第四章~⑧

「そうだ。打ち明けられた時は驚いたよ。そのまま黙って亡くなったとしても、関係者は皆いなくなっていたから、闇に葬れたはずだ。それでも話してくれたのは、遺産を無事楓に渡すだけでなく、私も磯村家と縁を断ち切る必要があると考えたからだろう」

 今度は大貴が確認した。

「死後離婚をして姿を消したのも、由子さんの遺言だったのですね」

「彼女は申し訳ないと、涙を流していた。こんな辛い過去を背負わせてしまうなんて、と何度も謝られたよ。でも私がここまで生きてこられたのは、全て彼女のおかげだ。感謝こそすれ、恨みなどあるはずがない。これまでの恩返しができるならと、受け入れたんだ」

「誠さんの遺体が見つからないよう、建物だけを遺贈されたのも由子さんの指示通りだった。でもその他に現金で一千万しか受け取らなかったのは、何故ですか」

「彼女は罪滅ぼしの意味も込め、もっと多く渡すつもりだったけれど、私は断った。調査したのなら分かるだろう。それまで十分恵まれた環境で育てられ、十分過ぎる報酬まで受け取っていたからな。だからそんなに沢山お金を貰っても、逆に困ると言ったんだ」

「それでも一人で生きていくには、お金が必要でしょう。働かなくても生活できる程の蓄えは、無かったはずです」

「私はまだ若いから働ける。身分不相応の金を持っていると、かえって邪魔だ。そう説明したら、彼女は渋々納得してくれたんだ」

 実際に祖父は失踪後、かつての経験を活かして不動産会社に就職している。詐欺に遭って解雇されていなければ、一人で生活していくには十分な収入を得ていただろう。

「確かにもっと多くのお金を持っていたら、詐欺に遭った被害額も更に拡大していたかもしれませんね」

「あの時はとても落ち込んだが、遺産を必要以上に受け取らなくて良かった、と再認識もした」

「山内の姓を名乗る楓さんを遠ざけたのは、磯村家から完全に縁を切らせる為だけだったのですか」

「そうだ。私が旧姓に戻れば、磯村の姓を継ぐ者はいなくなる。それでも血縁は切れない。だから万が一にも事件が公にならないよう、唯一真実を知る私とは距離を置かなければならなかった」

「しかし逆効果になるとは考えなかったのですか。楓さんの前から姿を消さなければ、彼女も謎を解こうとは思わなかったでしょう」

 大貴の問いに、祖父は首を振った。

「楓がそれ程私に執着するとは、由子さんも私も想像していなかった。また君達のように、優秀で親切な友人に恵まれたからこそ、こうして由子さんとの約束を破らざるを得なくなった。だが申し訳なく思う反面、逞しく育った楓の姿が見られて嬉しい気持ちもある。由子さんも同じだろう。多分あの世から今の状況を見ていたら、私の不甲斐なさを許してくれるのではないか。そう信じるしかない」

「由子さんは、他に何か言い残したことはなかったですか」

「彼女はとにかく、楓と私のことを死ぬ間際まで心配してくれた。一連の事件を説明している時は、とても辛そうだった。しかし私に死後離婚を承知させる為には、止むを得なかったのだろう。他に付け加えるとしたら、真由さんが早くに亡くなったのは、自分の行いのせいだと懺悔する気持ちが強かった。それらをずっと誰にも言えなかったから、私に告げる事で楽になりたかったのだとも思う」

「真由さんの死が、由子さんの責任とはどういう意味ですか」

「誤解しないで欲しい。彼女が病気で死亡したのは間違いない。でも亡くなった年が問題だった」

「そういえば、三十歳の若さで亡くなったのでしたね」

「三十歳というのは、真之介さんが亡くなった年齢でもある」

 そう聞いて楓は、もう一つ思い当たった。

「光二朗さんが亡くなったのも、確か同じ三十歳。お祖母ちゃんは、そんな事を考えていたの」

 祖父は悲し気に頷いた。

「ただの偶然にしかすぎないのは彼女だって分かっていた。でも心からそうは思えなかったのだろう」

「光二朗さんを殺したのが、お祖母ちゃんだったからなの」

「そうだ。その報いを、娘の真由さんが受けたのだと彼女は悔やんでいた。それを自分が死ぬまで、ずっと抱え込んでいたんだ」

 祖父の告白を受け、楓は想像してみて思わず口にした。

「光二朗さんの死から二十八年、他に秘密を知っている宗太郎さんが病死してからだと十八年、お母さんが亡くなってから十一年。確かに長いよね」

「ああ。でも私はそれよりも長く、由子さんや真由さんの世話になってきた。それだけ彼女達の傍にずっといながら、全く気付いてあげられなかったんだ。籍を入れて、形式上夫婦にしてくれた期間だけでも八年あったのに、パートナーとしては失格だよ」

