金のリンゴを、僕が盗んだという疑いが掛けられたんだ」

「……そんなことも、あったかも」

「うん。あれは、実際は濡れ衣だったんだけど、村のみんなは勿論、両親でさえも僕を信じてくれなかった。誰もが敵に見えてひどく辛かった。でも君だけは僕を信じてくれた。“お前がそんなことするはずない”ってそう言って村の人たちに説得してくれたし、罰として蔵に閉じ込められていた僕に会いに来ておやつを分けてくれたりした」

「……あまり覚えていない」

「それでもいいんだ。とにかく僕はそれが、とっても、とっても嬉しかったんだ。だからその時僕は誓った。恩返しじゃないけど、僕はこれから先何があってもずっと君の傍に居て、君の味方で居続けるって」


「だから必死に鍛錬を積んで、村一番の剣士になって、君と共に旅に出られるように頑張ったんだ」


「そもそもみんな酷いよね。君が勇者に選ばれたからって見送るばかり。僕らは命を張ってるのにね。無責任な奴ら。だからあいつらは君が旅を辞めたって非難する権利はないよ」


「だから、君が望むなら火を消したって構わない。それで死ぬことになったって構わない。旅を辞めたってかまわない」


「僕は君の意思を、全てを、肯定する」


彼女は真っ直ぐな瞳でそう言った。嘘偽りの無い深海のような綺麗な青い瞳だった。

彼女の腕から解放された。

彼の瞳から涙が零れた。自分の全てを受け入れてくれるその優しさや温かさがとても嬉しかった。

ただ嬉しかった。

だが、それでも。


「それでも……俺は……旅を辞められない」


彼は惨めな顔で涙声で、そう言った。

自分たちは仲間の死を、平和への願いを背負って旅をしてきたのだ。道のりが辛くとも、彼らの想いを無駄にすることなど、できる筈も無かった。


「そうだよね。君は優しい人間だもんね」


彼女は呆れたように、それでいてとても嬉しそうに頬を緩めて笑った。

そのまま彼女は腕を回して、泣いている彼に肩を貸した。


「最後まで付き合うよ。死ぬまで僕は、君の味方さ」


彼は彼女の肩に顔を埋めて泣いた。







星が降る夜空の下。

二人はブランケットに包まれている。

彼は泣き疲れて彼女の肩に頭を預けて寝息を立てていた。

彼女はその涙を指で掬うと、まぶたにキスを落とした。


「大好きだよ」


静かにつぶやいた。

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