願望の眠る地下迷宮
@ao-nori203
第1話 亡くなった後で
2022年12月13日。母が亡くなった。世界情勢が不安定となり、日本を問わず様々な国で物価の上昇が起き、世界的にウイルスの流行等が起きた頃の話だ。
「皆様、本日は母の為にお集まりいただきましてありがとうございました。後日、遠藤愛香の葬儀を執り行なわせていただきます。え〜……ささやかながらお食事を用意させていただきましたので、お召し上がり下さい」
喪主である18歳の男性。遠藤譲は通夜の後、7年前に死んだ父の喪服を纏い風に当たっていた。
(親父が死んでから、お袋まで……)
ふと風の中に、メンソール入りタバコの匂いが混じった。
「譲。お疲れ様」
「お疲れ様です。すみません。喪主の挨拶させていただいて」
「いいや。俺はああいうのが苦手でな。……ヤニいいか?」
「どうぞ」
「……ふ〜。近頃は電子タバコがなんだの、健康被害がとうるさくてな。マトモに吸える場所なんてなくなっちまったからな。……子供にする話じゃねぇか……」
「成人は18歳からになったんですよ。おじさん。子供扱いせんでください」
「ヤニと酒しなきゃ、大人じゃねぇよ。……どうすんだ? 今後は」
「就職ですかね。大学は……まぁ、諦めましたよ」
「すまねぇな……愛香のやつの医療費しか出せなくてな」
「いえ。感謝してますよ。おじさんに助けてもらえなければ、卒業も危うかったですし……吸うの早いですね……税金は味わってナンボって言ってたじゃないですか」
浅く咥えたタバコはもう短くなって、火口が唇に迫っていた。喫煙者特有の指遣いで携帯灰皿へと落とすと新しいファイヴスターを取り出した。
「健康のために薄いの吸ってるからね。ヤニ成分が足りん」
「リキッドタイプの輸入品が良いらしいですよ?……あぁ、電子のね。成分変わってから微妙って話ですけどね」
「同期のワルに教えてもらったのか? ヤニカスのおっさんからの忠告だ。吸うな。10年吸ったら二度と吸わずにおれん様になる」
「はは……ふ〜。副流煙サイコ〜」
大きく息を吸った途端におじさんは火を消して灰皿へと仕舞った。
「……愛香……お前のカーチャン。最期まで息子に居てもらえて幸せだったと思ってるよ」
「だといいんですが。……最期は俺が誰だなんてわかってませんでしたよ。殴られたり……あれは、母だった何かなんです」
おじさんは少し怒ったような顔で彼の顔を見た。つり上がった目尻は彼の表情を見た途端に下がり、縁側の石畳に目を落とした。
「……すまん」
「……そうでもせんと、正気を保てんかったんです。……は〜。肩の荷降りましたわ……。おじさんのとこで雇って貰えん?」
「ヒラに期待すんな。……社長に頼んではみるけど。暫くウチで住んで就活してもええから、一緒に住まんか?……あぁ家内の方にも話しとる」
「……この家はどうなるんですかね?」
「そうやな。……借家に出すか、いっそ売るかかな。……そうは言ってもツラないか? 自分の実家無くなるの」
「いいえ。遅いか早いかですよ。県内で就職できるか微妙なんですし、いずれは手放す日が来る……6年前に覚悟は出来てました。標準語練習したんよ? どうよ?」
「アホ。訛っとるわ」
「ふふふ……やね」
片目に涙を溜めながら微笑む譲は哀しく微笑み庭のコンクリを見つめた。おじさんの錆びた軽トラに雨水が当たるのをぼ~っと見つめる
「一本ちょうだい」
「アカンに決まっとるやろが。アホ」
雨の景色に蛍光色の雨合羽を見つけた。家に入る道に沿って進む1台の自転車。息を切らしながら前傾姿勢で走ってくる。
「あれは、隆二の坊主か?」
「今日は部活休みなんか」
「何部?」
「バレーボール。たまにバスケに出てる」
「運動部って件部できたか?」
「人おらん学校やし。ええんちゃう?」
涙を拭って雨で潰れた金髪の隆二を迎えに行く。眉毛が薄く、相変わらず人相が悪い。……譲も負けないくらいだが。
