モーニングコールは寝ぼけ眼の彼女から

しょうわぽんこつ

第1話 モーニングコール

 6時55分、自室にて。

 

 が訪れたことに気付いた私は、静かに日記帳を閉じた。

 表紙に書かれた私の名前――明星萌花あけぼしもえか、その文字を軽く指でなぞってから机を離れる。

 

 カーテンの隙間からは朝日が漏れていた。

 晴れているようだが、どこか肌寒い。

 

 身体をさすりながら、制服に手早く着替える。


 そしてスカートの裾を押さえながらベッドの上に移動し、正座で待機。


 枕の上に鎮座する黒いスマホをじっと見つめた。


 ――あいかわらず派手だな……。


 まだ時間があるせいか、そんなことを考えてしまう。

 別にスマホの話ではない。


 スマホを支えているピンクの枕、その派手な色合いが今さらながら気になってしまったのだ。



 ――この春入学したばかりの現役女子高生、明星萌花あけぼしもえか


 そう名乗れば多少の華やかさを感じる人だっているかもしれない。

 私だって女子高生という単語に憧れがなかったとはいえないし、萌花という名前にしても両親が懸命につけてくれただけあって、明るい前途を感じさせる良い名だと思う。


 ただ……現実の私は、そんな肩書や名前に相応しいような、明るく華やかなタイプでは決してなかった。


 むしろ俗にいう陰キャというやつで……それに加えて目つきが悪ければ態度も悪い、ろくでもない生き物だったりする。


 だから――。

 

 私は周囲を静かに見回した。


 ファンシーグッズが所せましと並んでいる、私の部屋。

 ふわふわ可愛いぬいぐるみ、モコモコと白いパジャマ、そして――フリフリの付いたピンクの枕。


 ……本当に今さらだ。

 『可愛い』が私に似合わないなんてことは。


 もっとも、父が選んでくれたそれらの品物に不満があるわけでもない。


 あのむさくるしい父が、可愛らしい売り場にわざわざ出向いて買い求めたかたと思えば、微笑みすら浮かぶほどである。

 きっと私が子どもだった頃の好みを、いまだに引きずっているのだろう。

 父さんにしてみれば、私はいまだに小学生同然なのだ。

 本当に笑ってしまう。


 だから本当に不満なんてないんだけど……でも私は、に出会ってしまったから。


 ――成瀬なるせるう。

 明るく可愛くほんわかしていて、全てにおいて私とは正反対の、誰からも愛されるそんな少女。


 この部屋は、彼女にこそ相応しい。


 と。


 ブルル――。


「……っ!」


 まるで時報かと思うほど7時ピッタリに鳴動し始めたスマホを、そのひと震えめが終わるより先に手に取り、耳にあてる。


 聞こえてくるのは――いや、今日もなにも聞こえてはこない。


 だから、こちらから問いかけた。


「起きてる?」


「…………」


 返事はない。

 けれどいつもであればこのあたりで――。


「……おひてるぅ」


 予想通りだ。

 聞こえてきたのは、ふにゃふにゃとした寝ぼけ声。

 たったひと言でいきなり可愛いのだから、天に愛された女の子というのはまことにうらやましい。


 とはいえ今は、彼女――成瀬るうが放つ魅惑のボイスに聞き惚れている場合ではない。

 だってこれは、モーニングコールなのだ。

 彼女の意識をはっきりさせるような言葉を掛けないと、ここで会話する意味がなくなってしまう。


「……電話、切るよ」


 言葉に感情を乗せず、それだけを伝えた。


「うえぇ? もうちょっと……はなそうよぉ……」


 気だるい甘え声が、私の鼓膜を震わせる。

 その異常なまでの破壊力に、座っているというのに腰から砕け落ちそうだ。

 

