不自然な着信

スギモトトオル

本文

 雨が降った日の夜だった。

「あ、やべ」

 アパートの玄関に入ろうとしたところで、自分の失敗に気が付いた。

 鍵を持たずに出てきてしまったのだ。ちょっとコンビニまで飲み物と夜食を買いに行くだけだったから、ポケットにつっこんだ小銭入れ以外、何も持っていない。財布も無ければ、スマホも充電器に繋いでベッドの上だ。他に身に着けている物といえば、腕時計くらい。

(よりによって、かよ……モバイルバッテリに繋いで持ってくりゃよかった)

 舌打ちして地面を蹴飛ばすが、いまさら後悔しても仕方ない。これからどうするかを考えなくてはならない。

(こりゃ、管理会社に連絡するしかないな)

 時刻は零時半。このまま待っていて、誰かが玄関を出入りするのを期待できるような時間帯でもない。知らない住人をたたき起こす訳にもいかないし。近くに公衆電話ボックスがあったはずだ。それを頼るしかないだろう。

「とりあえず小銭が……これっぽっちか」

 小銭入れを開いて出て来た金額を見て、思わず顔をしかめる。コンビニで支払った後なので、まるで子供の小遣いのような金額しかない。すぐに尽きてしまいそうだ。

「くそ、ついてねえな」

 悪態をつきながら、エントランスの掲示板を見る。管理会社の電話番号があったはずだ。

「あったあった……けど、メモするもんが無えな」

 筆記用具なんて無いし、コンビニでペンを買う余裕もない。

(暗記は嫌いなんだよ……)

 張り紙とにらめっこして、なんとか番号を憶える。忘れないうちに、電話ボックスへ駆け出した。


 今どき存在自体が珍しい公衆電話ボックスは、アパートから左に出て真っ直ぐ進んだ突き当りにある。

 T字路の脇に設置され、電柱から伸びる電灯に照らされている。明かりを浴びてひっそりと佇む姿を、いつも不気味に思っていた。

(電話ボックスなんて、何年ぶりに使う?)

 引き戸を開ける。なんとなく、中に入るのに気恥ずかしさを感じた。

(このご時世に、スマホも持たずに家を出る奴がいるかっての)

 自嘲的に笑いながら、小銭を入れて、覚えた番号を打ち込んだ。受話器を耳にあてて待つと、数コール後に繋がった。

「はい、お待たせいたしました、○×ハウスパートナーでございます」

 電話口に出たのは、女性のオペレータで、感じのいい、丁寧な声の人だった。

(この時間でもすぐに繋がるもんだな)

 ちょっと感心しながら、管理会社の人に事情を話す。

「なるほど、かしこまりました。お住まいの物件の管理人に連絡をお取りしますので、一度お電話を切って、そうですね、十分後にお掛け直し頂けますか?」

 とりあえず、朝までこのまま待つ、という事にはならなさそうで、胸をなでおろした。薄着で出て来たので、そろそろ肌寒くなってきていた。雨の後だからか、妙に湿った空気が肌に纏わりつく。

「そうですか。分かりました、十分後ですね。掛け直します」

 そう言って、電話を切る。かしゃん。小銭が落ちる音。

 残りの金額を数え、心許なさにため息が出た。

(ま、なんとかなるだろ)

 アパート名と部屋番号も伝えているし、向こうだって放置は出来ないはずだ。

 そんな楽観的な考えで、とにかく十分間、寒さをしのぎながら時間を潰す方法を考えながら、コンビニの袋から冷め始めた肉まんを取り出した。


「申し訳ありません。管理者と連絡が付きませんでした」

 掛け直した電話口で、申し訳無さそうに、そう告げられた。

「これから、担当の者が事務所からスペアキーをお持ちして伺いますので、そうですね……今からですと、一時間半くらいお待ちいただくことになりますが、よろしいでしょうか?」

「ああ、まあ、他に方法も無いですし。というか、元々こちらの落ち度ですし、ええ、お願いします」

「ありがとうございます。そうしましたら、ブツッ」

 突然、電話が切れた。驚いて残額表示を見る。何も表示されていない。

 こんなに早く残額が尽きることは無いはずだ。途中で切れるのが嫌で、先に全額入れたのだから。しかし、釣りが出てくる気配もない。

 軽く電話機を叩いてみる。何もならない。腹立ちまぎれに強めに叩いてみたが、やはり変わらなかった。

「んだよ……」

 中途半端なところで切れてしまった。スペアキーを頼むところまでは話が進んだから、待っていれば来るとは思うが、念のため、もう一度掛け直して確認したかった。

(おいおい。一時間半待って、誰も来ないとかは勘弁だぜ?)

