第三章~①

 予定通り楓は電話番号を変え、絵美達に伝えた。新しく住む部屋も決め、連休明けの十四日の土曜日に早速引っ越しを始めたのだ。

 その日が大安だった為、その分料金は高めだった。だが少しでも早く、あのマンションを出たかったからしょうがない。平日だと大学の授業があるので、土日を選んだ。その前の週末の土曜日が仏滅、日曜日は大安だったが、既に業者の予定が詰まっていた為である。

 そこで次に空いている日を何とか押さえ、その日に合わせて荷物を梱包こんぽうした。絵美も手伝うと声を掛けてくれたけれど、それ程荷物は多くないから一人で済ませた。彼女達は、引っ越しする日だけ立ち会ってくれた。荷物を出した後の掃除や、その日に受け取り先の部屋で細々とした作業だけは手伝いをお願いしたのだ。

 重い物等だいたいの作業は、ここへと指示しておけば業者の人がやってくれる。どちらかというと新しい部屋で引っ越し祝いを兼ね、飲み会を開くと言うのが主な目的だった。

 以前は大田区の東急多摩川駅近辺にあったが、今度の新居は総武線沿いを選んだ。本当はこれまで通学時間が一時間余りかかっていた為、出来るだけ大学から近い場所にしたかった。けれども敢えてそうしたのは、祖父が住むアパートから目と鼻の先にあるマンションにしたからだ。またかつて住んでいた場所より、できるだけ遠く離れようと思った為でもある。

 最寄り駅から大学までは、総武線から中央線に乗り換えなしの一本で行けた。だがドアトゥドアで、同じく一時間余りかかる。ただし部屋の広さは、学生が一人で住むにはやや広めの一LDKだ。

 といって贅沢をしたつもりはない。以前住んでいた、N県の家から運ばれた荷物もあったからだ。収納スペースなど確保する必要に迫られた結果である。もちろん賃貸だけど、祖母が残してくれた遺産のおかげで、大した負担にはならない。

 電車で移動して、午前中に運び出した荷物を午後に受け取った。整理し終わったのは、夕方近くになってからだ。その後、買い物に行くのは面倒だからとピザなどを注文し、リビングで簡単な食事会を開いた。

 しばらくは楓がここまで至る不動産業者とのやり取りを話し、ここに決めた理由等を質問され、いくつか起こったハプニング等のネタで盛り上がったりした。

 だがどうしても避けられない話題がある。大貴がそこに触れた。

「あっちの部屋の鍵は、もう送ったのか」

「うん。こっちへ向かう途中、駅のポストにレターパックを入れていたでしょ。あれがそう」

「そうだったのか。鍵を送るだけなのに、あれを使ったんだ」

「封筒に入れて、切手を貼ったりするのも面倒だと思って。それにレターパックだと確実に着いたか、確認できるでしょ。後で受け取った、受け取ってないとか揉めたくないから」

「もちろん、こっちの住所は書いてないよな」

「うん。送り主の所は、前のマンションの住所を書いた。電話番号を空欄にしてね。それだったら、嘘は書いてないし」

「じゃあこれからは、謎の解明だけに全力を注げるな」

 しかし楓は首を振った。

「そうしたいけど、あの人が最後に言ったことも無視できないと思う。何か仕掛けてくる可能性を、頭に入れておかないと」

 彼も覚えていたらしく、同意した。

「確かにそうだな。ここの住所だって、実の父親なら戸籍を取り寄せればすぐに分かる。それにわざわざ大学から 遠い場所を何故選んだのかと考えれば、お祖父さんが近くにいるかもしれないと気付く可能性も否定できない」

 それは楓も考えた。ワザと全く別の、それこそ大学に近いマンションにしようかとも思ったのだ。しかし最終的な目標は、祖父と一緒に暮らすことだからと考え直したのである。 

 ここでは部屋数が足りないから無理だけど、近くで見守りたいという想いが強かった。何故なら借金の返済は楽になっただけで、無くなった訳ではない。

 そう説明すると、彼は理解してくれた。

「今の労働状況はそのままだからな。かなり厳しいから、体を心配して近くにいようと思ったんだろ」

「そう。ここなら何かあってもすぐ駆け付けられるし、夜働いているスーパーも近いでしょ。こっそり覗くことだってできるから」

「でもまだ、今の段階で顔を会わせるのは止めておいた方が良い」

 念を推された為、素直に頷いた。それは理解している。もし楓が居場所を突き止めたと知れば、借金の件も気付かれるかもしれない。その場合、今度こそ本気で姿を消しかねないのだ。

 それでもこっちは債権者だから、泊に依頼すれば追いかけられるはずだが、面倒な事態に陥るだろう。

「そうよね。だから今は我慢する」

 すると絵美が、別の角度から話を切り出した。

「楓のお父さんの言葉も引っかかるのよね。知りたくもない真実に辿り着き、苦しむのはお前自身だぞって言ってたでしょ。本当に失踪した理由を知らないのかな。縁を切った人に近づいたって、迷惑がられるだけで、傷ついて終わるだけだとも言ったじゃない」

「でもあの時の話の様子だと本当に知らないようだったし、嘘はついていないと思う」

 楓の意見に大貴は頷いた。

「俺も山内さんの意見に賛成だな。スマホ越しで声を聞いただけだが、惚けている感じはしなかった。あの言葉も単に無駄な事にお金を使うなという意味と、実の父親よりも大事に想われているお祖父さんに対する嫉妬があったからじゃないかな」

