第5話 ―蒼緒― Childhood Memories
……顔が、全身が熱い。
でも寝たふりをするといつも
今日だっていつもみたいにぐちゃぐちゃになったワンピースを整えてくれた。裾を直して、よれた襟ぐりを正して。そして布団を掛けて、ポンポンしてくれる。子供になったみたいで恥ずかしい……けれど、蒼緒はその時間が好きだった。
ちなみに今日の寝間着は、頑張って可愛いのに……して、みた。ガーリーだけど……ちょっと、大人っぽいやつ。腿から下がコットンボイル――粗く織った布――のシースルーで、……堅物の衣蕗ちゃんでもちょっとはドキドキしてくれるかなって思って。
……まあ反応はいまいちわからなかったけれど。……こっそりとため息をつく。
何せ相手は十一年ものの幼馴染みの
馬の耳に念仏、猫に小判、
……恋……だ。
そう。篠蔵蒼緒は、恋をしていた。――隣にいる幼馴染みに。
わかっている。
――この
この十一年で嫌というほど、わかっていた。
そもそも相手は、女の子で、親友で、幼馴染み――で。
告白をして変に気まずくなりたくなくて、告白すらできなくて。
そうしたら部隊にはイチャイチャしている〈吸血餽〉と〈花荊〉がいたりして。めちゃくちゃびっくりしたけれど。まあ、雪音と紗凪の事なんだけれど。まあ、ヨソはヨソ、ウチはウチ、だ。
蒼緒は衣蕗に気づかれないよう、こっそりと布団に顔をもぐらせた。
わかっている。
……でも、わかっているのに、石鹸も香りつきのにしてみたりして。そっちはいい匂いって言ってくれて、良かったなって思うけど。
……紗凪ちゃんに相談して良かった。今度の休暇は何かお礼をしなくっちゃ。……外出届けを出して、二人でお出かけでもしてみようか。
それにしても、衣蕗は潔癖症で生真面目で堅物だ。恋なんてもっての外。恋バナなんてするより剣術の稽古をしていた時間の方がよっぽど長い。……その分、モテる割に男の子との浮いた話も全然なくて良かったけれど。
だから、その性格を考えると、吸血が苦手なのもよくわかる。
(あ――――――――好きになる人間違えちゃったかも)
何度そう思ったかわからない。でも、好きになる人なんて選べない。
可愛い寝巻きを着てみたり、いい香りの石鹸を使ってみたり。……ばかみたいだけど。
でも。
(……好きになっちゃったんだもんなあ……)
――でも、間違いなのは好きになる相手でも、〈吸血餽〉なのに血が吸えない事でもなくて、恋心に気づかない事でもない。自分のずるい気持ちだ。〈花荊〉になれば、ずっとそばにいられるからと、彼女を縛りつけて。もしかしたら自分よりもっと彼女にふさわしい子がいたかも知れないのに。
……ごめんね。衣蕗ちゃん。
今でも毎日のように思い出す。
――蒼緒が
ある日突然、彼女が〈吸血餽〉として発症した。
奇病だ。数十万人に一人の割合で生まれ、幼少期はほとんんど人と変わらないが、二次性徴を迎える頃になると、〈
彼女に牙が生えた噂はすぐに広まった。何せ小さな
その時の説明で、軍では〈吸血餽〉に血を吸うための少女が充てがわれるのだと知った。蒼緒は人払いされた談話室の隣で、それをこっそりと聞いた。
少し一人にして欲しいと言った衣蕗を川縁まで追いかけた。
そこで言ったのだ。私が衣蕗ちゃんのはなよめさんになるよ、と。
衣蕗は泣いた。蒼緒も泣いて、互いに手をきつく握りしめた。
その日のうちに軍に連れてこられ、右も左もわからぬまま、二人で使うようにと兵舎の一部屋を充てがわれた。そして、そこで吸血するようにと言われたのだ。軍の偉い人から。
――簡素なベッドの上、息が重なる近さで二人で見つめ合った。目の前にいるのはよく見慣れた、幼馴染みの女の子。
