第10話

 来栖彩が新人として入職して来たのは、僕がここに務め初めて一年が経った頃でした。

彼女は社会人一年目で、まだどこか少女のような面影が残っていました。

明朗快活で、素直な性格の彼女は、社員からの印象もよく、すぐに皆と打ち解けていました。


彼女は、業務で分からないことがあるとよく僕に質問しに来ていました。彼女には花宮さんが教育係として付いていましたが、一番歳の近い僕の方が聞きやすかったんでしょう。


僕にとっても初めての後輩でしたし、悪い気はしませんでした。妹が出来たみたいで楽しかったんです。


でも、彼女のほうは僕のことを兄のようだとは思ってなかった。


彼女が僕に対して恋愛感情のようなものを抱いているのは、何となく気づいていました。

その事に気付いてからは、僕は無意識に彼女を遠ざけるようになっていきました。


彼女に好かれること自体は別に嫌ではありません。ただ、個人的な理由があったのです。


しかし、彼女にとってそれはたいへんな苦痛だったようです。今思えば、残酷なことをしました。


「先輩、どうしてですか? どうして私を避けるんです!?」

あの日の晩、街中に呼び出された僕に、彼女はそう僕に問い詰めてきました。

大きな両の瞳で、彼女は僕を見据えていました。

「私、先輩に何か悪いことをしてしまったんでしょうか? だったら謝ります」

「いや、君はひとつも悪くなんかないよ」

「じゃあ、どうして会社で私を遠ざけようとするんですか?」

「 今まではどんなことでも教えてくれたのに、最近はすぐ花宮さんに聞くようにって」

「だって、花宮さんは君の教育係だろ?」

「それだけじゃなく、私が話し掛けても生返事ばっかりで……変じゃないですか」


「私が……、先輩のことを好きになるのは、いけないことなんでしょうか……」


彼女は引き絞るようなか細い声で、自分の気持ちを打ち明けました。


僕は心の中で決心しました。彼女に事実を話そうと。それが彼女に対する最大限の優しさだと思ったからです。


「想っている人がいるんだ……他に……」

彼女は、あまり動じていませんでした。きっとある程度予想していたんでしょう。

「付き合っている人がいるんですか?」

「いや、付き合ってないし、向こうは僕には無関心だろう」

「同じ職場の人ですか?」

「そう」僕は正直に答えました。


「花宮さんですか?」

顔を上げ、彼女ははっきりと言いました。

「なぜ?」

「分かります。先輩が私の気持ちに気付いたように、私も先輩を見ていて気付いたんです」

僕は少し驚きました。気持ちを見透かされていたのは僕のほうだったんですから。


「ごめん……」

「謝らないでください」

彼女の瞳はいつの間にか涙で溢れていました。


「理由が分かって、よかったです。これからは私も距離を置くようにします」

「邪魔になったらいけないですから…」

それだけ言うと、彼女は足早に去ろうとしました。


「待って、そんなつもりじゃ……!」

僕は彼女を追おうとしました。それにあわせて、彼女も駆け出そうとした。その時です。


彼女は降りかけていた階段から足を踏み外しました。涙で視界が悪い上に、靴は仕事用のヒールのままだったので、足を滑らせたんでしょうね。

彼女はそのまま階段の一番下まで転げ落ち、アスファルトに激突しました。

ゴツッ、という鈍い音が聞こえて、直感的にマズイと思いました。


僕は急いで彼女に駆け寄り、呼び掛けましたが、ピクリとも動きはしませんでした。


僕は救急車を呼ぼうとスマホを取り出しながら、同時に人を呼ぼうとその場を離れました。

そこでちらりと視界に映ったんです。反対側から歩いてくる花宮さんの姿が。

僕は咄嗟に隠れてしまいました。

本当は、助けを呼ぶのが第一でしたが、僕はこう考えてしまった。


今の状況を花宮さんが見たらどう考えるか……と。


夜遅くに彼女と二人で居り、しかも彼女は負傷している。

あらぬ疑念を花宮さんに持たれてしまう。それだけは避けたかった。


そうこうしていると、あろうことか来栖さんは意識を取り戻し、その場から立ち上がりました。



