十一、魔女の消えた街
メモに書かれた一文字一文字をしっかり確認して店を回った。間違いや漏れがあったならきっとあのキリッと鋭い目で睨みつけられるのだろうと思うと、背筋がひやりとした。
ユイルに頼まれた薬の材料は、市場のいくつかの店を回れば簡単に揃うものだった。
しかしただ買えばいいというわけではない。
重視するのは鮮度か、大きさか、それとも味なのか。名の知れた料理人の中には産地の土の具合にまでこだわる者もいると聞いたことがある。ユイルのこだわりはどこまで及ぶのか、きちんと確認しておくべきだったと店頭に立って後悔した。
腕を組み、ううんと唸り、じっくりと時間をかけて品物を選んでいると、
「宝石でも選んでるみたいだね」
八百屋のおじさんが困ったように笑う。
リッドが真剣な顔つきで選んでいるのは、極々ふつうの野菜だ。しかもどちらかと言えばお手頃価格で食卓で大活躍の定番野菜。
それをこんなにも時間をかけて選ぶ客などそうはいない。
リッドの隣りに立つ客は次々と入れ替わって、もう何人目になったか。
みんな簡単に選んでいく。
しかしリッドには難題なのだ。
野菜の良し悪しというのはよくわからない。自分のために買うときにはただひとつ、食べられるかどうかが基準になるからだ。
見かねたおじさんがさっと選び紙で包んだ。ツヤや張りがあって、素人目にも良い品なのだろうなと――せめてそう感じられれば良かったのだが、リッドにはそれすらもよくわからなかった。
一軒目での買い物を終えた時点ですでにクタクタだった。
「彼女が選んだ方がいいものが手に入るだろうし、もっと時間もかけずに済ませてしまうんだろうな」
言いながら、ついでに買った果実をそのまま頬張る。真っ赤でまんまるで。片手にしっくり収まる大きさの果実。歯触りはシャリッとしていて。みずみずしくはあるが、滴るほどの汁気はなく、歩きながら食べるにはちょうどいい。
「だから自分で来ればいいんだ。それを『昼間だと、見えすぎてしまうから』だなんて、なぞなぞみたいなことを言って。いったい何が見えすぎるっていうんだ。君の正体か?」
ぼやいてから、もうひと噛みかぶりつく。
今度は大胆に、口の中がいっぱいになるほどに。欲張りすぎたせいで果汁が口の端にあふれる。リッドはそれを手の甲で拭って辺りを見回した。
進路をふさがれるほどの混みようではないが、ときどき誰かと肩が触れるほどには人の数は多い。
それだけいる人の中で、今のリッドの仕草に目を向けたものはいったいどれだけいるだろう。
数えるほどか、もしくはまったくいないか。
王都シャルムというところでは、ただ歩いているだけの人間をわざわざ気にするような者はいない。それくらい、この街には知らない者同士が溢れているのだ。
ユイルが堂々と歩いていたとしても、知らない者がたったひとり増えたことなど気に留める者はいないだろう。
「いや、でも、あのきれいな顔立ちは目を引くか。とは言っても実際の年齢はともかく、見た目はまだまだ子どもみたいなものだからなあ」
そういうことが目的の男なら、もっと色っぽい大人の女性を選ぶのではないかと考えながら、そういえばどこかの国でユイルのような少女ばかりを屋敷に集めていかがわしいことをしていた輩がいたなと思い出す。
自然と表情が険しくなった。
が、今問題としているのはそういうことではない。ようは彼女が街を歩いただけで『魔女』とバレるかどうかということだ。
「もしそれを心配して森に引きこもっているって言うのなら、それは勿体ないことだよ」
美人が歩いているだけで「あいつは魔女かもしれない」なんて誰が思うか。見た目の違いがあったとしても異国の民だと言えばそれで済む話だ。
野菜や花や草を大量に買い込んだって「あら、買い出し?」なんて尋ねてくる人はいても「それ、何に使うの?」なんて訝しがられることはない。
「だからコソコソしてないで、自分で買い物にくればいいんだ」
リッドはひとつめの果実を芯までぺろりとたいらげる。さすがにこれにはすれ違った男達から奇異の目を向けられたが、気にせずふたつ目を取り出して服の裾で拭いた。
いくらつややかでツルンと綺麗な果実だったとしても、鏡じゃあるまいし、そこに何かが映ることなんてありはしない。しかしリッドは、果実をじっと見つめた。そこにうっすら自分の顔が映ったよう気がした。
それは何歩か前の自分の顔。
『コソコソしてないで、自分で買い物にくればいいんだ』
そう言ったときの顔だ。
リッド自身の手間を考えて言ったつもりはない。単純にその方がユイルにとって『良い』と思ったのだ。しかし間を空けて反芻してみれば、自分勝手な言葉のように感じられた。
この陽差しのもと、賑やかで華やかなシャルムの街を歩くユイルはきっと楽しそうな顔を見せる。なんにも疑わずそう想像したが果たしてそうだろうか。
リッドは大通りの真ん中に立って、道筋にずらっと並ぶ建物と、行き交う人々を眺めた。
通りの先、人の波の向こうに立ったユイルは、建物を見上げ人の姿を眺め――笑顔を見せるだろうか?
