一生に一度

明鏡止水

第1話

やめておけ、俺にはもう、おんながいる。養っている子供たちもいる。


それだけで引く。でも抱いて欲しい。彼は丸く綺麗にカットされた月のような氷の入ったコップで、ブランデーのようなものを飲んでいる。


わたしもおなじもの、ください。


となりの好みの男性(ひと)が、こちらを見る。

ただ、おなじものがのみたいだけ、それだけのために。


こくり、と一口。


おいしい!


香りが鼻から抜け、舌にはやわらかな、豊かで満たされた潤いの味。これがブランデーなのかもしれない。


すみません、なんというお酒ですか


店主が名を告げる。


あなたに、教えて欲しかった


大人の男の人が飲む、大人の男の、このむ味。


店主がいなくなったらいう。


こんや、抱いてください。


ほかの女性がいても、浮気になっても、抱かせてやる、まだ、わたしは20歳だ。締まりとやらもきっといいはず。ためしたことはないけれど


こわくないのか。


処女を喪うことが。


なぜ分かるんだ。ブランデーの雰囲気が、熱く蕩けさせてくれる。いつもは意識して生きているけれど、今夜ばかりはなんともない


あなたみたいなひと、いっしょうにいちどしか出会えない


子供だな。


男性はまた酒を、綺麗な動作でグラスを傾けながら呟く。なにが子供だというのだ。一生に一度の出会いを感じ取っただけだ。むしろ大人のおんなが言うのではないか。


そんなふうに呟いたって無駄。わたし、決めた。

今夜、貴方に抱かれる。


恋をしたからだ。この薄暗くも暖かい照明の下、貴方の佇まいと、いろいろに。


うんとヒドくされてもか。


怯む。


想像ができない。


マスター。お会計を。ついでに、となりのカノジョの飲んだ分まで、そう、さっきのまで。


現金しか扱っていない店。

初めて入ったバーで、初めて抱かれたいと思った男が行ってしまう。待ってください、下手に出る。


いけませんよ。


モスコミュールのミントを用意しながらマスターが言う。


彼は今、生まれてから喜ばれ、あるいは虐げられた子供達の、ヒーローですから。



私は、艶のいい黒髪を一房カウンターに垂らしながら、沈んでいた。


はじめて、抱かれたいなんて、あぶないことを思ったの。

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