来栖さんは、すがるような表情で僕の方へ歩んできましたが、頭を打ったせいかほとんどまともに歩けてはいませんでした。


丁度花宮さんが通りかかった時、力尽きたのか、再びその場に倒れ伏しました。


花宮さんは驚いた様子でしばらく彼女に呼び掛けた後、おもむろに彼女に肩を貸し、一緒に歩きだしました。


僕はとりあえず花宮さんの後を着いていくことにしました。後をつけたところで何か考えがあるわけではありませんでしたが……。


花宮さんは彼女を自宅のアパートまで連れ帰りました。

僕はその様子を見ながら、頭を抱えました。

こんなことならあの時、花宮さんの前に躍り出て一緒に来栖さんを助けるべきだったと。


僕が後悔に苛まれて何時間もその場で動けずにいると、花宮さんが部屋から出て来ました。


両手にゴミ袋を抱えながら。


花宮さんは車にゴミ袋を満載にすると、すぐどこかへ去って行きました。

行き先が気になった僕は、急いでタクシーを捕まえ、後を追いました。

暫く走ると近くの山道の入り口に、花宮さんの車を発見しました。


車に花宮さんは居なかったので、僕は山道を上がっていくことにしました。


花宮さんは案外すぐに見つかりました。

スコップを使って一心不乱に穴を掘っている花宮さんの姿は、正直に言って異様でした。


やがて出来上がった穴の中に、持って来たゴミ袋を放り込み、埋め立て初めました。


僕は何が何やら訳が分からなかった。

ものすごく大掛かりな不法投棄とかでもない限り、こんな夜遅くに山で穴を掘るなんて考えれませんから。


作業を終えた花宮さんは、疲れた様子で山を下って行きました。

陰から覗いていたぼくは、急いで穴のあった付近まで行きました。

穴は綺麗に埋め立てられてましたが、使っていたスコップがそのまま置き去りにされていました。

僕はそのスコップを掴むと、足元を掘り返しました。

確証があった訳ではありませんが、花宮さんの異様な行動から、頭の隅に嫌な考えがよぎったんです。


結果として、僕の予感は当たっていました。いや、それ以上だったと言えるでしょう。


僕がゴミ袋を掘り返し、中を開けると、何やら生臭い臭気と共に、白い棒状のものが二本入っていました。

それが人間の両腕であると気付いた時、僕は絶句しました。


花宮さんが埋めていたのは、ゴミではなく、人間の死体だった。

僕は全身から血の気が引いていくのが分かりました。

それでも、僕は震える手で二つ目の袋を開けました。この死体が一体誰なのか知りたかったんです。

二つ目の袋の中身は、なんだかゴチャゴチャしていてよく分からない状態でした。

黒っぽい糸のようなものと、白っぽい硬いものがくっついていて、後は赤黒い泥のようなもので満たされていました。


僕は恐る恐るスマホのライトで中身を照らして見ました。


黒い糸のように見えたのは、人間の頭髪でした。長さからして女性だと分かりました。

そして、それにくっついていたのは硬い頭蓋骨だった。

僕は赤黒い泥の中に何か沈んでいるのに気がつきました。

ラグビーボールくらいの大きさのそれを、ゴミ袋の中から引っ張り出しました。


僕はそれを見て絶叫しました。

それは来栖彩の頭部だったんです。しかも、頭の上半分が切り取られ、中身が抜かれていました。

僕はあまりのショックでその場で嘔吐しました。それでも絶叫を止めることは出来ず、嘔吐しながら叫んでいました。


叫びながら、僕の頭の中では様々な疑問が渦巻いていました。


何故来栖さんは殺されているのか。

何故頭の中身が抜き取られているのか。

何故来栖さんを殺す必要があったのか。

殺したのは花宮さんなのか。


自分はこれからどうすべきか……


そんな疑問を振り払うように、僕は再び彼女の死体を埋め直しました。

僕は決心したんです。



「花宮さん、あなたの秘密は僕が守る」

津田はひとしきり語り終えた後、陽子の眼をじっと見て言った。






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