「真之介さんが亡くなってからだよね。光二朗さんと一緒に、東京でお祖母ちゃん達と暮し始めたのは」

「由子さんが四十歳、真由さんが九歳、私が二歳の時だ」

 遠くを眺めるようにして呟いた祖父に、大貴が遠慮がちに尋ねた。

「こんなことは聞き辛いのですが、実の父親の光二朗さんを由子さんが殺したと知った時、よし薫さん、あなたはどう思いましたか」

「もちろん驚いたよ。でも私が六歳の時で、親父の記憶は余り残っていない。それ以降私を育ててくれたのは、由子さんであり中学生になっていた真由さんだ。特に真由さんは私にとって、お姉さんであり母だった。由子さんは経済的な柱を支える父親のような存在だった。そんな彼女を憎むなんてあり得ない。先程も言ったが感謝こそすれ、恨みに思ったことは打ち明けられた後だって、一度も無い」

「そうですか。私達が調べたところ、仕事で忙しい由子さんの代わりに、家事や育児を担っていた真之介さんや光二朗さんが亡くなった後、ある年齢からはあなたがしていたようですね」

「そうだ。伯父も親父も主夫の才能があったようで、私もその血を継いでいたらしい。真由さんが高校生になり受験で忙しくなった頃、小学校の高学年になっていた私が、家事をやるようになったんだ」

「真由さんが大学生になってからは、家事を分担していたのですか」

「真由さんが忙しい時は、私が主に担当したしその逆もあった。彼女が結婚して磯村家を出ていくまで、そうした関係は続いた」

「その後はあなたが磯村家の家事を一手に引き受けていた」

「私が二十歳でまだ学生だった頃だ。母親を0歳の時に亡くし、父親もいない。祖父の宗太郎が病死した時、吉家の名を継ぐのは私だけで、完全に一人っきりとなった。そんな私を、大学まで行かせてくれたのだから当然だ」

 しかし母が結婚して直ぐに楓を出産した後、父は京都への転勤が決まった。産後間もない頃だった為、母は楓を連れ実家へと戻った。予定ではしばらくの間だけ単身赴任して貰い、落ち着いた頃に親子共々京都へ引っ越すはずだった。けれど病にかかり、それどころではなくなったのだ。

「当時あなたは、就職活動をしていた時期では無かったのですか。真由さんと楓さんの面倒を看る為に、他の就職先を探さず卒業後は磯村不動産を手伝うようになったのではないですか」

「確かにそうだ。由子さんは自分がそうだったように、まずは他の不動産会社で勤め修行し、その後時期が来たら磯村不動産で雇い、自分を助けて欲しいと言ってくれていた。当時もう彼女は六十歳で、普通なら定年を迎えていた頃だったからな。ただそれが真由さんの病気を機に、早まっただけだ。別に後悔はしていない」

 しかし母が病死し、楓はまだ二歳だった為に祖父はかつての真之介や光二朗と同じく、幼い子供の面倒を看る必要があった。その為不動産の仕事は片手間で、主に家事と育児をする生活が続いたのだ。  

 その内に父が梨花と付き合い始め結婚した。その為引き続き祖母達が楓の面倒を看るようになった件は、皆が知っていることだ。その後祖母の遺産の相続人が楓だけの為、梨花達が遺産を狙っていると心配し、祖父と籍を入れたのである。

 その点を大貴が尋ねると、祖父は言った。

「初めは断わった。当時彼女は六十四歳で、私は二十六歳だったからな。さすがにそれが公になれば、いい年で若いつばめを囲ってと彼女が悪口を叩かれ、磯村不動産の社長としても悪評が立つ。私も財産目当てだろうと、非難されるのは間違いない」

「それでも受け入れたのは、どうしてですか」

「由子さんが言ったんだ。自分はもう高齢だから、いずれ近い内に会社は譲渡する。私に任せたいとも考えたけれど、若すぎるし経験が少ないので、周囲の反対に遭って苦労するだろう。だから諦めた。もし籍を入れて悪い評判が立つようなら、会社だけでなく東京の家も引き払って、あの村で隠居生活をすればいいとね」

「それで籍を入れる決断をしたのですか」

「一番の目的は楓が成人するまで何かあった場合、相続人の一人として遺産管理人になる為だった。健一達から楓と遺産を守るには、その方法しかないと説得されて了承した。何度も言うが、私は磯村家に育てられた。恩を返すチャンスだと考え、由子さんの世話をしながら、楓を将来自立できる立派な子に育てようと、精一杯尽くす事だけを考えて暮らしてきたんだよ」