彼女は長く伸びた真っ直ぐな黒髪がとても綺麗だった。蒼緒はその髪が好きだった。自分の猫っ毛とは違って、綺麗なロングヘアで。
その髪に触れながら、言った。
「いいよ、吸って。私は
そう言った蒼緒を、衣蕗が申し訳なさそうな目で見つめ返した。
囁き返す彼女の指は少し震えていた。
「本当にいいのか、蒼緒。一度吸ったらもう二度と――」
「いいよ。だって――」
――私は衣蕗ちゃんの、〈花荊〉さんだもん。
蒼緒はもう一度同じ言葉を繰り返した。
そう。篠蔵蒼緒は二ノ宮衣蕗の〈花荊〉――はなよめ――になる。今この瞬間から。〈
「衣蕗ちゃん、吸って?」
「……うん、」
彼女が蒼緒の首筋に唇をつけた。肌にはじめて触れる吐息があたたかい。少しだけ舌の感触がして、牙が当たった。
そして、
彼女の牙が首筋に突き立てられた。
「んんっ!」
痛い。鋭利な牙が肌を刺す。
けれど、
幸せな痛みだった。彼女の〈花荊〉になれる。その想いがはじめての痛みを悦びに変えた。
蒼緒が――、
蒼緒だけがこの世でたった一人の、彼女の〈花荊〉になれた瞬間だった。
幼い頃無邪気に望んだ――衣蕗ちゃんの、はなよめさんに。
*
蒼緒が衣蕗を好きだと自覚したのはずっと幼い頃だ。
蒼緒は幼い頃、死ぬ運命にあった。それを救ってくれたのが、幼馴染みの衣蕗だった。
それは、十一年前の事だった。彼女たちはまだ五歳の子供だった。
養護施設での、一年に一度の「遠足」の日、町から少し離れた湖畔の森へ、施設の皆でピクニックに来ていた。
引率の先生の目から離れ、蒼緒は花を摘むのに夢中になっていた。衣蕗と共に部屋に飾ろうと思ったのだ。けれど夢中になりすぎて道に迷ってしまった。気づかぬ間に、森の奥まで来てしまったらしく、そこで大きな獣に襲われた。
野犬かと思ったが随分と大きい。ゆっくりと近づいてくるそれが、〈狼餽〉――ウェアウルフ――と呼ばれる恐ろしい化け物だと気づいたのは、とうに逃げられる距離ではなくなってからだった。それでも蒼緒は懸命に逃げた。
手負いなのか、片目の潰れた〈狼餽〉だった。狼のようだが狼よりずっと大きい化け物だ。
懸命に逃げたものの蒼緒は転んでしまい、目の前に化け物の大きな口が迫った。食われる、と思った瞬間、蒼緒をかばうように飛び出して来たのが、施設で一緒に育った衣蕗だった。〈狼餽〉に背を向け、蒼緒を抱きしめる衣蕗。
「蒼緒をたべちゃ、だめ!」
蒼緒は――、二人は恐怖で気を失った。
次に目を覚ましたのは、近くの
助かったのだ。
〈狼餽〉は何者か――、
現実はそうなのだろう。
けれど蒼緒は、名も知らぬ軍人より、衣蕗によって命を救われたのだと信じた。
以来、蒼緒はあの時抱きしめられた、小さな手のぬくもりが忘れられずにいる。怖くても、一生懸命に抱きしめてくれたその手を。――彼女にとって、自分は幼い頃のままの、ただの幼馴染みでしかないとしても。
それでもいい。そう思って、〈花荊〉になる事を選んだ。恋が叶わなくてもいい――と。恋なんかより、彼女をもう二度と一人になんてさせないと誓った。幼馴染みのままでいいから。
そう思って、その手を取った。小さな頃、二人でよく遊んだ川縁で。
たとえもう二度と元の暮らしには戻れなくても。
――ねえ、衣蕗ちゃん。
衣蕗ちゃんはいつも「ごめん」って言うけれど、
後悔なんて、少しもしていないよ。
私にはきっと、よくある普通の幸せな未来なんて選べないのだけれど。
でも私は——、
私は、二ノ宮衣蕗にとって、ただの幼馴染みでしかないのだとしても、
衣蕗ちゃんが生きてくれるのなら、
それがきっと――私の望みなのだから。
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