02:見知らぬ姪

 私がこの塔で暮らすようになってから、面会者などほとんど、、、、いなかったと記憶している。唯一の例外も最近面会に来たばかりで、次の面会予定までは間があるはずだった。

 果たして、わざわざ私に会いに来るような物好きが彼の他にいるのだろうか?

 内心首を傾げながらも、先導する刑務官の背中を眺める。独房を出る時には必ずつけられる手枷と足枷が窮屈ながら、その文句は胸の内に留めて、わずか、口の端を歪めるだけで済ませた。うるさい、と口枷まで嵌められてはかなわない。

 面会室までの道行きに、他の囚人の姿はない。『雨の塔』にはもちろん他にも囚人がいるはずなのだが、私はその姿を目にしたことがないし、きっとこれからもないのだろうと思っている。私の扱いがしち面倒くさいということは、私自身が一番よく心得ている。

 手すりのない長い螺旋階段を降りてゆき、やがて独房よりも通路よりもずっと明るい面会室へと通される。眩しさに、刹那目が眩んだけれどそれもすぐに収まり、部屋を二分する鉄格子の向こうに座っている、どうにも場違いとしか思えない人物の姿を認める。

 雨避けだろうか、重たそうな外套を纏った少女は、わずかに湿った柔らかそうな金髪を揺らし、青い目でこちらをひたと見据えて。

「ごきげんよう、叔父さま」

 かつての私によく似た顔で、晴れやかに笑ったのだった。

「……ええと」

 そう、よく似ている。それに私を「叔父さま」などと呼ぶ人間など限られている、はずなのだけれど。私の戸惑いをどうやら正しく受け取ってくれたらしい少女は、笑顔もそのままに言った。

「アレクシア。アレクシア・エピデンドラム」

「アレクシア……」

 アレクシア。もう一度、その名前を口の中で唱える。せめて、今この瞬間だけは忘れないように。

「申し訳ない、最近どうも物忘れが多くていけないね」

「忘れたというよりも、覚える気がなかったんだろう、叔父さまは?」

 笑みに似合わぬ辛辣な物言いだが、どうやらこの様子だと私の姪であるらしい彼女は、私の無関心さを知ってくれているらしい。光栄なことだ。

「それで、君はどうしてまたこんな辛気臭い場所に?」

 成人にも満たないような少女が訪れる場所でないことは確かだ。遠くから聞こえてくる雨音は、この場所を外界から明確に閉ざしている。わざわざこんな場所に足を運ぶのは、それこそこの場に相応しいという烙印を押された者か、そんな「ひとでなし」に用のある変わり者くらいで、

「少しばかり叔父さまと話をしてみたくなってね」

 彼女は、どうやら後者であるようだった。

「それはまた……、物好きなことで。姉さんは止めなかったのかい?」

 私の姉は「私と似ていた」という以外に記憶すべきことが何一つない人物だった。いや、本当はあったのかもしれないけれど、外にいた頃の私はそう思い極めていたから、彼女についての記憶はどこまでも曖昧だ。今、アレクシアの名乗りを聞いて、エピデンドラム公爵家に嫁いでいたことを思い出した体たらくだ。

 いっそ、「思い出した」というよりも「知った」という方が実情に適っているかもしれない。

 アレクシアは完璧な笑みを少しばかり崩して、大げさに肩を竦めてみせる。

「もちろん、言っていないよ。叔父さまに会いに行くなんて言ったら、お母さまどころか家中の人間が止めるだろうさ」

 たった一人、止めなかった人物がいたとすれば、アレクシアの後ろにぴんと背筋を伸ばして立つ老従者くらいだろう。彼は私とアレクシアの会話に一言も口を挟むことはなく、ただ、じっと我々を見つめている。

 なるほど、霧がかかっていた意識も少しずつはっきりとしてきた。ここしばらく忘れていた感覚だ。もう戻ることはない霧に霞んだ過去ではなく、「今」「ここ」に意識が戻ってきたような手ごたえ。

