第27話 水族館を楽しむお姉ちゃん

 私はひまりと恋人つなぎしたまま、水族館に入った。薄暗い空間は幻想的で、そこにいるだけで心が癒されていくようだった。


「綺麗だね。お魚さんたち」


「……お魚さん」


 普通の子が言えばあざとくなるその呼び方も、ひまりならしっくりくる。


 私は肩が触れ合うような距離で、ひまりと一緒に水族館の中を歩いた。こうしていると本当のカップルになったみたいな気持ちになってくる。でもそのたび、私は思いだす。


 お父さんとお母さんが毎日喧嘩をしていた記憶を。


 気付けば、私はぼうっと水中をただようクラゲをみつめていた。そんな私へ、ひまりは心配そうに声をかけてくる。


「お姉ちゃん。どうしたの? なんか辛そうだよ?」


「……ううん。大丈夫だよ。それよりひまり、楽しめてる?」


「うん。とっても楽しいよ。まるで本物のカップルになったみたい」


 ひまりは私をじっとみつめて、楽しそうにしている。ひまりには幸せになってほしい。心からそう思うのだ。ひまりを大切にしてくれる人と巡り合って、そして幸せに一生を謳歌して欲しいと。


 でもきっとそんなありふれた幸せは、私には起こりえないことなのだろうとは思っている。


 いつかひまりが誰かと付き合って、私の元を離れていったのなら、それから先、私は一生を孤独に過ごすことになる。紗月だっていつかは誰かと結婚するだろうし、そうなれば関係は希薄になっていくはずだ。


 周りは変わっていく。でも私は一人ぼっち。


 だって、恋愛は怖い。お父さんとお母さんみたいになるのが、怖い。


 気付けば、最初心地いいと感じていた水族館の薄暗さが、見えないとげのようになって、私の心を苛んでくる。傷口はどんどん開いて、まるで薄闇に溺れていくようだった。


 そんな私を心配したのか、ひまりが私をみつめてくる。


「……お姉ちゃん」


 ひまりが何かを言おうとした、そのとき、アナウンスが聞こえてきた。イルカショーがもうすぐ始まるとのことだった。


 せめて頼りがいのあるお姉ちゃんになって、できるだけひまりに必要としてもらいたいのに、これじゃダメだなと私はため息をつく。今は、ひまりをエスコートすることだけに集中しないと。


「ごめん。ひまり、ぼうっとしてた。行こう。イルカショー」


「……うん」


 私はひまりの手を引っ張って観客席に向かった。


 春休みなだけあって、イルカショーのステージは学生が多かった。


 私とひまりは水に濡れない位置に座って、しかもビニールシートで完全防護する。前の方の席ではしゃぎたい人もいるのだろうけど、ひまりはそういうタイプではなさそうだった。


「ありがとう。お姉ちゃん」


「えっ?」


「こういう気遣い、嬉しいよ」


「……うん」


 私たちは椅子に座ったまま、手を重ね合わせた。


 しばらくすると、イルカがキューキュー鳴きながら、ステージを飛び交い始めた。高い高い輪っかを勢いをつけて、くぐり抜けていく。ひまりはそれを目をキラキラさせながら、みつめていた。


 いつかひまりは離れていってしまう。姉妹水入らずでデートもできなくなってしまうのだ。やがては、ひまりのとなりに立つのが私でなくなってしまう。そう思うとどうしても切ない気持ちになってしまった。


「……ねぇ、ひまり」


「なに? お姉ちゃん」


 我慢するべきだと分かっていた。それでも、零れ落ちてしまったのだ。


「……ずっととは言わない。でもこれから先も、できるだけ私のそばにいて欲しい。留学が終わっても、また、私の所に戻って来てほしい」


 私は不安だった。ひまりが遠くに離れてしまうことも、また一人ぼっちになることも、全部。ひまりがそばにいてくれるおかげで輝いて見えた世界も、ひまりがいなくなってしまったら、きっと全てが欠けてみえてしまうだろうから。


 するとひまりはにっこり微笑んで、私のほっぺにキスをした。


「離れてって言われても、離れてあげないよ。お姉ちゃん」


 不思議だった。心の底から温かなものが溢れ出してくるのだ。ベッドの中で縮こまっていた、孤独な子供時代も全て浄化されていくようで。


「……そっか」


 気付けば私は涙を流していた。


 私はひまりの恋人にはなれないし、ならない。それでもひまりは今は、私を必要としてくれている。こんなに嬉しいことはなかった。


「お姉ちゃん。ほっぺ、濡れてるよ」


 ひまりが私の涙をハンカチで拭ってくれる。今の私たちはそういう関係なのだろう。私がひまりのためにできることは、ビニールシートを立ててスプラッシュを防ぐことくらい。外の世界からひまりを守ることだけ。


 私の内側を守ってくれているのは、ひまりなのだ。


 ショーは大歓声とともに終わり、私たちは水族館を出て帰路につく。


 と、あと1か所だけいくか、行かざるべきか、迷っている場所があった。


「ひまり。あと1か所、取材に役立ちそうな場所があるんだけど」


「本当? どこどこ?」


「……ホテル、どうする?」


「えっ?」


 ひまりは目を見開いて、きょとんとしていた。

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