第4話:田舎芝居

リジィ王国暦200年5月7日:王都ロッシ侯爵家屋敷


「閣下、侯爵閣下!

 お嬢様が自殺を図られました!」


 侯爵屋敷に侍女の悲鳴のような叫びが広がった。

 広大な屋敷に少人数しかいない為、蜂の巣をつついたような状況にはならなかったが、侯爵と夫人が受けた衝撃は激しいモノだった。


「アリア、アリア、アリア!」


 やっと目を覚ました愛娘が自ら死を選んだと知らされた夫人は、狂人のように泣き叫んで声のする方に走った。


 せがまれて真実を話した侯爵は、自分の判断を激しく後悔していた。

 だが、後悔するだけでは何にもならない。

 愛娘を助けるべく医者の手配をしようと走り出した。


「大丈夫だ、心配いらない。

 発作的に水路に飛び込んで気を失っているだけだ。

 暖かくして寝かせてやれば直ぐに元気になる」


 侯爵も夫人も聞いた事のない、若々しく清々しい声が聞こえてきた。

 アリアが命懸けで味方につけようとした者だった。


 アリアを助ける為に水路に飛び込んだのだろう。

 全身水浸しになっている。


「おおおおお、アリア、アリア、アリア」


 夫人が、若い男にお姫様抱っこされているアリアに縋りつこうとする。


「夫人、少しでも早く温めてあげた方が良い。

 湯殿があるのなら今すぐ用意した方が良い。

 いや、湯を沸かしてバスタブで温めた方が早い。

 何なら私が魔術で湯を沸かしてもいい」


 一気に話す若者に、侯爵と夫人はもちろん、侯爵家に残った忠臣も圧倒された。

 冷徹な目で若者を観察しているのは、マッティーア王太子とモレッティ伯爵が侯爵家に残した密偵だけだった。


「見ず知らずの私達の為に、貴重な魔術を使ってくださるのですか?!」


 侯爵は腰を抜かしそうになるくらい驚いた。

 この世界には魔術がある。

 だがその使い手は本当に少ないのだ。


 神々の恩寵と思われている魔術の使い手は、南北両大陸を合わせても1000人もいないのだ。


 遠く東の果てには、多くの民を抱える大帝国があると言われているが、侯爵が知る南北両大陸の人口は、大小全ての国を併せても1億人程度。

 神々の恩寵は10万人に1人にしか与えられない物なのだ。


 そんな人に出会える事だけでも信じられないほど幸運なのに、愛娘の為に魔術を使ってもらえるなど、神の愛を感じるほどの幸運だった。


「ありがとうございます。

 娘の部屋は此方でございます。

 私の後について来て下さい」


 愛娘に縋りつこうとする妻を抱きとめた侯爵は、妻の肩を抱いて、若者をアリアの部屋に先導した。


 アリアをお姫様抱っこする若者は威風堂々としていた。

 体重が軽いとはいえ、人間1人をお姫様抱っこしているのに微動だにしない。

 

 光り輝くような金髪は、何の癖もなく腰にまで届く長さだ。

 真っ白な顔は令嬢と見紛うような美貌だが、女性とは間違えようのない、辺りを払うような威厳と迫力がある。


 王太子とモレッティ伯爵が残した密偵は何1つ見逃さないようにしていた。

 害になりそうなモノなら報告しなければならないからだ。


 若者の身長は190センチを軽く越えるくらいだった。

 見た目と身のこなしから、力を重視して鍛えた筋肉の塊と言うよりは、力と素早さのバランス、実戦を想定して鍛えられた鋼のような身体に見えた。


 黄金色に光り輝く瞳は意志の強さを感じさせた。

 水路に飛び込んだアリアを助けたのだから、正義感も強そうだった。


 個人の力で王家やモレッティ伯爵に対抗できるとは思えないが、念のために報告しておこうと密偵は思っていた。


 屋敷の規模の割に少ない従僕と侍女が、一杯一杯に抱えた仕事を後回しにして、アリアお嬢様を救うべく走り回っていた。

 特に同じ女性として直接お世話できる侍女が忙しかった。


 若者によって寝室に運び込まれたお嬢様だが、濡れた服を脱がせて身体を拭くのは侍女で、これ以上体温が奪われないように素早く働く。

 

 従僕達が井戸から水を汲み、お嬢様の寝室とは違う場所にあるバスタブに運ぶ。

 1人ではアリアお嬢様の寝室に入れない若者は、侯爵、夫人、侍女と共に寝室に入ったが、ベッドに寝かせると直ぐに寝室をでて、従僕に最高級客間に案内された。


 5年の間に古びてしまったが、国王陛下すら迎えられるように設えてあった絢爛豪華な客間なのに、若者は何の気負いも衒いもなく使い始めた。

 若者は歴戦の騎士のような手早い動きで濡れた服を脱ぎ用意された服に着替えた。


 その堂々とした態度に、案内した従僕が委縮してしまうほどだった。

 従僕は、このような状況になっても侯爵家に残る忠義の家臣使用人なのだ。


 家門から来た爵位を持つ者がいたから、下級使用人である従僕に留め置かれていたが、能力と心映えだけを正当に評価したら、執事どころか家宰を務められる者達だ。


 そんな従僕が、アリアお嬢様の命の恩人に用意した服は、5年の月日で古びてしまったが、国王陛下や王太子殿下の為に用意されていた逸品だった。


 だが若者は、そんな逸品を見ても全く驚かない。

 衣服の良し悪しが分かっているのは、その態度から明らかだった。


 派手な身分をひけらかす為の衣服ではなく、騎士訓練をする時に使う、素材は最高級品だが見た目は地味な実用重視の衣服を、全く迷うことなく選んだ。


 高貴な身分の者は、男でも自分で着替える事すらできない者が多い。

 何でも自分でできるのは、実戦に即した鍛錬を厭わない本当の騎士だけなのだ。


「バスタブに水は溜まったのか?

 令嬢の着替えが終わっているなら部屋に入れるな?

 部屋に向かっている間に全て終わっているだろう?

 今直ぐ案内しろ。

 わずかな時間の差で生死が分かれる事もあるのだぞ!」


「はい、直ぐにご案内させていただきます」

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