「……それでもここに来たということは、それだけの理由があるということかな。流石に、ただ『話をしたくなった』だけではないだろう」

「ああ。よかった、監獄生活で耄碌していたらどうしようかと思っていた」

 けれど、話をしたいと思ったのは本当なんだ、とアレクシアは言って、微かに首を傾げる。

「それにしても、随分痩せたんじゃないのか、叔父さま」

「そうかな?」

 ここに来てからそこまでじっと鏡を見ることもなく、見たところで代わり映えのしない顔が映るだということもあり、意識したことはなかった、が――。

「そうだな、身軽にはなったかな」

「これでも?」

 これ、と言った彼女の視線が指すのは私の手元、つまりは手枷であった。確かにこれで「身軽」と言うにはあまりにも滑稽にすぎる。

 それでも。

「これでもさ。君にはわからないかもしれないけれど」

 私は決して許されることはなく、故に二度とこの塔から出ることも無いだろう。そうして自由を奪われた今の方が身軽に感じられるなんておかしな話なのだが、私の実感としてはそうと言わざるを得ない。

 アレクシアは外套に覆われた膝の上でしらじらとした細い指を組んでみせる。

「そうだな。わたしにはわからない話だよ。きっと、わかるべきでない話でもある」

「その通り。健全に生きたいならば、知らないほうがいい。私ほど、真似すべきでない人間もそうはいないよ」

 本当に。これだけは、ここに来る前の私でも同意してくれるはずだ。私のような人間は、私ひとりで十分に過ぎる。

 そんな自虐めいた気持ちを持て余している間も、アレクシアの双眸はじっと私を見つめている。顔が自分に似ているだけにどうにもやりづらくて、曖昧な表情を浮かべざるを得ない。

 一拍、二拍。意識して呼吸を数えたところで、アレクシアのちいさな唇が開く。

「別に、真似をしたいわけではないけれど、その叔父さまの意見を求めたくはあるな」

「それが、君が来た理由かな?」

「そう。どうにもわたしの手に負えない出来事があってね。それについて、叔父さまの知恵を拝借したいというわけだ」

 その言葉には、思わず笑いが漏れてしまう。私の後ろに立つ刑務官が僅かに緊張するような気配を醸し出したけれど、知ったことか。

「私が本当に知恵者なら、こんな場所にはいないよ」

 強いておどけた調子で、手と手の間を繋ぐ鎖を示してみせる。過去がどうであったかはともかく、今の私はただの囚人に過ぎない。愚かしさによって取り返しのつかない罪を犯した結果、二度とこの雨の塔の外に解き放たれることはない、囚人。

「それに、君の立場なら、ほとんど見ず知らずの私なんかよりもずっと頼れる者がいるだろうに」

「案外いないものだよ。叔父さまもご存知だろう、わたしたちの周りは、互いの足を引っ張り合うことしか考えないものでね」

 それは当然覚えがある。誰もが、というのは言いすぎかもしれないが、その「立ち位置」もしくは「存在そのもの」を狙う者は常にどこかにいる。どこかにいる、という前提で考えるなら、隙を見せるような真似はそうそうできない。それが貴族クイーンズブラッドの頂点に限りなく近い者たちの下らない日常なのである。

「その点、叔父さまには今更何を話したところで、何が変わるでもない。そうだろう?」

「それはそうだね」

 私にはアレクシアの足を引っ張る理由もないし、仮にあったとしてもこの場から何ができるわけでもない。アレクシアからすれば、格好の「話し相手」ではあるのかもしれなかった。……あまり、おすすめしてよいものではないとは思うけれど。何せ私はこの通り、ろくな人間ではない。

 とはいえ、わざわざ訪ねてきた少女を追い返すのは忍びなく、それ以上に、あえて「私」を訪ねてきたアレクシアに興味が湧いたのも事実であった。果たして彼女がどのような話を持ってきたのか。それを私に話すことにどのような意味があるのか。

 私が話を聞く姿勢になったのを察したのだろう。アレクシアは「ふふ」と微かに笑って、それから背筋を伸ばして私を真っ直ぐに見据える。

「わたしの話を聞いてくれるかな、叔父さま」

「構わないよ。お役に立てるかどうかはわからないけどね」

 話を聞いても、聞かなくても、何が変わるわけでもないのなら。普段といささか異なるこの時間を享受しても許されると思いたい。

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