 ため息交じりに左手の腕時計を見て、自分の手の中の物に気が付いた。

「あ、これ使うか」

 黒い携帯電話を持っていた。先ほど、時間つぶしに電話ボックス内を物色していたときに見つけたものだ。

 電話機の台の下段の棚に置かれていたそれは、いつの置き忘れだろうか、随分古い型に見える。

(懐かしいな。俺が中学生くらいの頃は、まだこういうのが現役だったよな)

 二つ折りの携帯を、開いたり閉じたり、パタパタ繰り返す。懐かしい感触が手に馴染む。

「電源は……お、入った」

 電源ボタンを長押しすると、ディスプレイが点き、待ち受け画面が表示された。電波の表示もあるから、現役で使えそうだ。

「勝手に使って悪いけど、非常時だからな」

 うろ覚えの番号を思い出しながら入力する。発信ボタンを押して、数コール。繋がった。

「はい、もしもし」

 女性の声。携帯からだからか、少し聞こえ方が違ったが、さっきと同じ人の様だ。スペアキーの話をしたら、「大丈夫です」と確認が取れたので、電話を切った。

(一時間半か。暇だな……)

 ひと段落し、安心したら、急激に退屈になってきた。

 自然、興味はこの携帯に移る。

 他人のプライベートを覗くのは良くないと思いつつも、好奇心は抑えられない。

(ま、拾った人間の特権だとでも思って、ちょっとだけ)

 再び開いて、操作してみる。一通り中身を見たが、残念ながら大したものは無かった。この携帯の持ち主は、淡泊な生活をしていたか、サブ端末としてこれを所持していたらしい。メールも、写真も、音楽なども、特段何も入っていなかった。

「あんだよ、つまんね……お、履歴が残ってる」

 電話の着信履歴だけは、いくらか残っているみたいだった。

(うわ、なんだこれ)

 妙な着信履歴だった。

 同じ電話番号から、何度も着信が来ている。それも、毎日、決まった時間に。

 着信だけで通話はしていなくて、深夜の一時くらいに、毎日一回ずつ。かなりの期間、それが続いている。履歴は2か月で途切れていたけど、残っていないだけで、それ以前にも続いていそうだ。

(持ち主が、誰かに気付いてもらおうとして……にしては、掛ける時間が変だよな)

 首をかしげる。

(まあ、明日にでもこの番号に掛ければ、持ち主か、その知り合いに連絡がつくってことは分かったな)

 思いがけず、落とし物にも解決の目途が立った。

 なんだか良いことをした気分にすらなってくる。もう少し使わせてもらってもバチは当たらないだろう、なんて勝手なことを考えて、たまたま番号を覚えていた友人の携帯に電話を掛けた。

(ネトゲばかりやってる奴だから、きっとまだ起きて……お、出た)

「もしもし?」

『……なんだよ、お前か。こんな時間に何の用だよ。つか、知らない番号だったから誰かと思ったわ』

「悪い悪い。これな、拾った携帯で掛けてるんだよ」

『は?他人の携帯で?よくやるよなぁ』

 電話越しに、呆れた声。

(確かに、言われてみれば、結構やばいか。他人の電話料金を使っている訳だし)

『お前さ、何か鳴らしてる?』

「え?いや、何も無いけど」

『何か変な音楽みたいなの聞こえるぞ、うっすら』

「音楽?」

 電話を耳に当てながら、周囲を見回す。別に、音楽も鳴っていないし、音楽が流れるようなものも見当たらない。

「こんな深夜にあるわけないだろ。野外だぞ、いま」

『いや、何か聞こえるんだって』

「気のせいだろ」

『おい、女の声も聞こえるけど、誰かいるのか』

「誰もいないよ。何言ってるんだ、お前」

『お前こそ、何だ、気味がわりぃよ。おい、切るぞ』

「え、ちょっと、おい……切りやがった」

 急な切断に、思わずディスプレイを見返す。『通話終了』の文字と、友人の電話番号、そして、短い通話時間が表示されている。首を傾げる。

「何なんだよ。変な音とか、女の声とか、訳わかんねえ」

 携帯を閉じて、舌打ちをする。

 突然、携帯が震えだし、背面ディスプレイとLEDイルミネーションが光出す。『着信中』の文字。

(掛け直して来たか。さすがに、謝る気になったかな)

「もしもし?」

 耳に当てる。ツー、ツー、と通話終了の音。ディスプレイには、『通話終了 00:00:00』の表示と、

「あいつの番号じゃ無い……」

 画面に表示されていたのは、知らない番号。

(いや、これ、さっきの着信履歴に残っていた番号じゃ……)

 ふと、気配を感じて顔を上げる。

 電話ボックスの外、電柱を挟んで5メートルくらいの距離に、一人の女の影が立っていた。真っ赤なコートを着て、こちらに正面を向けて、何もせずじっと暗がりに佇んでいる。

 なんだか気味が悪かったが、関わり合いになりたく無かったので、目を逸らそうとしたとき、女の手がコートのポケットから出された。女の右手には、真っ赤な携帯が握られていた。

 色違いだ。いま、自分が手にしている黒い携帯と同じ形の、色違いをその女が持っている。

 女はおもむろに携帯を開いて、自分の耳に当てた。

 手の中の携帯が震える。『着信中』の表示。同じ番号からだ。

 ぞくっと、した。

(持ち主の知り合いなら、事情を話して返した方が、良い、よな……)

 ボックスの外に出て、直接話しに行く気にはなれなかった。携帯を開き、通話開始ボタンを押す。

 耳に受話部を当てる。指が、少しだけ震えていた。

「もしもし……」

 返事がない。息遣いも何も聞こえてこない。

(なにか、うっすら聞こえてくる。着信メロディ……?)