「そういえば、『行けない』じゃなくて『行きたくない』だったなあ」
ユイルの言葉と表情を思い出す。
『行きたくない』という言葉と絡めると、反射的に憎しみや恨みという言葉が浮かんだ。しかしリッドはそれらをすぐに払いのけた。
彼女の様子からはそういうものは見られなかったし、なにより、自分たちを敵とした国や民を憎んでいるのだとしたら、いくら生活のためとはいえ彼らを助けるような薬を作るだろうかという疑問が生じたのだ。金を稼ぐことが目的ならば、商売の相手はファブールの人間でなくてもいいはずだ。
「そうか。そうだよな。彼女はわざわざこの街で商売をしているんだ。それなのに行きたくないなんて……まったく、どういうことなんだろう」
リッドは徐ろに果実を口もとに寄せた。
ふたつ目の果実は、熟れているはずなのに酸味が強く、噛んだ瞬間に嫌な予感がしたが、吐き出すような種類の酸味ではなかったのでそのまま咀嚼した。じわりじわりと果汁の中に甘みが混じる。
ちょっと見ただけではわからない。囓ったくらいでは気がつかない。
そんな何かがこの街の中にも潜んでいて、だからユイルは近づこうとしないのだろうか。
たとえば、二百年前の
『二百年前に魔女を追い出した国』という事柄に触れた上であらためてシャルムの街を眺めてみれば、そこかしこに『傷痕』のようなものが見えてくる。
魔女が存在したという痕跡だ。
街の軒先の人目につきにくいところには、魔女がよく使う災いを避ける飾り文字が刻まれているし、人家の玄関先にはユイルの家にあった薬草によく似た植物が小さな花を咲かせている。
しかし、
「これは珍しい花ですね」
などと、たまたま外に出てきた家主に尋ねれば、
「ああ、それはね、裏のおばあちゃんに昔分けてもらったものでね。なんでも異国の植物で、葉っぱを摘んで擦り傷なんかにこすりつけると治りが早いんだとか」
と教えてくれる。どう見ても魔女の森の植物のようだが、長い年月を経るうちにどうしてか『異国のもの』というように情報がすり替わってしまったらしい。
悪意を持ってそうしたのか不本意ながらもそうせざるを得なかったのか、どちらかは知らないがそういうものが街中に溢れていた。
魔女の森についての認識ですらそうだ。
あの森について人々にそれとなく尋ねてみれば答えは十中八九「ああ、迷いの森のことだね」で、その成り立ちや謂れに関しては十人十色いろんな物語を聞かせてもらったが、誰一人として真実にかすりもしなかった。
あちこちに痕は残っているのに、魔女という存在は少なくとも市井の人々の中にはほとんど残っていないようだった。
「二百年で、ね。彼女は昨日のことのように覚えているというのにね」
ファブールからは――シャルムの街からは魔女はすっかり消えてしまったようだ。
そう思って歩いてみると、賑やかな街を歩いているというのに何ともやるせない気持ちになった。
「なんだ、そういうことか」
ユイルの言葉の意味がわかった気がした。
彼女が昼間の街を避けたのは、自分の正体が明るみになることを懼れたからではなく、この現実を目にしたくなかったからではないだろうか。『ファブールの魔女』はこの街にはもういないのだと、その事実を認めたくないのかもしれない。
だから彼女は、こっそり店に薬を納め、こっそり魔女の森へと帰るのだろう。誰にも会わず何も目にせず、森に閉じ篭もるのだろう。
「……そういうものか?」
確信に近いような気がしても、所詮『だろう』だらけのリッドの想像に過ぎない。
しかしその仮定が正しかったとしたら、ユイルがひとりで居続ける理由は、豊かな森を取り戻したいからということだけではないはずだ。
そうだとしたら――
「やっぱり昼間を避けるなんて勿体ないよ」
