第21話 庇を貸して母家を取られる

 「信じられんなぁ。その言葉に偽りがないのなら、証拠を見せてみよ」


眼前に跪く自称亡命者のことを、烏桓の族長である張伏利度(ちょうふくりど)は信用できなかった。

これまで烏桓をはじめとする諸胡を率いて独立を保ってこれたのも疑り深い性格故だと自負していた。


「漢が上り調子に見えるのは表向きだけ。その裏では漢王劉淵は逸楽をほしいままにし、諸将がいがみ合い、民の心は離れております。私は漢王にたびたび諫言をいたしました。結果がこの仕打ちでございます」


男が上衣を脱いで後ろを向き、編み込んだ後ろ髪をのけると、そこにはまだ新しく、そして生々しい傷跡が残っていた。

杖刑の行われた跡であることは間違いない。


「むぅ……石勒(せきろく)といったか。しばらくこの楽平に留まることは許可しよう。ただし、妙な真似をしてみろ。わしは杖刑ではすまさんぞ」


張伏利度はひとまず石勒に一室を与え、衛兵に注意深く監視するよう命じるのであった。

平伏する石勒の表情は、壇上の張伏利度からは見えなかった。


 石勒は数週間怪しい動きなど何一つしなかった。

監視を緩めてある程度の自由を与えてもそれは変わらなかった。

あるとき、他の塢壁への襲撃に際して、石勒が作戦の改善案をおずおずと言ってきた。

張伏利度はこの事を怪しんだものの、試しに石勒の言った通りしたところ成功した。

こうした事は何度か起き、石勒の意見を容れれば成功し、聞き入れなければ失敗したため、諸将は張伏利度に作戦を提案する前に密かに石勒に伺いを立てるようになった。

張伏利度は慌てて、自分から石勒の意見を求めるようになった。

それでも諸将が石勒の授けた作戦をよく体せず、失敗することはあった。


「仕方ない。余所者とはいえ、今のところは怪しい素振りもないし、任せるべきところは任せるようにせんといかんな」


張伏利度は、石勒を客将として遇することとし、直接兵を率いさせることにした。

向かうところ敵なし。侵攻の成功率は跳ね上がり、城内は略奪した財宝で溢れかえった。

笑いが止まらない、良い夢の世界にいるようだった。こいつと組んでいれば天下だって狙えるかもしれない。

張伏利度は石勒と義兄弟の契りを結ぶ、と部衆に宣言し、盛大な宴を催した。


「お前には謝らなくてはならんな。わしは、お前が漢からの亡命者だといってやって来てから、長らく偽りだと疑っていた。しかし、お前はここまでわしに尽くしてくれた。すまなかった、義弟(おとうと)よ」


誓いの杯を掲げると、石勒もまた杯を掲げた。


「謝る必要なんかないさ」


バシャ、という音がして張伏利度の目は突然見えなくなった。

酒を顔に浴びせられたと彼が気づいた時には、後ろ手を捻り上げられていた。

石勒が冷然と言い放つ。


「だって、すべて偽りだったんだからな」


「な、なんだと」


石勒は張伏利度を床に押さえつけたまま声を張り上げた。


「いま、大事を起こすとして、俺と張伏利度ではどちらが主人にふさわしいと思うか」


石勒!石勒!という大歓声が城中を沸かせた。

いつの間に配下の者達を手懐けていたのか。

張伏利度にとっては一転して悪夢に突き落とされたようなものであった。


 「おめでとうございます」


黎城から出て劉淵から与えられた屋敷に帰ろうとすると、後ろからふんわりとした優しげな声が呼び止めてきた。

振り返ると、ええと宮中で見たことはあるが、という程度の知り合いだ。


「靳準(きんじゅん)でございますよ。こうしてお話するのは初めてでしたね、石勒殿。張伏利度を降し、その功で督山東征討諸軍事を加えられたとか」


思い出した。

この男は匈奴の貴族の一人であった。

美形だということのほか、特に印象の残らない人物だった。

朝議でもそんなに積極的に発言している印象はない。

睫毛(まつげ)が長く中性的な顔立ちで、肌の色が抜けるように白い。


「ええ、おかげさまで。わざわざありがとうございます、靳準殿」


「で、どうやったのです?」


「は?」


とぼけないでくださいよ、と靳準は言う。


「策略をもって兵を損なわず降したと聞いております。興味がわきましてね」


どうせ二度は使えない手でもあるので、石勒は張伏利度を陥れた策略を語って聞かせた。

背中を部下に傷つけさせて亡命者を装ったこと。

数ヶ月をかけて張伏利度を信用させ、その部衆を手懐けたこと。

そして、部衆達が自分に心服したのを見計らって、張伏利度を捕縛し、部衆を丸々率いて漢に帰還したこと。


「いやぁ、素晴らしいお手並みです。ただ、張伏利度を殺さなかったのは何故ですか」


「烏桓の者達にとっては元の主人。彼らは俺に心を寄せているとはいえ、さすがに殺されたとなれば張伏利度に同情する者も出てくるかもしれない。それに……寝覚めが悪い」


靳準はうんうん、と頷いてから苦笑いを浮かべて言った。


「いやぁ、私だったら張伏利度が生きていたら復讐が恐ろしくて、それこそ眠れませんよ。いやしかし、興味深いお話でした。ありがとうございます」


ご機嫌よう、と朗らかに挨拶すると靳準は雑踏の中に消えていった。

石勒は口の中がざらつくような感じがして、家に帰ると水を一杯飲んだ。

そうして寝台に突っ伏すと、靳準のことは忘れて眠った。

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