ピグマリオンの狂愛

熊谷聖

第0話 人間の価値

「生きている人間に価値ってあると思う?」


 うさぎの人形を抱きしめながら妹が聞いてくる。あまりにも突拍子もない質問に、鹿賀里彩乃かがりあやのは妹の顔を凝視する。そんな妹は何も表情を変えずに人形を抱えたまま隣を歩く。


「いきなり何を言い出すの。あぁ、中学二年か……そういう時期ね」


「はぁ?勝手に厨二病とか決めつけないでよね」


 妹はしかつらで睨むとすぐに目を逸らす。鹿賀里はあまり考えたくは無い事を考えて、確かめるかのように問う。


「学校で何かあったの?」


「……別に。ただ、人形はいいなぁって。嘘はつかないし、相手を傷つけることは無いし、抱きしめても何も言わない。醜いところが何も無いから。でも人ってその真逆。私からしたら、人を傷つけて生きがいを感じる人がいる人間よりも人形の方が価値があると思う」


 真面目な声で話す妹を見てふざけて言っている訳では無いと察する。元々妹は正直な性格で心で思った事をはっきり言うことが多い。しかも男勝りな性格もあってあまり友達ができないようだった。もちろんそんな正直な妹を好いてくれている友人もいる。だが集団で生活していく学校において、その集団から逸脱する行動をする妹はあまり好かれないのかもしれない。今日は妹の誕生で前から欲しがっていたうさぎのぬいぐるみを買ってきた帰りだった。


「まぁ気持ちは分からなくもないけど、仮にも警察官の私にそれ言う?」


「殺人事件担当したことないじゃん」


「殺人事件だけが警察の仕事じゃないの……補導されたり、非行に走る少年少女を正しい道に戻すのだって立派な警察の仕事。それに起こらないに越したことはないしね」


「ふーん、本当は怖いだけじゃなくて?」


 いつになく口が悪い妹に何も言えずに、最寄り駅に着く。確かに怖いのかもしれない。交番勤務の時も殺人事件なんて起こらなかった。配属も刑事課ではなく少年課だった。非行に走る少年少女の助けになれればと言ったが本当は凶悪犯に立ち向かうのが怖かっただけなのかもしれない。もし今、目の前に凶悪犯が現れたら立ち向かえるか。自信はない。


「あんただけは守るから。何があっても……」


「え?何か言った?」


「何も。ほら、早く帰って母さんに見せるんでしょ?」


「そうだった。お姉ちゃんと無駄話してると帰るの遅くなるよ!」


 そう言って妹は駅の改札に向けて走り出す。姉の静止も聞かずに走った妹は改札の手前で立ち止まる。

 何事か、と見ると改札の奥から悲鳴と怒号が聞こえてくる。そして、一人の男性の声が聞こえた。


「逃げろ!ナイフを持った男がこっちに来る!」


 改札から大勢の人が出てくる。改札ゲートを乗り越えて逃げる人々の奥から、血だらけの男が走ってくる。男の表情は最早常人のものとは思えなかった。奥から駅員か警察官らしき人達が追いかけてくるが、男は止まらなかった。

 鹿賀里の目には男と立ち尽くす妹が目に入る。動かなかった。足が、全く動かなかった。妹は走ってくる男を見て何が起きたのかを理解し、姉に向かって走り出す。鹿賀里はようやく足を前に踏み出した。


彩奈あやな!」


 妹の名前を叫んで、手を伸ばす。

 妹の手は、姉に届くことはなかった。

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