第14話 アリアの魔法

 ダルクが魔法学園に入学して、一ヶ月の時が過ぎようとしていた。


 そろそろ中間考査の時期であり、ダルクにとっては自らの進退を決める魔道具研究のレポート提出が近付いてきたということでもある。


 しかし、アリアと共に進めている“ダルク以外にも使用可能な魔道具”の研究は、未だ形になっていなかった。


「今日こそ……ん……!」


 いつもの実験室にて、アリアが気合いの声をあげる。


 目の前にあるのは、様々な素材を混ぜ合わせて作った魔法触媒。アリアの魔力を蓄積し、大気中の魔力と混ざらないように保存するための専用の魔晶石だ。


 そこに魔力を込めようと、アリアが手を触れ──ものの数秒と持たず、それは砕け散った。


「……またダメだった」


「そんなに気にするなって、元々研究なんて、そう早く結果が出たら苦労ないんだから」


 しょんぼりと俯くアリアに、ダルクが励ましの言葉をかける。


 ダルクが使っている魔道具の“核”となる触媒──魔晶石は、中に込めるのがどんな魔力でも構わないため、魔石をほぼそのまま使っている。


 しかし、普通の人には魔石の魔力が毒となってしまうため、アリアには全く異なる触媒を使い、新しい魔晶石を作る必要があった。


 とてもではないが、一朝一夕で完成させられる代物ではない。むしろ、たった一ヶ月である程度形にはなっているのだから、十分早い方だとダルクは考えている。


「でも……結果が出ないと、ダルクが退学になるんじゃ……」


「レポートの方はどうとでもなるよ。要するに、上の人達は魔道具の詳細を知りたいだけだろうからな」


 魔導士を目指す人間は、魔法を武力として活用するため、自らの手の内を晒すことを忌避する傾向にあるが……ダルクの目標は魔道具の一般普及だ。詳細を知りたいと願われるのは、むしろ望むところである。


「でも……」


 しかし、それはあくまでダルクの価値観であり、アリアからすると気を遣われているように思えてしまう。


 そんなアリアを見て、ダルクは少し悩みながらも一つ提案をすることにした。


「あー、それじゃあ、ちょっとやり方を変えて実験してみてもいいか?」


「やり方……?」


「魔晶石が砕けるのは、アリアの魔力が強すぎて触媒が耐えきれないのが原因だ。なら……俺がその出力を抑えれば、安定するかもしれないと思ってさ」


 先月、教室で暴走しかかっていたアリアの魔力を、ダルクが抑え込んだのは記憶に新しい。


 それを再現してみようと語るダルクに、アリアは頷く。


「ん、それで上手く行くかもしれないなら……お願い」


「分かった。……じゃあ、ちょっとごめんな」


「えっ……」


 魔晶石の試作品の前に立つアリアを、ダルクが背後から抱き締める。


 思わぬ体勢に、アリアの顔に熱が灯る。


「えと、ダルク……触ってるだけで、いいんじゃ……?」


「そうなんだけど……アリアの場合、魔力が強すぎてこれくらい密着してないと上手く制御出来ないんだよ……」


 だから、こうするしかないのだと、言い訳のようにダルクは言った。


「嫌なら、やめとくか……?」


「ううん、いい。……ダルクなら、嫌じゃないから」


「……そ、そうか」


 どことなく気まずい雰囲気に、二人は目も合わせられず明後日の方を向く。


 制服越しに感じられる、相手の体温。

 互いの息遣いはおろか、高鳴る心音すら聞こえてきそうな距離感に、二人はしばし無言のまま時を過ごす。


「そ……それじゃあ、やるか」


「ん……」


 沈黙に耐えきれずにダルクが促すと、アリアもまたこくこくと何度も頷く。


 一度深呼吸して気持ちを落ち着かせたアリアは、満を持して魔晶石へと魔力を注ぎ始めた。


 直後、ダルクが魔力制御のためにアリアを抱く力が強くなり、せっかく落ち着かせた心がまた乱れてしまったが──肝心の魔力は、全く乱れることなく注ぎ込まれていく。


(すごい……)


 これまで、アリアがどれほど気を遣っても、少し解放するだけで濁流のごとく流れ出ては制御不能となっていた魔力が、しっかりと自分の手の内に収まりコントロール出来ている。


