【失踪済】機巧妹マキナ

望月祐希

倒産

 会社が倒産した。

 

 私の名前は枯野 緋秋かれの ひあき。勤めていたブラック企業がついさっき倒産して無職になった、なにかと幸が薄い20歳の女の子だ。

 ブラック企業が倒産というと喜ばしいことのように聞こえるかもしれないけど、私の心境は、ドブ水に落下して羽虫のようなどす黒い絶望色に染まり切っていた。まぁ、少し語ろう。


 ──その日は八月の中盤にしては珍しく、涼しい風が吹く爽やかな日だった。


 外回り担当の私は、爽快な空気に気分を良くして、いつもは行かないような少しお高い喫茶店にランチを食べに行った。


 気前よく高めのパスタとアイスコーヒーを注文し、昼時だというのに忙しない足取りであちこちへ向かう東京の人々を眺めていた――その時。


 脇に置いてある私のカバンから、ヴヴン、と支給された携帯の通知音が鳴った。


 後でもいいかと思ったが、緊急の要件だと困るので、仕方なく携帯を取り出しメールボックスを確認する。


「――ぅえっ?」


 メールの件名を確認した瞬間、驚きから、変な声が喉を衝いて出た。


 差出人は、私と同じ新卒でこの企業に入った(舐めた態度の)同僚。


 私が驚いたのはそこではない。問題はその下に書いてある件名の方だ。


 そこには――


 『件名:会社が明日倒産するって笑 専務が呼んでるから今すぐ会社にGO!笑』


 と、到底笑えないような内容のメールが、バカみたいに陽気な件名で送られて来ていた。

 

 内容まで目を通さず、私は混乱する頭でとにかく荷物をまとめ、アイスコーヒーが来るのも待たずに会社へ走った。


 ○


 会社を後にした私は、放心状態で自分のアパートに向かっていた。


 暑さとショックで空っぽの頭の中では、さっきの専務の言葉が反芻されていた。


 ――「この会社は倒産する」「理由は社長が会社名義でヤクザから借りていた莫大な借金が発覚したから」「社長は妻と子供を残した夜逃げ中で現在捜索中」――


「――はぁぁ~~…………」


 あれから、こんな気の抜けたため息しか出ない。

それも当然、私のカスみたいな人生に残された希望はもう、クソみたいなあの会社に尽くし続けて出世することしか無かったからだ。


 ――思い返してみれば、私の人生はなにかにつけて運が悪い。


 お父さんは私が生まれてすぐに怪しいところで借りたお金の利子が返せなくなってパチンコ屋のトイレで首を吊ったし、お母さんはその借金を返すために一日中どこかで働いてた。このままではいけないと、小さい頃から遊ぶこともなくひたすら勉強して、ついに地元の上位高校に合格した。


 それは良いものの、お母さんが高校の学費を出せなかったから、私はその分もバイトを続けて、気づけば高校生活は終わっていた。 成績的にはそれなりの大学も狙えたけど、学費がなかったので私の学園生活はこれで終わった。

 

 成績は良かったから、高卒といえど雇ってくれるところは少なからずあった。しかしどんな因果か、数ある企業の中から私が選んだのはさっきのブラック企業。 高額な初任給に騙されてそこを受けたけど、好条件は初任給だけで、その実態は長時間労働低賃金の最悪企業だったという、なんともふざけた話だった。

 

 その挙げ句に、今日こうして倒産した。 残ったものは、10万円ぽっちの貯金だけ。低賃金の中からお母さんへの仕送りを捻出していたので、2年間貯金していたとは思えないほどお金がない。 これからは更にひもじい思いをしながら仕事を探して、でも高卒で転職できるような企業だからどうせどこも似たような長時間労働低賃金のクソ条件で、早起きして満員電車に揺られて出勤する新生活をまた始めるんだ。


「……はぁぁ」


 あぁもうなんか、ぜんぶ嫌になってきちゃったな……お酒の一杯でも飲まないとやってられないや……。


 ――ん? ……お酒?


 ふと、足を止める。


 ――なんだろう、凄くを思いついた気がする……――!


 どんどんネガティブになる思考を一旦中断して、この閃きを深めてみる。


 おさけ――? ……そうだ、私には――私にはお酒があるんだ……! 嫌なこと全部忘れさせてくれる至福の飲み物が――!


 そうだった、と手を叩く。私には、あの頃学生時代とは違ってお酒があるんだ。逃げ道があるんだ。

 

 そうと決まれば話は早い。とりあえず、今日はもうお酒飲んで寝よう。こんな気分で過ごしたって、ストレスで体を悪くするだけだもんね――。


 ――……

 ……


 ――その後の彼女の行動は、早かった。 近くのコンビニに入ると、レモン味の缶チューハイをあるだけ買い物カゴに放り込み、つまみは買わずに店を出る――ちなみに、彼女のこれまでの生涯でTOP3に入る贅沢だった。 


 大量の酒が透けて見えるビニール袋を両手に提げて電車に乗り、借りているアパートに帰る。部屋に入るなり、彼女は着ていたスーツを乱雑に床に脱ぎ捨て、そのまま下着姿で酒盛りを始めた。


 彼女がつまみを買わなかったのには理由がある。彼女はその恒久的な金欠から、酒のつまみに高い料理などを選んだことはただの一度もなく、彼女にとって酒のつまみといえばもっぱら塩だった。


 カビ臭いボロアパートの茣蓙ござに、座布団も敷かずに胡座あぐらをかき、亡者のように塩を舐めながら酒を飲む女性が一人。


 ――彼女の名前は枯野 緋秋かれの ひあき。勤めていたブラック企業がついさっき倒産して無職になった、なにかと幸が薄い20歳の女性だ。

 補足して、この後ひょんなことから奇妙な研究所で働くことになる、軽い躁鬱の気がある女性でもある。

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