第8話 人生の転換点

 僕が美術室に辿り着くころには、既にほとんどの席が埋まっていた。



 すぐに、三浦たちの居場所は分かった。真ん中あたりでワイワイと話している姿見える。しかし、満席でどうやら近くに座る場所はない。



 三浦たちは何かの話で夢中になっているらしくお互い向き合って話している、僕に気づくことはなさそうだ。



 三浦たちのもとへ行くことへの躊躇いが生じる。話しが盛り上がっている所に割って入るという度胸もない。寄って席を一席分開けてくれと頼む神経のずぶとさもないし、変に会話を途切れさせて、目立つのも嫌だ。



 それに何よりもこの気分の高まりを三浦たちと話すことで下げたくなかった。 



 そう考えた僕はできるだけ三浦たちの視線から逃げるように教室の端の方を通り、後ろの座席が足りず余った人たちが座っている席に向かう。



 席に着き三浦たちを見ると、そういえばずっと前に桃谷が遅れて来たときは、みんな桃谷のことを考えて席を空けていたなと思い出してしまった。



 すぐに余計な記憶を呼び覚ましたと心の中で舌打ちするも、もう遅く、心の中がジュクジュクとやわむ。雨の日のあの気分の重さ。



 さっきテンションが跳ね上がっていた反動か、いつもよりネガティブな思考が広がっていって。



 三浦たちの後ろ姿を見て、もうすでにグループが完成されているように感じる。あのグループの中に僕が入っているイメージが湧かない。その感覚がいつもより鮮明に強く思う。



 結局気分は滅入っていく一方で、盛り上がったことによる疲労感だけが僕の中に募った。  



 はぁぁぁ……。僕はもう深呼吸に片足を突っ込んだようなため息を吐く。



「では、今日の授業は人物画を書いてもらいます。向かい合って一緒に書くなり、はたまた人の横顔書くなり自由に楽しんでください」



 チャイムが鳴ると同時に、先生は軽く美術の歴史を絡めて、人物画の醍醐味を説明すると、



「では、始めてください」



 それだけ言って椅子に座り、自分も画用紙に筆を走らせた。一瞬美術室はざわついたが、すぐに皆が近くにいる友達とペアを組みお互い絵を描き始めたことで静まっていく。



 僕はもちろん周りに友だちも話せる人もいない。仕方なく少し遅れて隣にいた余った人に声をかけた。向こうも相手を探していたようですんなりと了承してくれる。



 早速書き始めるのだが、お互いの顔を書くと言っても大したことはしない。



 まずはお互いまっすぐに相手の目元に向かって視線を向ける。それをCAREのスクリーンショットで画像保存してそれを紙に映し出す。



 後は、紙のサイズピッタリに投影された隣の子の写真を上から鉛筆でなぞるだけだ。更にCAREは美術モードを起動しているのでここは影を強くつけましょうなど絵に関するアドバイスをくれる。



 つまり、もうすでにお互い顔を合わせる必要はなく、ひたすらもくもく紙に鉛筆を撫でつけるだけでいい。つまりただの作業ゲーだ。



 早速、髪から書いていく、各場所に応じて濃く書いてくださいなどCAREからの指示が飛んでくる。その後は顔と体の輪郭を描いて、



…………まずは体から描こう。制服の皺、光の当たり方などを忠実に再現し、次は顔を描こうとするとき、順調に進んでいた僕の筆は止まった。



 紙に写る顔は単色的な笑みを浮かべ、こちらを真っ直ぐに見ている。CAREが作り出した嘘の笑顔。



 それを書くと、CAREの作り出す笑顔をさも受け入れているようじゃないか……。そう思った途端、書き進めることを躊躇った。



 少し考えこんだ結果、僕はCAREの指示を無視して書こうと決めた。



 勿論どうでもいいような反発だという自覚はある。



 いざ書き始めると、CAREが指示しているよりも立体感は生まれず平べったい顔、パーツ同士のバランスもおかしい、そもそもパーツ一つ一つのクオリティーが低い。



 ここまで下手になるかと自分で驚いてしまうほどの出来栄えだった。どんな表情をしているか分からない。ただ顔が歪なだけ。



 でも、僕にとってよっぽどこっちの方が人らしいような気がする。まぁ、現実の人を見たことがないから、完全に贔屓目で見ている。それでも満足できた。



 まぁ、一旦こんなもんでいいか……。どうせどこにも見せるわけでもない。僕はぐぅーと背を伸ばす。ずっと背を丸めて書いていたから軽く固まった背中がゆっくりと伸びていく感覚が心地よい。



 そよ風が頬を撫でた。はっきりと分かるほどの風圧。



 あれっ? 僕は違和感を覚えた。窓からは離れているのに。そんな風が届くほど窓は全開になっているのか。そう思って振り向くと窓は閉じられている。



 あれっ?



 そういえば、窓とは逆方向から風が吹いてきた気もする。またまた振り返るが、ドアも開いてないし、空調も動いている様子はない。



 ぼんやりしてたから気のせいかな……。僕は不思議そうに風の当たったと思った左頬を撫でる。



 そんな時だった。



 ビクッ、



 突然、僕の右耳に感じた生暖かい空気に僕は驚いて、体が跳ねた。



 まるで、誰かに耳元で囁かれたような空気が耳にかかったのだ。



 ばっと慌てて振り返る。しかし、そこには誰もいない。



 は……? 



 一瞬感じた人の気配。それもすぐそばに。しかしすぐに振り返ったが誰もいない。訳が分からない。キツネにつままれた気分で。あたりをしきりに見渡すが何もおかしなところはない。



 一体なんだよ……。



 そう心の中でぼやきながら。僕は画用紙に視線を戻す。



 不意に僕の目線は画用紙の端に引き寄せられた。



 そこには丸っこい文字で小さく『明日の放課後、屋上に来て』と書かれていた。その下にはいつものわけの分からないサインがある。



 気管あたりをジンとした痛みに近いものが刺激する。



 思わず声が口から漏れ出た。CAREによって誰にも聞かれることはないが。



 明日、人生が変わる。それは頭で理解するよりも先に、実感できていた。

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