「オカンの通夜やろ? オヤジから聴いた。あのアホ。ワイに黙ってたんや。ほんくそ。ガチで。明日試合で出られんから挨拶しに来たんや」
「……そか。あがって。選手で出る?」
「応援や。……敦おじさん。ご無沙汰してます。ご挨拶してもよろしいでしょうか?」
「この家は譲の家やし。家主がokしてるんや。気にせんでくれ。……譲、おっさん帰るから、いつでも連絡せぇよ。……ま、明日終わったらゆっくり話そうや。隆二。悪い事教えんなよ。タバコは特にな。これから先はもっと肩身狭くなるしの」
軽トラが水気を含んだ音とともに庭を出ていった。窓から手を振って別れを告げていた。マナーの悪い人だ。だけれども、情に厚い良い人だ。
「(譲のお母さん。挨拶が遅れてしまい申し分ありませんでした。……)」
手を合わせて棺に向かって暫くブツブツ話す隆二を見つめる。家主として客人を一人にするのはいささか失礼にあたる気がしたのだ。ビジネスマナー本は読んだことはないが。
「譲。おわったよ。ごめんな。ワガママ言っての」
「いや。母も喜んでると思うよ。わからんけどね。……流石、晴れ男や。雨止んどるわ。降る前にはよう帰れな」
「おう。……何でも言えよ。暫く無職やってもええし、俺んち転がり込みたいなら、いつでも連絡してな。……あぁ、番号変えたんや。格安回線の……」
「棚天?」
「ラックやないわ。マハモや。番号教えとくわ。……レインやってるよな? 引き継ぎしてなかったからID交換するぞ。はよスマホもってこい」
「……昔こうやって遊んだよな〜。ゲテハンXX」
「うん。あのときは楽しかった」
「……あの時はって……これから人生上向いてくるよ。いや、無理そうなら上向かせるの手伝うよ」
「ふふふ……。どうやって?」
「そりゃ、パチとか…」
「パチ……クイーン観光行って一緒に打つの? ……ぶっ」
「「……あっははは!」」
「そっちの台の方が、出るから変ってくれとか言いながら打つんか?」
「最初の1回だけ代わったるわ」
「絶対譲らんやろ? おお〜。止まらん止まらん言うて、代わってくれって頼んだら退くか?」
「……退くわけないやろ」
「……あっははは、ひひ! そうやろうなぁ~。誰が譲るかい。俺のモノやって言って台掴むやろ?」
「出が悪かったら筐体殴ってさ~……っかっかっか!」
「マジモンのヤバい人やん。ふっ。あ~……っふ」
帰れと言ってから、隆二が帰ったのはそれからしばらく経ってのこと。21時を過ぎたくらいの事だ。
いつもの孤独だ。この家にあるのは。母の遺体が有ることしか普段と違わない。大きな違いだが。
部屋の電気をつけて棺の窓を開く。47歳とは思えない老けた顔つきだった。発症時はまだ笑ったり、譲を暖かく受け入れてくれた母だった。
次第に忘れることが多くなり、一瞬息子の名前を忘れた日には、涙を流しながら謝ってくれていた。忘れることが怖い。私でなくなってしまうのが恐ろしい。息子も娘もあの人のことさえ忘れるのが怖いと。
忘れないように日記を書こうとノートを買い、翌日には忘れる。次第に文字も思い出せなくなっていた。病院でベッドに座る母は日に日に別人のように変わっていく。ある日は息子だと思い出し、ある日はこの施設に監禁している犯罪者だと罵声を浴びせた。
最終的に体が動かなくなり、何かの意思疎通すらはかれない状態になった。あの温かで思慮深い母は記憶の片隅にしか存在しないのだ。そしてその体も明日には骨しか無くなってしまう。
大切な人の存在が消えてしまう。
「……ごめんね。母さん。最期まで病院なんかに預けちゃってさ。最期くらい……最後くらいさ、家で過ごしたかったよな……! くぅ……すぅ……ごめんなぁ……死に際に居なくて……! 無茶させて、ごめんね……!」
左手で顔を覆い、鼻水を音を立ててすすった。涙がボロボロと流れる。もしも早く病理検査を進めていたら、もっと働いて、負担を減らしてあげたら。もしも。もしも。もしもー
頭の中の自責の念が色濃くなってゆく。全てが輪郭をはっきりとさせ、彼自身の声で語りかける。
(でも結局しなかったんだろ?)