ファブールに来て数日、この街で見聞きしたものを思い出すとそういう言葉が自然とこぼれた。
「この街にある現実は、君にとって何も悲しいものばかりじゃないんだからさ」
リッドは果汁でべとべとになった手を街中の噴水で洗うと、最後の買い物に向かった。
メモのいちばん下に書かれていたのは花の名前だった。シャルムでは季節を問わず咲く花で、どこの家の窓辺にも飾られている花だ。
「その花をお土産に持ち帰るのはオススメしないよ旅人さん。ああ、しばらくの間は旅人じゃなくって調査員だっけか? どっちにしろ、よそものが買うには勧めないよ。こいつはどうしてかファブールでしかうまく育たないらしくてね」
悪いことは言わないからやめときなと花屋の女主人が言う。細い目で屈託なく笑う女性だ。
手際よく客をさばき、若いながらも物怖じせず、アクの強い年上の奥様たちの心もしっかり掴んでいるようだった。
「いや、持ち帰ったりしないよ。そもそも帰るところなんて僕にはないからね」
「帰るところがないって?」
主人だけでなく居合わせたご婦人たちも話に食いつく。
「いやいや。そんなにおもしろい話じゃないから、今のは忘れて。もしくはまたの機会にということで。それよりも鉢じゃなくて切り花で貰えないかな。少し多めに欲しいんだ」
「宿の部屋にでも飾るの?」
「頼まれものでね」
「御用聞きの仕事まで始めたってわけ?」
「ちょっとワケ有りで」
誤魔化し笑うと花屋の主人はふうんと応えながらさっそく花を見繕っている。
「他ならぬ調査員さまの注文だから、特別質のいいのを揃えてあげる」
真剣な顔つきで花束をこしらえている。
王室御用達の調査をしているうちにすっかり顔なじみになった街の人たちとは、いつもこんな感じで話が進む。
そしてここ二・三日は、たいてい同じ話に落ち着いた。
「そういえばあんた、マルシャンの店を担当してるんでしょ?」
「マルシャンの店というか……」
「謎の調合屋ね! それさあ、本人に会ったりする? こないださ、うちの姪っ子があそこの薬のおかげで体調良くなってさ」
「うちも旦那が――」
誰かがきっかけを作ると次々と声が上がる。
そして最後は、示し合わせたように声をそろえた。
「調合屋に会ったらお礼言っといてよ。いつもありがとうって!」
シャルムの街の人たちは、本当にいい笑顔でリッドにそう伝えた。
だから勿体ないと思うのだ。
『魔女』はこの街から消えてしまったかもしれないが、調合屋としてのユイルの存在は確かにこの街にこびりついている。そして彼女に対する感謝や労いや期待がそこかしこに溢れているのだ。悲しい現実を拭い去るほどではないかもしれないが、それを知らずに森の奥でひっそり過ごすのはやはり勿体ないことだとリッドは思った。
「あ」
リッドは思いつきぽんと手を打った。
視線の先、花屋の主人の足もとにしおれかかった花を見つけた。
「お姉さん、そっちでいいよ。その足もとのを貰うよ」
女主人は不快そうな顔を見せる。
「これは売り物じゃないよ。他のところじゃこれくらいでも売るかもしれないけど、うちはそういうことはしないんだ」
花屋のプライドというものがあるようだ。
「そこをなんとか。そっちの花を持っていった方が、きっと彼女のためになるから」
花屋はまだ不服そうな表情を消していなかった。女性へのプレゼントならばなおさら処分品でいいとは聞き捨てならない、本当に相手のことを理解しての発言かと説教が始まったが、リッドはまったく気にせず笑顔を浮かべる。
その花を受け取った時のユイルの反応を思い浮かべたら、顔が緩むのを抑えられなかった。
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