第57話 洛陽決戦

 石勒は洛陽急襲の報を聞き、群臣に言った。


「俺みずから出陣し、劉曜と決着をつける」


しかし、謀士の程遐は進み出てとんでもないとでも言いたげに手をばたばたと振って否定の仕草をする。


「劉曜は勝ちに乗じて勢いがありますから、これといま戦うのは極めて危険です。金墉城は兵糧が豊富にございますから、ここを攻めてもすぐに抜くことはできないでしょう。劉曜は千里の道を超えて来ているわけですから、その勢いは長く持続しません。陛下みずから動いてはなりません。親征などしたら、どんな不測の事態に見舞われるかもわかりません。そんなことをしては万全を欠き、かえって大業が去ってしまいます」


石勒は首を振る。

程遐はしぶしぶ引き下がった。

石勒は群臣を見渡す。


「おい、誰か。牢屋から、あいつを連れてこい。徐光じょこうだ」


しばらくすると、徐光はふらふらと出てきた。


「ははぁ、おいらを解放するなんて、どういう風の吹き回しかな」


石勒は軽口を無視して本題に入る。


「劉曜は高候で勝利した勢いに乗じて、洛陽を包囲して留まっている。程遐のやつは、劉曜のその勢いに正面からあたるのは危険だという。しかし、劉曜の兵士は十万もいるのに、一つの城を攻めて百日経っても落とせずにいる。このことから、既に兵士は疲弊しているとわかる。ゆえに、俺が自ら精鋭を率いてこれを攻めれば、一戦で劉曜を生け捕りにできよう。もし洛陽が陥落すれば、劉曜は必ずや死を冀州に送りつけるだろう。そうなると黄河以北はこぞって劉曜のほうを向き、わが事業は去ってしまう。程遐は俺がみずから出撃するのを望んでいないが、お前はどう思う」


「劉曜は高候で勝利したのに、留まっているんですか」


「そうだ」


徐光はげらげらと笑い出した。


「ああ、おかしい。進軍して襄国に迫ることができず、金墉城に留まる……無能の行動です。劉曜というやつは阿呆ですな。距離や規模から察するに劉曜が進発したのは春でしょうから、もう三つも季節を超えて、兵士は疲れ切っているはずです。攻者の利は、もはやまったくない。もし陛下が天子の旗を立ててみずから出撃なされば、劉曜は尻尾をまいて逃げ出しますよ。天下を定める計略は、いまのこの一挙にかかっています。この機会は、天が授けたものです。授かったのに応じなければ、禍が下りますぜ」


石勒は初めて徐光に笑いかけた。


「お前の計略が正しい」


石勒が朝堂を睥睨すると、いつの間にか大和尚こと仏図澄ぶっとちょうがど真ん中に座ってウンウン唸っている。


「むむむ、見える、見えますぞ。陛下が劉曜を捕える姿が。大軍が出発すれば、必ず劉曜を捕らえられますぞ」


目をつむって厳かな表情で言う仏図澄を見て、徐光は首を傾げる。


「坊さんよ。それは坊さんの仕事じゃなくて、占い師の仕事じゃないかな」


石勒は徐光のおでこを指で弾く。


「いいんだよ、この坊さんの占いは当たるんだから」


石勒は張賓が生前推していた田堪でんたん田聡でんそうの二将軍を召すとこう言った。

田堪でんたんは闘犬のように筋肉の皺が顔によった厳しい若者、田聡でんそうは猛禽のように尖った鋭い顔立ちの若者であった。


「この戦いは天下分け目の決戦だ。お前たちには俺の爪牙となってもらいたい。俺の姓である、石の字を与える。励めよ」


「はっ!」


石堪せきたん石聡せきそうになった二人が退出していく。

石勒十八騎からは孔豚こうとんを呼びたいところだったが、あいにく幽州の押さえにおいているのでそれは出来なかったので、桃豹とうひょうを連れていくことにした。


「これが陛下にとっての官渡の戦いですね」


「お前、ほんとに曹操好きなのな」


石勒が鎧を着ていると、妻の劉凛りゅうりんが具足の紐を締めてくれた。


「あなた、少し太ったんじゃない?」


「ばれたか…………なあ、凛。留守を頼んだぞ」


劉凛は少しぐすっと鼻を鳴らした。


「死んだら許さないんだから」


「おおこわ!それじゃあ、なんとしても勝たないとな」


石勒と劉凛は口付けを交わした。


石勒は遂に歩騎四万を率いて城門を出る。

洛陽決戦の始まりであった。

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