(悔いても、事実は変わらねぇよ)
(お前が居る心労でああなったんだ)
(親父じゃ無くて、お前が死ねばあんな無理する必要もなかったろうに)
「うるせぇ……! うるせぇ……うるせぇ……!」
昔の話だ。星を見に行った。長野県への長距離ドライブ。トランクに望遠鏡。何度かインターチェンジで休憩を挟みながらの遠くへの旅行だった。妹の美咲。父の尚。そして譲。
父の言うことを聞かず、助手席に座っていた。父のことは控え目に言っても、大好きだった。車を運転している姿も、臭くなったスーツで帰宅した姿も。
膝の上に乗せてもらってなら運転しても良いでしょ? そう言っていつも困らせていた。運転席の後ろに座る美咲にウィンカーの出し方を何度も何度も説明しては呆れられていた。ミンテンドーのメリオをやっており、どうでもいいと鼻で笑われた。鮮明に思い出せる。
その信号待ちの後のことだ。交差点の青信号が点灯してアクセルを踏み、車を進めた。父は左の車両が止まっているのを確認していた。
そんな父の顔を見ていた時に見たものは、黄色信号で無理に通過しようとしていた貨物車両だった。危ないと叫ぼうとして出た言葉。1言目を吐き出そうとして息を吸うと共に衝撃と轟音が響く。
運転席側の車体右側はクシャクシャに潰れていたという。3人中2人が死亡という凄惨な交通事故として処理された。相手のドライバーは長時間勤務の果てに居眠り運転をしていたのだ。
加害者側の家族が謝罪に来た時の母の顔は恐ろしく冷酷なものだった。ドライバーだけの責任ではない。過酷な勤務が問題なのだと頭では理解していたが、感情的にならざるを得なかった母の顔が頭をよぎる。
マスコミも興味本位で取材に訪れ、周りの人間の同情も辛かった。それでも強くあろうとした母は病魔に侵され亡くなった。
全ては、譲が始めた悲劇だと何度も責めた。父、妹。加害者のご家族。私は何人を不幸にして、息をしているのだろうか。
掠れた声で懺悔するたびに、父の喪服の胸ポケットを何度も強く引っ張り、助けを求めていた。いっそ化けて出てくれたほうが、罰せられた方が良い。
それでも聞こえるのは己の声だ。出てきてくれないのは、罰することで気が楽になるのは譲だけだからだろうか。死んでしまったものは帰って来ない。永久に苦しめということなのか。
一晩中、己の声を聴き続け、静かになった。朝の5時だ。充電が49%になったスマホが震え、おじさんの名前が表示されていた。
「おう。俺だ。今から葬式の段取りに行くからな。女房とおばさん。近所の依子さんも連れて行く。今日が山場やぞ。ええか? 気をしっかりな。男らしく、どしっと構えとけ」
「ふ〜……。ふ〜……。はい」
「おい。大丈夫か?」
「大丈夫です。す、少し……眠れなかっただけですから」
和室を抜けてフローリングの廊下へと出た。洗面所へと向い、鏡を見る。酷い顔だ。冷水を顔に浴び、引き締める。軽くシャワーで体を洗い、乾燥させたら、ミーチューブで化粧の動画を開いた。べレーヴブラウザーで広告を消し、目の下の黒ずみを隠す化粧を施し、ワックスで髪を整えた。眼の充血は幸いなことになくなっていた。
「おぉ。ここにいたか。譲。」
「おはようございます。」
「おぉ。無理すんな。支度はこっちがやるから、ゆっくりしてな。受付は娘がやるから、お前はの練習と、来てもらった人へ挨拶な。小一時間くらい寝とれ」
「……はい。ごめんなさい」
「アホ。お前が頑張るのは、この後や。男らしく、どしっと構えとれ。何度も言うけど」
「今どき、男らしくって……。」
「あぁ、やかましい。SGDsだの、再生可能だの知らんわ。先進国の白人連中が途上国潰したいだけやろが、アホクサイ。アジアンの日本人まで巻き込むなっての。最近それにあてられたヌルくて意識高い大卒が多くて……あぁっと。とにかく休め。化粧してもバレるんだから、ソレ落としな」
「……わかりました」
「考えるな。目の前にあることだけに集中しろ。な? 頭の中でずっと念じておくとええわ。おっさん、これで上司殴らず済んでるから」
「……了解しました」
