第10話 丁紹

 「太平郡に続き、汲郡まで……このままでは、このままでは……」


司馬模しばもは焦っていた。

司馬越しばえつ司馬騰しばとう司馬略しばりゃく、そして司馬模しばも。司馬越を長兄とする四兄弟の末弟である司馬模は、ぎょうを鎮守する重要な役目を担っていた。

古くは戦国時代に秦国と趙国の決戦“ぎょうの戦い”の舞台となった鄴。その後は古都として長らく存在感を失っていたが、三国時代に袁紹えんしょうが勢力基盤を置き、袁紹を滅ぼした曹操そうそうが国都と定めると、失った時を取り戻すかのように、鄴は急速に発展した。その発展は都が洛陽に移っても止まらなかった。

平昌公である司馬模しばもは洛陽につぐ大都市であるこの重要拠点を、何があっても死守しなくてはならない。


「鄴城は我等が命に替えても守り抜きます。ご安心を」


二本の角飾りのついた兜を被った趙驤ちょうじょうが進み出る。その横には一角の兜を被った馮嵩ふうこうがいて、重々しく頷く。この二人は司馬模の部下の中でも有能な武人であったが、司馬模の不安を拭い去ってくれるほどの逸材ではなかった。

しかし、その時、扉が勢いよく開け放たれて、朗らかな声が部屋中に響いた。


「それにそれに!この私までいるのですよ!」


「おお、そなたは」


朗らかな声の主は、ツカツカと歩くと、司馬模の前に跪いた。

赤い戦袍に銀色に煌めく明光鎧、兜には羊のような怪獣の顔が彫金されている。

公正を象徴する瑞獣、獬豸かいちである。


「広平郡太守、丁紹ていしょう!閣下の危難を知り、参上いたしました!」


司馬模は椅子から降りると、丁紹の手を取って立ち上がらせた。


「戦上手で知られるそなたが来てくれるとは、非常に心強い。聞けば、賊に郡境を一度も超えさせたことがないとか」


丁紹の笑う口元に、やたらと歯並びの良い歯が光る。


「ハハッ、他の太守が不甲斐ないだけですよ。ま、私が来たからには大丈夫、ということは否定しません。大船に乗ったつもりでいてください」


丁紹はその場に居並んでいる趙驤達二人の将軍を一瞥すると、再び司馬模に視線を戻した。


「作戦の指揮は私が執らせていただく。よろしいですか?」


「無論である。頼むぞ、丁紹」


丁紹は二人に砂盤を持ってこさせると、司馬模にさっそく作戦の説明を始めた。

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