 これ以上の通話はまずいだろう。


 いつ理性が飛んでもおかしくない。

 そして飛んだ理性が彼女の家にお邪魔してもおかしくない。


 だから私は、見えていないと知りつつもあえて眉をひそめ、険しい声を絞りだす。


「私が電話を切ったあと、二度寝しちゃだめだから」


「……」


「返事は?」


「わはってるう……」


 明らかに分かっていない返事だったが、私は無言のまま通話を終了した。

 これ以上続ければ、あまりの可愛さに『しょうがない、二度寝していいよ』なんて無責任な許可を出しかねない。

 私は彼女のためにも心を鬼にしないといけないのだ。 


『もえかちゃん、ひどい……』


 メッセージがきていた。

 私という人間に対して妥当な評価だと思ったので、特に返事はしない。


 これなら二度寝はしないだろうと思いつつ、ベッドからゆっくりと立ち上がった私は……なんとなくスマホに一瞥いちべつだけくれてから、身支度を再開した。


◇◇◇◇◇


「…………さむい」


 晴天のなか、通学かばんを抱きかかえるように持った私は、身体を震わせながら通学路を進む。


 昨日は暖かかったせいか、寒暖差でまるで真冬のようだ。

 

 天気予報でも、この時期にこの低気温は観測史上初です、なんてありがたくもない話を嬉しそうにしていた。

 このぶんだと、5月とはいえ雪が降るかも――そんなバカげた考えが頭をよぎり、私は思わず苦笑する。


 さすがにそれはない。

 先月雪が降った印象が強かったせいかもしれない、こんなことを考えてしまうのは。


 天気予報士いわく、4月に雪が降るというのは稀にあることらしい。

 稀というのは、滅多にないということで……だから下校中に舞い散る雪を見て、私が衝撃を受けたのも当然だと思う。

 

 成瀬るうも「東京は4月に雪が降るの!?」と驚愕していたっけ。

 ちなみにここは神奈川だ。

 東京ではない。

 

 しかし地方から出てきた彼女は、この神奈川という土地を指して東京と呼ぶことが多々ある。

 もちろん頭では理解しているのだろうが、あまりに東京に縁遠かったせいで、東京=都会をあらわす言葉くらいに思っているようだ。


 そんなところも可愛い。


「……しょっと」


 交通量の多い通りに出た私は、抱きかかえていた通学かばんを肩に掛けなおした。


 別に手が疲れたわけではない。

 背筋を伸ばしたかっただけ。


 だって、ここから先は成瀬るうにとっても通学路。

 家を出る時間がずれていることもあり、実際に遭遇したことはないが、それでも気を抜くわけにはいかない。


 彼女は私のことを『姿勢の良い人間』として認識しているのだ。


 「萌花ちゃんっていつもスラッと立ってて、かっこいいよね!」なんてキラキラした目で見つめられれば、こちらとしても悪い気はしない。

 とはいえ、そんな言葉に縛られるかのように、私の姿勢の悪さは自然と矯正されてしまった。


 もちろん彼女が見ているとき限定で。

 あるいは彼女が見ていそうなときもプラスして。


 本来は猫背の私なので、たまには森を徘徊するゴリラくらいの前傾姿勢で街を闊歩かっぽしたいと思っているわけだが、彼女とどこで鉢合わせするか分からないことを考えれば、その願いが叶うことは一生無いだろう。


「……おっと」


 そんな他愛もないことを考えていると、胸ポケットに入れているスマホが震えた。

 信号待ちのついでに、チラリと視線を落とす。


『おうちを出ました。学校で会おうΖ!』


 ……学校で会おうゼット……?

 意味はよく分からないが、とりあえず彼女も遅刻はせずにすみそうだ。

 スマホをポケットに戻すと同時、歩行者信号も青色に変わる。


 ゆっくりと歩き出した私は――口元が自然と緩んでいることに気づいた。


「ふふっ……」


 そのことに思わず笑ってしまう。


 でもそれも仕方が無い。


 学校に行けば成瀬るうに会える、それだけが今の私の楽しみなのだから。

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