それから少し。受付が設けられ、訪れる親族たちに挨拶をしてまわった。参列者は多くはない。その中に見知った顔があった。幼馴染みの有沙だ。彼女の母と生前には親友であったのだ。小中と同じ学校。クラスも一緒だった。
「有沙……さん?」
「や。譲君。……お母さん、気の毒にね」
おじさんが家の中から出てくる。火葬場までの段取りの確認など、全て終わったと話しながらの登場だ。
「有沙ちゃん。おぉ〜。おおきぃなったな。譲。しばらく休んでて良いよ。立ちっぱなしだったろ?」
「でも……俺……」
「ええから。な? ほれ。お茶」
450ml入のお茶を投げて寄越す。数年前よりもスリム化したボトルのおかげで受け取りやすかった。
「……。有沙さんの分は?」
「有沙ちゃん。いるか?」
「……いえ。大丈夫です!」
おじさんが昨日タバコを吸った場所に二人で座る。忙しない筈なのに、世界の時間がここだけ遅い気がする。剪定をサボった木にハクセキレイが止まり、ぼ~っと翼を休めている。
「本日は母の為に、足を運んでいただき……」
「っちょ、ちょ! いいよ。そんな挨拶なんてさ」
「……そっか。まぁ、ありがとね」
「ちょうど休みだったし……違う! 学校あっても来てたよ!」
「そっか。3年だっけ? 会うのは」
「そだね。学校違うと会わないよね〜。いやぁ~。頭悪いから進学校行けなかったんだけどね〜。あっははは〜。譲君はどうするの?」
「就職。学費安いから公立高校行ってただけ」
「隆二も同じ学校だよね」
「……うん。あいつはスポーツ推薦で入ってきたから。故障して試合には出れないって昨日言ってた。……就活終わって県内で働くらしいよ。大学行く気はサラサラ無いって1年から言ってたし……」
「隆二じゃなくて、譲君は大学行きたくないの?」
「1種の奨学金はパスしたけど、行けるの精々私立だけだからね。学費高くて無理ゲー。諦めの呼吸よ」
「そっか。殺鬼面白かったよね~」
「うん。ウーフォーテーブルの作画最高よ……あぁ、原作まだ見てないんだよね……最近のトレンドは書店バイトでどうにか追ってるだけだから、あんま詳しい話はできないけどね〜」
「ファミリーは?」
「アナ可愛いよね」
「ね! 尊すぎだよね! あのキャラの声優さん殺鬼の劇場版で出演しててさ〜」
「あぁ。それ知ってる〜」
「……なんか、久々だよね。こーいうの」
「……だね。てか、随分と垢抜けたね。綺麗になった」
「ほほう。やはり判るか。魅力が溢れて仕方がありませんなぁ〜」
「……そういうとこがなければ、より一層素敵ヨ。アナタ」
「大丈夫。普段こんなんじゃないから」
「そっちは?進路」
「国立大学受けようとしてる」
「……おぉ! ……尚の事勉強しないとさ。葬式どころじゃないんじゃ?」
「こっちの方が大事。……目の下なんかついてるよ?」
「クマ隠しで塗ったんだけど、浮いてたから取った。動画で見たんだけど、上手く出来なかったよ」
「……お母さんの?」
「うん。そうだよ。他に化粧する人なんて居ないし」
「……動かないで〜」
化粧用のコンパクトを取り出し、彼の目の下にファンデーションを塗ろうとするのを咄嗟に止めた
「こんな男の皮膚脂が着くと汚いよ?」
「気にしてないよ。皮膚脂なんてのは男も女も一緒でしょうが。それとも私のが汚いと言いたいの?」
「……君が良いなら。……お願いします」
「……うん。……わかった。……社会に出ていきなり化粧は義務とか言われるんだよね〜。高校は禁止なのにね。いきなり予習無しで義務ですとかムカつかない?」
「でも上手いね」
「ふふ。鏡見る前からわかるの〜?」
「迷いがない動きしてる」
「ん〜♪ 名探偵だね。化粧は休みの日に練習してたからね〜」
「動画とか?」
「ネットの? ……肌のトーンとか血色って人それぞれだから正直、動画のやつとか真似すると、野暮ったい感じとかになるから。……似た顔で経験が多い相手から学んだのさ」
「お母上か?」
「母上って。何時代よ。今は令和だよ?まぁ、正解。……おっし。お嬢さん。これでどうっすか?」