 そう聞いて、楓は涙が溢れそうになった。祖父は実の父親よりも深い愛情で、ずっと見守ってくれたと身をもって知っているからだ。しかも二十代後半から、他の女性と結婚し家庭を作る夢すら捨て、磯村家に尽くし続けたのである

 そこで大貴は頷いた。

「それは間違いなく、成功したといえるでしょう。梨花さんと対峙した際に垣間見た、楓さんの心の強さ等を私は近くで見て来ました。また莫大な資産を持ったにも拘らず、芯の揺らがない自制心を持っている。あなた達がかけた愛情も、彼女には伝わっています」

 そう告げられた祖父は、顔を赤くしていた。楓までもが照れてしまった。これでようやく謎が解け、かなり詳細な部分まで把握できた。だがまだ全て解決してはいない。

 そこで大貴が言った。

「これでもう、楓さんに隠し事は無いですね。工事を止める代わりに、床下を掘っていいですか。もし土台のコンクリートまで剥がす必要があるなら、家の中に重機を入れる許可を頂ければ、こちらの業者さんにお願いします。それで宜しいですね」

 祖父は力なく頷いた為、この場から離れていた現場監督を絵美が呼びに行った。その間、さらに確認した。

「白骨死体が発見されれば、警察を呼ばなければなりません。そこで今私達に説明して頂いた通り、証言して頂けますか」

 祖父はもう一度頷いた。しかしここからが問題だ。大貴が一歩前に進み言い寄った。

「恐らく警察は、吉さんを罪に問えないでしょう。それでも世間は騒ぐかもしれません。その上でお聞きしますが、楓さんはあなたと一緒に暮らしたいと願っています。その望みを叶えて頂けますか」

 祖父は答えず、逆に質問を投げかけた。

「須藤さんと言ったね。君はそれでいいのか。楓が私と一緒に暮らす、というのはどういう意味を指すのか分かっているのかな」

「単に祖父と孫に戻りたいのではないと、もちろん理解しています。吉さんは現在四十四歳で、楓さんは二十三歳。二十一歳の年の差があるとはいえ、男女が一緒に暮らすのです。三十八歳差で高齢だった由子さんとの時とは、状況が違いますからね」

「答えになっていない。君は楓に好意を持っているのではないのか」

 予想外の発言に楓は戸惑った。しかし大貴がきっぱり告げた。

「私と彼女はあくまで大学時代からの友人で、四年かけて二人の間にある謎と格闘して来た、いわば戦友にしか過ぎません。ただ個人的に、莫大な資産を持つ彼女を自分の顧客にしたい、と目論見があった点は認めます」

 祖父だけでなく、楓も目を丸くした。それでも構わず彼は続けた。

「お伝えしていませんでしたか。私が今どのような仕事をしているか、また大学時代に彼女からあなたとの話に関心を持ったのか」

 そこでこれまでの経緯と、顧客にするメリットについて説明し始めた。一緒に聞いていた楓さえ、知らない部分もあった為に困惑していたが、祖父は納得したようだ。

「それでは、楓を異姓として見ているのではないのだね」

「そういう話は、まず楓さんに質問して下さい。彼女がどうしたいのか。それを聞けば、私などが出る幕でないと分かるでしょう」

 彼がこちらを向いたので、楓は遠慮気味に言った。

「大貴には、今まで色んな場面で助けられたし相談に乗って貰った。でもそれは私がお祖父ちゃん、じゃなく薫さんとのわだかまりを解消し、仲を取り持とうとしてくれたと思っている。遺産を狙って顧客にしたいと考えていたなんて、今初めて聞いたから驚いた。けどそれが本気だったら、遺産を手にした三年前からそうするように仕向けていたはず。だけど大貴は今まで、一度も言わなかった」

「それは全て謎を解明し問題を解決すれば、信頼を得られると思ったからだよ。それにまず俺がプルーメス社に就職した後でなければ、顧客にはできないしね」

 大貴がそう付け加えた為、楓達は苦笑いした。その反応が恥ずかしかったのか、彼はわざと乱暴な言い方をした。

「だから楓さんの想いを、吉さんは受け止めるのですか。それとも拒絶するのですか。ここではっきりさせてください」

 急に祖父が黙った所で、絵美が現場監督を連れて来た。その為大貴が作業手順を説明し工事内容の変更を依頼した所、了承された。そこで楓達の話は中断し、倉田誠の遺体発見を優先させたのである。

 床下の土台のコンクリートをはがすと、白骨死体は出て来た。その後警察に連絡を入れたので、しばらくは皆が事情聴取に時間を割かれた。また家は警察の管理下に置かれたのである。

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