 昔よく携帯の着メロで聞いた音色の音で、不気味な曲がスピーカから薄く流れている。なんだろう、と思ったその時、ようやく女が喋った。

『ああ、そこにいたのね。やっと会えた』

 驚愕して、顔から携帯を離した。女はさっきと変わらずに闇の中に直立している。

 さっき聞いた女の声だ。管理会社へ、この携帯から掛け直したときの。

(聞こえ方が違ったのは、音質の問題じゃなくて、コイツだったからか……!)

 だけど、掛けたのは違う番号のはずなのに。何故?

 いよいよ、気味が悪い。このままボックスの中にいると良くない気がして、外に出た。

「うわっ!?なんだ、水溜り……?」

 一歩ボックスの外に出た足が、水溜りを踏んだ。来たときはそんなもの無かったのに。

(っていうか、なんだこれ……)

 足元を見て、いよいよ訳が分からなくなった。辺り一面の地面に、霧が立ち込めたように白い靄が充満している。こんな現象、見たことがない。

 コツ、とヒールの足音。顔を上げたら、女がゆっくりと近づいてきていた。

(おいおい……)

 反対に、後退りする。

 そこで、気がついた。女の持つ携帯からメロディが鳴っていたのだ。さっき電話越しにうっすら聞こえた音だ。自分の手に持った携帯を見る。ディスプレイには、『発信中』の文字。

(何でだよ、こっちから掛けてることになってるじゃねえか……!)

「……っと、会え……」

「ひいっ!」

 女のぶつぶつ呟く声が小さく聞こえる。思わず悲鳴を上げて、携帯を手から取り落とした。

 バシャ、と水が跳ねる音。構っている余裕はなかった。

 湿った風が吹いて、女の髪が静かに揺れる。コツ、コツ、コツ。一歩ずつ、闇の中から近づいてくる。

「うわぁぁぁぁっ!」

 一目散に駆け出した。元来たはずの方向に。知っている道ではなかった。霧が昇ってきていて、辺りの景色がよく見えない。足元ではずっと、浅い水がバシャバシャと足を下ろす度に飛沫を上げた。

 五分、いや十分は走った。おかしいと思った。アパートからボックスまでは100メートルと離れていないはずなのに。おかしいとは分かりつつも、考えることはしなかった。ただ、夢中で目の前の道を走った。

 振り返る。追いかけてくる影は無い。何度も振り返り、喘ぎ、走り続けた。もう、息が苦しくなってきた頃、背後から前に向き直った時に、急に辺りの光景が見覚えのあるものになった。

 アパートのすぐ目の前まで来ていた。

「どうしたの、そんなに汗かいて走ったりして」

「はぁ、はぁ、はぁ、お……大家、さん……?」

 アパートの玄関前には、管理人の大家がスペアキーを持って、怪訝そうな顔で立っていた。

 曰く、管理会社からの着信に気がついた大家が、折り返し連絡を取り、事情を聞いたのだという。

「管理会社の人、不思議がってたよ。途中で急に電話が切れた後、まったく連絡がないから」

「いえ、あの、あそこの電話ボックスから、その、小銭がもう無くて……」

 しどろもどろに弁明すると、大家は、ああ、と納得した。

「スマホが無かったのか。そりゃ災難だったね。それにしても、あのボックス、よく使ったね。不気味じゃない?」

 話好きの大家はそのまま説明を始めた。なんでも、あそこでは、十数年前に交通事故で死人が出ているのだという。


 会社帰りのサラリーマンが、家で待つ奥さんに電話をしながら歩いていたところに、飲酒運転の車が突っ込み、そのままサラリーマンは死亡。残された奥さんがショックのあまり精神的なバランスを崩してしまう。

 自暴自棄になって荒んだ生活を送るようになってしまったある日、酒に酔って階段を踏み外し、派手に転倒する。自身は軽いけがで済んだものの、運の悪いことに、お腹にいた赤ん坊が、その命を失ってしまう。

 悲しみと絶望のどん底に落ち、希望の何もかもを失ってしまった奥さんは、旦那が事故に遭ったT字路に建っていた電柱で首を吊って、自殺したのだそうだ。


 翌日、よく晴れた空の下、電柱に添えられた小さな花束と、警察が立てた交通安全の看板を眺めていた。

 扉が開きっぱなしになっている電話ボックス。そのすぐ脇で、手から落としたはずの黒い携帯電話は、どこにも落ちていなかった。


<了>

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