「化粧って凄いな」
「おいおい。そこは私の腕を褒めるべきじゃない? ……なんか、暗い顔してるけど、話し聴こうか?」
「親の葬式だよ? 暗くないはずないじゃん」
「……違う。もっと別のところだよ。上手く言い表せないけど。心の内側にある悩みってのかな」
「……他所様に聞かせる話じゃない」
「他所様って。他所様と思って譲君に話ししてたこと無いけど」
「幼馴染みとしてか?」
「んーん。恋人にしたい男として接してるけど」
「……なんで?」
「私の初恋の相手だよ。アンタ。……自分が良い男って自覚がないのも、good. 恋は盲目だからかね?」
「……まさか葬式で告られるとは」
「ね〜。自分もそういう気は無かったんだけど。なんか、今言わないと、二度と会えずに老婆になっちゃうかもって直感走ったのよね~変かな」
「……」
「おっし。化粧直しも終わったし。ほれ連絡先。アプリ関連も全部入れておいたから登録してね。ちなみに〜、大学では恋人作る気無いので〜?じっくり考えてくれたまへよ〜」
「詐欺か……?」
「違うわい! ……4年間待ってやる。就職していい男居たらくっつくからね〜?」
「葬式でなんて罰当たりな話を……」
「……今は休憩を時間でしょ。いいじゃん。建設的な話をしてもさ。……約束もあったしね」
そういうと母の棺を見つめて彼女は少し涙ぐんだ。
「約束?」
「……んーん。戻ろうか……愛香さんにお別れの挨拶したいし……」
そういう背中は少し震え、鼻声になっている。明るく元気づけてくれたのだ。
「ありがとう。今は色々忙しくてそれどころじゃないけど、返事……必ず返すから。ごめんね」
精神状態がマトモで無い今返事すべきではない。いいや、暫く時間が経てば断るつもりだ。理由はいくらでもある。それらをまとめて言えば釣り合わないのだ。
それに、これから生きていく望みが持てないのだ。罪悪感の呵責で壊れかかっているのは自分でも判るほどだ。いつどこで起爆するかも判らない爆弾を抱えている。それでまた誰かを不幸にするのではないか。ひっそりとひとりでに消えるのが誰も傷つけず済んで良い。
「こんな状況で言ったのが悪いんだよ……ゆっくりでいいから。……待ってるね。ただし、それ以上は待てないから」
「あぁ。わかった……」
それからの葬儀は滞り無く進み、母の遺体が火葬炉へと搬入される。不思議だった事がある。それ程悲しいという感情が湧かなかったのだ。
肩に有沙の手が添えられ、尚の事泣くわけにはいかない。無様な姿を晒すのは全てが終わった後でだ。誰にも見られない空虚な部屋で孤独に苦しむべきだ。そう念じて火葬炉の蓋が閉じられる。
精進落としのご挨拶を行い、納骨へ。葬儀屋の従業員が、母の骨を割り、骨壷へと納められる。軽い音とともに割れる骨を眺める。熱を持った部屋とは逆に譲の思考は冷静そのものだった。
しばらくの後。すべての工程を終え、家の仏壇に骨壷を並べた。親に妹。残ったのは譲ひとりだけだった。
ジャケットを脱ぎネクタイを緩め、仏壇の前に横になる。
「そっちはどんな感じ?……こっちよりもいい場所か?……んな場所なんてないよな」
棺が置かれていた床が、周囲よりも冷たい。保冷剤で数日冷やされた畳は思いの外冷えたままだった。
「……なんで泣けないんだろう?……昨日ので枯れたのかね……風呂入って来るよ。今日はここで寝ようと思うから、夢枕で良いから……恨み言の1つでも言いに出てくれよ……罰してくれよ。誰か」
フローリングの廊下へ出たときに違和感を感じた。目眩と共に酷い頭痛に襲われ、足がもつれその場に倒れた。普通ではない。スマホを取り出し勝手に動き回る指を押さえながら電話を掛ける。視界が濁っている中で着信履歴の一番上のタブを選択してコールをタッチした。
微かな呼び出し音が遠くに聴こえる。痛みも無くなって、聴覚以外の感覚は直ぐに感じなくなった。外で降りしきる雨の音だけが最後まで響くだけだった。
ーつづく
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