 ダルクが放出される魔力量を抑えてくれるだけで、こんなにも世界が変わる。今ならなんでも出来てしまいそうだと、そんな全能感すら抱く。


 その感覚のまま、アリアは魔晶石へと魔力を込め続け──ついに、砕けることなく安定した。


「やったな、アリア。それがあれば、お前も魔法が使えるはずだよ」


「私の……魔法……」


 ダルクが離れ、笑顔と共にそう告げる。

 その言葉を信じ、恐る恐る魔晶石を手に取ったアリアは、小さな声で魔法の祝詞を紡ぎあげた。


「……《灯火トーチ》」


 それは、この世界に生まれた人間なら誰しもが簡単に使えるようになるはずの生活魔法。ただ小さな火を起こし、火種を作るためだけに使われる魔法だ。


 それでも、今までアリアはこんな魔法すらまともに使えなかった。火種を通り越し、火柱さえ生じさせる《灯火トーチ》など、戦闘以外のどこで使えると言うのか。


 そんなアリアにとって──今、目の前で生じた小さな火は、初めて自分の意思で発動した“魔法”だった。


「あっ……」


 ホロリと、アリアの瞳から涙が溢れ落ちる。


 誰もが出来て当たり前だったこと。

 自分一人だけが出来ず、周囲から遠巻きにされる孤独感と無力感。


 それら積み重なった想いの分だけ、その魔法の火がもたらす温かみが嬉しかった。


「ありがと、ダルク……本当に……ありがとう……」


「……どういたしまして」


 魔法の効果が終了し、その役目を終えた魔晶石の欠片を握り締めたまま、今度は自らの意思でダルクに身を寄せるアリア。


 そんな彼女を受け止めながら、ダルクはそっと頭を撫でた。




「……ごめん、ありがと」


 しばらくの間、ダルクにしがみついて泣き腫らしたアリアが、ゆっくりと体を離す。

 少し目元が赤くなった少女が恥ずかしそうに腕で顔を隠そうとする仕草に、ダルクはくすりと笑みを溢した。


「気にするなって、俺も初めて魔法が使えた時は、師匠にしがみついて一日中泣いてたから」


「……そうなんだ」


 そういえば、ダルクは大魔導士ミラジェーンの保護下にいるのだと思い出し、ふと思う。


 彼とミラジェーンは普段、どう過ごしているのだろうかと。


「…………」


「アリア?」


 ミラジェーンと言えば、その高すぎる魔力のせいで肉体が歳を取らず、ほとんど学生と変わらない外見と美貌を持っていると聞く。


 そんなミラジェーンに、ダルクが自分から抱き着いて甘えている姿を想像し、モヤモヤとした気分が胸に沸き上がって来た。


「……なんでもない」


「???」


 自分でも分からないその感情を持て余しながら、アリアは誤魔化すように首を横に振る。


 そして、頭上に大量の疑問符を浮かべるダルクへと、他の話題を提供した。


「これで、私もちゃんと中間考査を受けられるなって、そう思っただけ。……スフィアを怪我させたくなかったし」


「ああ、アリアの相手はスフィアなんだっけ?」


 中間考査の内容は、入学試験のような模擬戦に加え、筆記もある。


 とはいえ、やはりこの学園では実技の占める割合は大きいため、多少なりと魔法を使う公算が立ったのはアリアにとって大きい。


「ん……ダルクは、確かルクスとだったよね……?」


「ああ、厄介な相手だし、油断しないようにしないとな」


「一度、勝ってるのに?」


「あれはほとんど、初見殺しみたいなもんだったから」


 入学試験の時は、ルクスは魔道具について何も知らなかった。


 しかし、二度目となると間違いなく、彼もダルクの取る戦法に対して何かしら手を打ってくるだろう。前回のようには行かないはずだ。


「まあ、それでも負けるつもりはない。……ただ、ちょっと気になるんだよな」


「気になる……?」


「最近、ルクス様と廊下ですれ違っても、何も反応がないし……その割にはやけにギスギスしてるっていうか、剣呑な雰囲気なんだよな。なんだか……」


 魔物みたいだ──とは、ダルクも口にしなかった。


 しかし、彼が抱いている不安は伝わったのだろう。アリアはぐっと親指を立てる。


「大丈夫。ダルクは負けない。応援してる」


「……そうだな、こんなところで負けてられないし、頑張るよ」


 アリアの声援を受け、ダルクもまた同じジェスチャーで応える。


 勝負の時は、もう間近まで迫っていた。

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