メビウスの約束 4/5

今となってはもう、俺の気持ちなんて何も関係がない。


高梨は、この学校を卒業してしまう。




そして、膨らんでいくばかりのこの気持ちは、元より、萎んでしまうしか道はないのだ。








「俺、先生に会えてよかった。先生のクラスで、本当に良かったなって思うよ」


「なんだよ。照れるだろ」


「担任が先生じゃなかったら、俺…学校に来てたかどうかもわかんないし、何よりさぁ…」




高梨が、背を向けて歩いていく。


その背中が、昨日より遠く見える。






「こんなに、楽しくなかったよ。全部」




素直な言葉に、柄にもなく涙が出そうになる。




俺だって、同じだ。


この煙草と同じように、灰になって消えてしまうしかない気持ちも、楽しかったんだ。全部。






「俺、先生のこと好きだよ」




こいつは、いつも冗談みたいに、そんな無邪気な言葉を繰り返す。


その言葉一つ一つが、幸せで、痛かった。




居たたまれなくなって、煙草を深く吸い込む。


この煙草は、俺と高梨を繋いでいた。


他の誰にもわからない何かで、繋いでくれていた。




それももう、終わりだ。




灰色の煙は、じわりと広がって消えていく。


この想いも一緒に消えていってくれれば、どんなにいいだろう。




そんな願いとは裏腹に、煙を吐き出すたび、心の中でじわじわと染み込むばかりだった。






「先生」


「ん?」




その声で呼ばれるのが嬉しかったよ。


名前を、呼べるのが嬉しかった。


最後まで、こんな気持ちでいてごめんな。


やめられなくて、ごめん。








「俺、本当に先生のことが好きだよ」




あまりにも真剣な声色に、息が詰まった。




なんだよ。


いつもみたいに、笑って言ってくれよ。




気まずいような、変な空気の流れる沈黙。


近づいてくる、足音。






「高梨、大人をからかうのもいい加減に…っ………」




振り返ると、目の前に高梨が立っていて、気がつけばその唇が、唇に触れていた。


指から煙草が落ちて、地面を転がる。







「………」


「からかってないよ」




真っ直ぐな瞳が、俺を貫く。


離れた唇に、感触が残っている。




じんじんと、痛いような感覚。








「ずっと、本気だったよ。俺」




薄々わかっていたことが、今、現実となってここにある。




わかってたんだ。


だから、お前のその真っ直ぐな瞳を、感情を、見てみぬふりをして冗談にしてきた。






「高梨…」


「最後に、本当のこと言えてスッキリした!」




それは太陽のように眩しい、いつもの高梨の笑顔だった。






「じゃあね、先生」




高梨が、背を向けて扉の方へ歩いていく。


その背中を見ていたら泣いてしまいそうで、俺は俯き、地面に転がってまだ小さな火が燻っている煙草を見つめていた。


じりじりと燃えるその炎は、胸の痛みと比例しているようだ。






跳ねるような足音が、離れていく。


離れて…遠ざかって、小さくなって、止まった。




顔を上げると、高梨がまたこっちを見ている。








「先生!!


俺、次に会うときまで先生のこと好きでいるから!!」




高梨の声が、暮れ始めた空に響く。


零れないように何度瞬きをしても、涙がじわりと浮かび上がってくる。






「それまで、先生も俺のこと好きなままでいてね!!」






高梨の笑顔と、扉が閉まる音。


そうしてついに、涙が溢れた。








お互いに気づいていて、叶わないとわかっていたから冗談にしていた。


そんなの、ないだろう。


なんて悲しくて、なんて虚しい。




悲しくて、虚しくて、いっそ笑えた。






高梨がいなくなった屋上で一人、俺は、煙草を蒸かして泣きながら笑った。






それが、俺と高梨の最後だった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る