第55話 陳安
左手に掴んだ七尺の大刀を振ればたちまち五つの首級が舞う。
右手に握った丈八の蛇矛を突くとこれまた五人を一度に貫いた。
葦毛の名馬にまたがった、この超人的武将の名を陳安という。
陳安は、かの飛将軍呂布奉先もかくやという武勇を誇りながらも、さのみ大勢力を築くこともできず、混乱の五胡十六国時代の中ですり潰されようとしていた。
「があぁぁぁぁぁッ」
魔獣のごとき咆哮をあげる
「退くな!どんなに強くとも、人間にすぎん。数で当たれ、数で」
劉曜軍の前衛を指揮するのは
平先は嘆く。
これほどの武勇をもった男を、我が主君の劉曜はみすみす背かせてしまったのか。
臣従を願い出たこの陳安という群雄に、劉曜は面会しなかった。
疑心に駆られた陳安は領内で暴れ始め、すぐに手がつけられなくなった。
劉曜は精鋭騎兵を全て突っ込んで、この陳安の討伐に乗り出した。
石勒との戦いを前に、こんな事をしている場合ではないと言うのに。
「平先!何を手こずっている!」
音を超える矢が平先の耳を掠め、そして陳安の目に突き刺さった。
平先が振り向くと、後方には赤い目を怒らせた劉曜が馬上で弓を構えている。
「汝が行け。行かねば、お前を先に射殺すぞ」
平先は半分は恐怖、半分は熱情に包まれて、陳安に向かっていった。
撃ち合う事三合、陳安の刺し貫かれた右目の側にはわずかに隙が生じていた。
平先はその隙を見抜いて、陳安の腹を突いた。
落馬した陳安は蛇矛を取り落とし、劉曜軍に背を向けて一目散に走り出した。
「は、速い!人間の出せる速さではないぞ」
鎧を着ている陳安に、それでも劉曜軍は引き離されていく。
雨の降りしきる中、わずかに見える血痕をもとに劉曜軍は陳安を捜索し続けた。
翌日、
呼延青人は、まだ生きている陳安を見つけて自分が倒したのだと主張したが、本当のところはわからない。
陳安が死ぬと、彼が割拠した隴上の人々は彼のことを歌った。
「隴上の壮士に陳安あり。体小さく心は雄大。将士を愛し、心を共に。またがる
この歌を気に入って口ずさむ劉曜を見て、平先は動揺を隠せない。
自分で殺しておいてなんなんだ、この人は。
劉曜は倒錯の度を強めていた。
それは陳安討伐の直前に、劉曜の寵愛する羊献容が死んだためかもしれないし、毎日飲む信じられない量の酒のせいかもしれないし、各地から届けられる凶兆のせいかもわからない。
あるいは、その全てが、じわじわと劉曜の精神を蝕んでいるのか。
痛切な響きで陳安の歌を歌い上げる劉曜の声が、平先の耳について離れなかった。
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