 同感だった。だからそれよりも、父達がこのマンションの住所から推測し、祖父の居場所に気付く方が気になる。

 しかし絵美はそれを否定した。

「でもあの人達は、連休が終わってもう札幌に帰っちゃったんでしょ。もし居場所を知ろうとするなら、楓がしていたように調査員を雇うしかないはず。でもそんな事にお金を使うとは思えないけど」

「それは一理あるな。彼らの最大の目的は、山内さんが持つ遺産だ。お祖父さんの居場所を知ったからといって、大した得にはならない。それよりも心配すべきなのは、自分自身の身の安全だよ」

 大貴の言葉に、楓は首を捻った。

「確かに私が死ねば、遺産の全額がお父さんのものになるとは言ったわよ。だけど命を狙われるなんて、本気で思っていないから」

「山内さんが結婚をして子供を産まない限り、父親を法定相続人からは外せない。例えもしもの場合を想定し、全額お祖父さんに遺贈する遺言書を残したとしても、今の時点なら遺留分がある。多額の遺産の半分でも手に入れば、彼らは御の字だろう」

「でも本当に私の命を狙う真似なんてするかな。さすがの梨花さんでも、そんな度胸は無いと思う」

「普通はそうだろう。でも気を付けた方が良い。ただ遺言書は冗談抜きで、誰かと結婚するまで残しておいた方がいいかもな」

 そこで楓は、彼らにまだ言っていないことを告げた。

「実はもうしてある。連城先生に教えて貰って、正式な遺言書にしたものを預けてあるから」

「本当に? いつの間にそんな事をしていたんだ」

「そうよ。私も知らなかった」

「前から考えていたの。だから連休明けに、連城先生と連絡を取って相談した。お父さんと、事実上関係を断った報告も兼ねてね」

「そうだったのか。それは良いと思うよ。全額渡るよりはいいだろう。それでも半分はお父さんのものになるから、根本的な解決にはならないけど、しないよりはマシだ」

「そうでしょ。それと連城先生にはこれからも色んなアドバイスを貰う必要があるから、繋がりを持っておこうと思ったの」

「まあどちらにしても、札幌の二人の動きを心配するより、今後どうするかの方が重要だな。泊さんからは何か言ってきたかい」

 話題を変えた大貴に、楓は答えた。

「こっちの状況を伝えて、引っ越しをすることや電話番号を変えたって知らせた時、少し聞いた。かなりてこずっていて、まだ有力な手掛かりはないみたい」

「一応私が連休で地元に帰った時、家のお祖父ちゃんやお父さん達にはあの村の件で何か情報が入ったら、教えてと伝えたけどね」

「そうか。目黒さんはN県出身で、山内さんが住んでいたあの村と近かったんだっけ」

「近いどころか市町村合併したから、今は同じ市になってる。それに地区も近いし、もしかすると知人の知人の繋がりで、何か出てくるかもしれない。といってもかなり昔の事だから、あまり期待して貰っても困るけど」

「有難う。大丈夫よ。少しでも繋がりがあれば助かる。もし誰か知っている人がいたら泊さんに連絡して、話をして貰えるよう口添えしてくれるだけで十分。それ以上欲をかいたら、罰が当たるわ」

 しかしこの年における調査は難航し、ほぼ進展がないまま時が経過した。その上二〇二〇年に入ってしばらくすると、全く予期しない出来事が起こったのである。それは世界中で起こった感染症のパンデミックだ。 

 この為、泊の調査は中断を余儀なくされた。それはそうだろう。ただでさえ緊急事態宣言が発令され、県をまたぐ移動が制限されたのだ。しかもこれまでだって東京から来た全くの他人が、狭い村を歩き回るだけでも警戒されてきた。それがウイルスをまき散らすのではないかとの新たな脅威が加わった為、話を聞いて回るどころではなくなってしまったのである。

 それでも出来ることは無いかと、楓は必死に考えた。祖父が働くスーパーに寄り、迎えに来たよと何十回声をかけようか悩んだ。それでも連城先生や泊、また大貴達の説得により我慢を強いて来た。少なくとも自立した大人になり、祖父が去った理由を明らかにしない限り、素直に迎えてはくれないと理解していたからだ。

 また三人は大学の三年生となった為、就職活動をし始める年でもあった。例年なら六月頃からOB・OG訪問や、就労体験等により対象企業の情報も収集できるインターンシップへの参加が、本格化し始める。それらの多くが延期、中断、中止されたのだ。

 何故なら一月末から騒がれ始め、徐々に感染者が増えた四月には緊急事態宣言が発令されたからである。五月末には解除されたが、都民には別途「東京アラート」なるものが六月に出され、世界では感染者が増え続けていた。七月には日本でも再び感染者が増え始め、その最中に「GO TO トラベル」「GO TO イート」キャンペーンが始まった。 

 その影響もあってか日本中に感染拡大し、年明けの一月には再び緊急事態宣言が発令されるまでに至ったのだ。

さらにはそれを解除した三月以降、変異株の影響もあり再度感染拡大し第四波、七月に無観客開催が決まった東京五輪前に第五波を迎えた。

 そうして長引いた感染による不況により、多くの企業は軒並み採用を抑え始めたので、かなり厳しい環境下に置かれたのである。

 そこで楓は思い切った行動に出た。就職活動先を、祖父が働いている保険会社とIT企業、大手スーパーの三社に絞ったのだ。

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