第21話 妹より大切なものなんてないお姉ちゃん

ひまりは毎日勉強をしている。中学三年分をほとんど独学で、この短い期間の間に習得しなければならないのだ。いくらひまりが天才といっても、なかなか難しそうだった。


 とある休日の昼、私はひまりの部屋の扉をノックして、部屋に入る。


「ひまり。勉強はどう?」


「まぁまぁかな。でも毎日勉強ばかりで、ちょっと疲れちゃった。最近はプログラミングもシナリオも全然やってないし」


「だったら私と二人で気分転換に、外にいかない? 姉妹デートってことで」


「デート!? いくいく! 今すぐ準備するね! 着替えるからちょっと待ってて!」


 ひまりはニコニコしながら席をたった。


「うん」


 私は微笑みながら部屋を出ていく。しばらくすると、冬らしいもこもこな服装になったひまりがリビングに現れた。ぎゅーって抱きしめたくなっちゃうけど、我慢我慢。流石にスキンシップが多すぎると、嫌がられちゃうかもしれないしね。


「それじゃあいこっか。ひまり」


「うん! デート、どこでするの?」


「あんまり考えてないんだけど、ショッピングモールとか行こうかなって思ってる」


「分かった! 楽しみだね!」


 玄関から出ると太陽がまぶしい。だけど寒くて、私は思わず両手をポケットに突っ込んでしまう。するとどうしてかひまりはとても不満そうな顔をしていた。


「どうしたの?」


「……デート」


 ひまりはぼそりとそれだけつぶやいた。じっと観察してみると、ひまりは手をもじもじさせていた。なるほど? もしかして手を繋ぎたいのかな?


 可愛すぎるでしょ……!


 私がポケットから手を出すと、ひまりはニコニコ笑顔でぎゅっと私の手を握った。少し前までは私のこと、お姉ちゃんとすら呼んでくれなかったのに、本当に変わったなと思う。でも嬉しい反面、不安でもある。


 ひまりはお父さんのことを忘れさせる全てを避けようとしていたはずだ。私はもしかすると気付かないうちに、ひまりを苦しめているのではないか。そんなことを思ってみたりするけれど。


 横をみるとひまりは弾むように隣を歩いてくれていた。


 ショッピングモールに近づいてくると、私は見慣れた後ろ姿をみつけた。隣には少し背の低い女の子を連れている。


「おーい。紗月!」


「ん? 凛と……。はっ。ひまりさん。まさか、こんなところで会えるなんて……」


 紗月は恍惚とした表情で、青空を仰ぎ見て天に感謝していた。差し込む日差しと、風でなびく髪の毛。なまじ見た目が整っているせいで絵になる光景になり、思わず笑ってしまいそうになる。


 ところで、それを隣で睨みつけている女の子は誰なのだろう。紗月に似たクール系の顔つきをしている。


「ちょっと、なにキモイ顔してるの。こんな人の多い場所でやめてよ」


 夏場は水の吹き出している噴水の広場には、冬とは言えそれなりの人がいた。みんなちらちらと紗月の奇妙な仕草に目を向けている。紗月の隣の女の子はそれが嫌だったみたいだ。


「き、キモいって。我が妹よ。それは姉に対して失礼だとは……」


 なるほど。どうやらこの子が紗月の妹らしい。昔ちらっと見たときよりも成長していて、誰か分からなかった。


「キモい人をキモいっていうことのなにが悪いの? 顔はいいんだから、もう少しまともにしてよ! ……というか、あんたが宮下ひまりなの?」


 クールな表情のまま、紗月の妹はつかつかとこちらに歩み寄ってくる。


「私が宮下ひまりですけど……」


 ひまりは困惑気味に紗月の妹をみつめていた。


「ちょっと。あんたのせいで私のお姉ちゃんおかしくなったんだけど? あんたのゲームを遊んで以来、ずっとこの調子よ。どうやって責任取ってくれるの? もとから、し、姉妹百合だとか好きっていうし、おかしいとは思ってたけど、どうしてくれるのよ!」


 紗月の妹は顔を真っ赤にして、ひまりに詰め寄っていた。


「こらこら。莉愛。ひまりさんに無礼を働いたらだめでござるよ!」


「なんなのよ! ござるって! 昔は私のこと大切にしてくれてたのに、最近はこいつのことばかりじゃない。もう知らない!」


「ちょ、ちょっと莉愛。私、莉愛のことも大好きだから!」


「も? 私とその子、どっちが好きなの?」


「そ、それは……」


 紗月はまるで踏み絵を前にしたような苦悶の表情を浮かべていた。私たちは苦笑いしながら、紗月の元へ歩み寄る。


「莉愛ちゃんの方が大事に決まってるよね?」


 私が問いかけると紗月は首を傾げた。


「えっ?」


「決まってますよね?」


 ひまりが問いかけると、紗月はすごい速度で首を縦に振った。


「はい!」


 私はひまりと顔を見合わせる。莉愛ちゃんはますます怒っている様子だった。


「もう知らない! お姉ちゃんのばか!」


 そう告げて、一人でショッピングモールの中に入って行ってしまった。


「紗月。流石に今のは酷いよ? 大切な大切な妹なんだから、一番に思ってあげないと」


「そうは言われても。私はひまりさんもひまりさんの作る作品も大好きですから……」


 私とひまりはほとんど同時にため息をついた。


「今すぐ追いかけてあげなよ」


「そうですよ。追いかけないとだめですよ。きっと悲しんでますよ? 妹さん」


「……私、本心ではあの子のこと、好きだとは思ってるんだけどね? でもやっぱりひまりさんを否定されると、つい反論したくなるというか……」


 私は真剣な表情で紗月に告げる。


「この世に妹よりも大切なものなんてあるの? 私にはないよ。私はひまりのためなら、命だって落とせる」


「……お姉ちゃん」


 ひまりは目をキラキラさせていた。


「紗月にだってそんな覚悟が本当はあるはずだよ?」


 紗月はうつむいていた。そのままささやき声で語る。


「……私が百合を嗜み始めたころから、避けられるようになって。それが悲しくて、私、百合の中でも特に姉妹百合に傾倒していったんだ。そしたらますます距離を置かれてさ。『妹に欲情する変態!』って罵られたりするし」


 私たちはショッピングモールへ歩きながら、紗月の言葉を聞く。紗月は悲しそうな表情で顔をあげて、私たちに目を向けた。


「でも私だって、莉愛のことは、本当は大切だって思ってる。だけどどれだけ気持ちを伝えても、顔を真っ赤にするくらい怒って『気持ち悪い』って言われちゃうんだよ。……きっとそう言われないようにするためには、百合を捨てないといけないんだろうね」


 好きなものを捨てないと、大切な人に受け入れてもらえない。それはとても辛いことだと思う。私はその気持ちが本当によく分かる。ちょっと前まで「お姉ちゃん」を捨てて「友達」にならないと、ひまりとはまともに関われなかった。


「でも、あの子のためなら、正直、そうするのも悪くはないかもしれないって思えるんだ」


 紗月は切ない微笑みを浮かべていた。


「また元の関係に戻れるのなら、百合は諦めてもいいかもしれないって。二人の仲の良さをみてたら、どうしようもなく、戻りたくなっちゃったよ」


 私とひまりは、じっと紗月をみつめる。紗月は意を決したようにきりっとした顔をして、ショッピングモールに向けて走り出した。


 私たちは顔を見合わせてから、二人で手を繋いだまま走った。

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