二十三、ホクホクとねっとりは相容れない
「お前といいお前のお友だちといい、うちの
サージュが半分笑いながら腰に手を当てた。もう半分の感情を確認するのは恐かったので気づかないフリをした。
宿の一階にある食堂には、まだ宵の口だというのに酔い潰れた男たちが転がっていた。
「ようやく追加分が納品されたってのに。またすぐ発注か」
とサージュは嘆く。
ラパスが訪れた夜、この宿にある酒はあらかた消費されてしまったという。それからしばらくはお一人様一杯限りの規制がかかり、昨日それがようやく解除されたところだった。
そこへリッドが、酔い覚ましの薬の試験をするためにやってきた。薬の効果を試すにはそれなりに酔ってもらわなければいけないわけだが、ファブールの人間は酒豪が多いのかなかなか酔ってはくれない。
宿の酒の在庫もそうだが、リッドの資金も危うく底をつくところだった。
サージュや他の従業員が酒瓶を片付ける。
他の客も驚くほどに大量の酒瓶が一つのテーブルにまとめられた。
「でも前よりはましに見えるけど。一番飲んでいた二人が今日は参戦していないからかな」
回収された酒瓶の代わりにと、リッドは酔い覚ましの薬に簡単な説明書きを添えたものを配って歩く。
「それはアタシとあんたのお友だちのことかい?」
サージュから発せられた一瞬の殺気。
しかしそれはすぐにしぼんで軽いため息に換わる。
「まあ、金を払わないわけじゃないからいいんだけどさ。それにうちはどちらかって言えば飯屋だしなあ。酒がなくなったってそれほど困りやしないさ」
もっと言えば宿屋だと、よくわからない方向に話を転がしてサージュはうんと頷いた。
「ところでさあ、こないだの話なんだけど」
サージュが切り出す。
リッドは思わず顔をしかめた。
こないだというのはまさにラパスが来た夜の話で、『こないだの話』となるとそれはリッドが予期せず打ち明けてしまったあの話のことを指すわけで。
リッドとしてはあまり触れたくない話だった。あの日は眠気や疲れのせいとはいえつい喋りすぎてしまったと後悔していたのだ。
「すっかり変わってしまった故郷に執着する理由ってやつさあ、」
そら来たと、リッドは身構える。
どうやって話を他へ持っていこうかと頭を働かせているとサージュの口から思わぬ言葉が漏れた。
「ありゃあ、あんたには理解できないと思うよ」
サージュはバーカウンターの奥に入って目の前の席を指した。そこに座れということか。
「理解できないって、どうしてだい」
リッドが席に着くと温かいスープが運ばれる。「それはサービスだよ」とサージュが言う。有り難く一口目をいただいてすぐに顔を上げた。
理解できないとはどういうことか。
「執着なんてさ、頭で考えてするもんじゃないってことさ。故郷に戻りたいと思えないやつはどんな理由をあてがってみたところで戻ろうとは思わないよ」
「そういうものかな」
「そういうもんだよ。その理由はあんたの理由ではないんだもの」
「だけどヒントにはなるんじゃないかな」
「ヒント? 何の? どうやって執着するかって?」
サージュはフンと鼻で嗤った。
「馬鹿だねえ。執着できないものはできないよ。いいか、アタシがここにいる理由は離れる理由がないからさ。どうだ? 理解できるか?」
「サージュ、理由が独自すぎて参考にならないよ。普通はもっとこういろいろと……」
「何だよ。アタシは単純すぎるって言いたいのか」
「そうではないけれど」
リッドは手持ち無沙汰に耐えきれずスープをぐるっと混ぜた。大きく切った野菜が匙に当たるたびに軌道を変える。やり過ぎて汁が小さく跳ねた。跳ねた汁は器の縁をつたって、カウンターの天板の木目に染みた。
見かねたサージュが布巾を差し出す。
いいよ、とリッドは断って懐からちり紙を取り出した。
「あの子だって、それくらい単純な理由かもしれないよ」
サージュが言う。
「そういうものかな」
リッドは言って芋をのせた匙を口に運んだ。口の中に入れた途端、芋はホロッと崩れる。そこに汁が染みていきせっかくの食感を台無しにした。
「僕はホクホクのが好きなんだ」
リッドはしんみりと言った。
サージュはスープが入った器をのぞき込み、
「ねっとりのがいいって文句を言う客もいるけどな」
と笑う。
「それは、そいつとは相容れないなあ」
もうひとつ、芋を口に放り込む。今度は汁を少なめにして、舌触りまで楽しむ。
「相容れないだろうし、どっちが正しいってわけでもない。理由を聞いたところでどうにもならないだろ」
スープの器に芋がもうひとかけ追加された。
別にそこまで好きなわけじゃないんだけどと渋い顔をするとサージュは眉をつり上げる。「いいから黙って食べな」と言われてそれに素直に従った。
サージュは満足そうにカウンターの奥でグラスを傾ける。
「あんたが故郷に執着できないっていうのはさ、誰かの理由を聞いたところで変わらないと思うよ。聞いたところで同じ選択をするだろうさ。でも誰かが何かに執着する理由を知ることは無駄にはならない」
「変わらないのに?」
「代わりに執着できる何かを見つければいいって話さ。そのときにはきっと、誰かの理由が役に立つ――かもしれないだろ」
サージュはにいっと笑った。こんな品の無い笑い方をしていても美人というものは美人に見えるものなのだなと、まったく違うところで感心してしまう。
「ちゃんと話聞いてたか?」
たしなめられてようやくサージュの言葉を反芻するに至る。
「代わりに執着できる何か、か」
それは考えもしなかったとリッドは呟いた。
「案外、もうあったりしてな」
サージュが言う。
どこかで酔っ払いが薬の瓶を落とした。
パリンと割れたガラスの音。わあっと付近から声が上がって店中にざわめきが伝播する。
その音の波を耳に入れながら、リッドはくんと鼻を聞かせた。
不意に広がった薬のにおい。あの薬には魔女の森の植物を使っていないはずなのに、リッドには森の匂いがしたような気がした。
森の匂いには違いないのだが、それは正しく言えばきっとユイルの匂いなのだろう。ユイルのまわりに漂う、あの心地よい匂いなのだろう。
誰の鼻にも届いていないであろうその匂いがリッドには感じられた。
体中で、あの部屋の空気を感じているような気持ちになった。
それは不思議なことに、自然とリッドに笑みをもたらす。口もとに、頬に、和らぎを感じると同時にサージュの言葉が頭の中で弾けた。
もうあったりしてな。
「まだ執着とは呼べないかもしれないけれど、あるのかもしれないな」
リッドはスープの中、最後の芋を掬って微笑んだ。
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