第8話 - ウルダン ギルド支部 無敵の魔法
「こうして僕ァ、旅に出たんだ。この呪いを解く方法と……奪われた宝物を取り返す旅に……」
レウがそう結び、話が終わった。
その場にいる者が全員、唖然とした。何を聞かされたのかわからず、涙を流す者もいた。
そんな中、ただ一人、檻の中の少女、シャロが、わなわなと肩を震わせ、レウを指さし、叫んだ。
「あ、あ、あ、あ、あん時のエロ本ーーーーーー! あんただったのーーーー!?」
つんざくような絶叫が広場に木霊する。シャロは檻の鉄格子をがしりと掴み、噛みつかんばかりに責め立てる。
「ふざけんなだしーーー! あなた、あんた、あの、あのとき、わ、私が、魔導書だと思って、開いて、いったいどんだけ、は、恥ずか……! 恥ずかしい思いを……!」
「知らないね! というかそもそも、君が本を取り違えたのが全て悪いんだから、僕を責めるのはお門違いにもほどがあるね!」
「はぁ!? 間違えたのはあんたでしょ! 私があんなもん拾うわけないし! しかも、こんなところまで突撃して来たのが、エロ本取り戻すため……ああもう、意味わかんないし……!」
「あんたじゃない、レウだ。レウ・ユーキリッツだ。そして、あんなもん? おいおい、嫉妬はやめろよ。確かに君は全体的に平坦で、ミウにゃの至体には及ばないが……」
「誰が嫉妬するかあんなもんにーーー! そんで誰が平坦だ、不潔男!」
「また、あんなもんって言ってる! あれがどれだけ奇跡的な作品か理解してないんだろう!」
ぎゃんぎゃんと、二人は言い合った。武器を持つ兵たちに囲まれていることを忘れているかのように。
全員が呆気に取られる中、ぜいぜいと息を切らしながら、レウは精一杯の反駁をした。
「とにかく、僕にとっては何にも代えがたい宝物だ。あれを買うために何年、無駄遣いせず働いたと思う? 君もなにか、譲れない目標やモノがあるだろう。僕にとってのそれが、あの本だったんだ。その譲れないものを笑われて、君は平気だというのであればどうぞ好きなだけ吠えるがいいさ!」
「……ぐっ、ぐぅ」
そう言い返されて、シャロは黙った。それを見て、この世紀の舌戦に勝ったのだとレウは確信し、嬉しそうに剣をぶんと振った。
そして、待ちかねたように、鎧の男が口を開く。
「それで。終わったか。くだらん口喧嘩は」
「ああ。僕の勝ちで終わったさ。で、だ。大将。僕ァね、大暴れが目的じゃないのさ。あの女に嫌味の一つでも言って、本来の僕の本を取り返せればそれでいいんだ。そのために来た。あの子の持ち物は没収してるんだろ? 本だけ返してくれれば、僕ァ大人しく帰って、今日のことは口外しないことを約束するよ」
「……ほう」
なんと。この時初めて、少年の目的が語られた。つまり、あの桃色が詰まった本を取り返せればそれでいい、と言ったのだ。シャロの命運などはなから目的ではない、と。
およそ正気ではない。そのために、今や世界を牛耳る組織の支部に突撃してきたのだ。リスクとリターンの天秤が壊れているとしか思えない。
だが、理屈として、信じがたいが本当に、そのエロ本がなによりも……命よりも大事なものである、と考えているのであれば、その選択はあり得てくる。
荒唐無稽な主張は、しかし、彼の実際の行動によって、裏付けがされてしまっている。
その狂気の決意を感じ取っているのかわからないが、ダイオンは興味深そうに、馬鹿のような交渉に対し、顎に手をやり考え込んでいる。
もしやこのまま大人しく帰れる目もあるのかと少年が期待した時。
「ねえ、あんた……レウ」
檻の中の少女が、そう呼びかけた。
レウが返事をする前に、今度は彼女のほうから、まさかの交渉が飛び出した。
「呪いを解きたいんでしょ? できるよ。私をここから助けてくれれば、その方法を、伝えられる」
「……な」
「ふふ。フハハハ! なんだ。ここに来て、お前ら、利害が一致したのか! 全く、どう口車に乗ったフリをして残酷に痛めつけるか考えていたのに、そんな必要がなくなったなあ」
少女の問いかけに、ダイオンが大笑する。そして男は、剣を下ろし、無防備の状態となった。
「笑わせた褒美だ。小僧。一撃だけだ。我を斬ってもよいぞ。そこできっと、己の小ささを知るだろう」
「はぁ……?」
唐突な展開が立て続く。レウの思考は一時混乱したが、すぐにこの状況を整理した。
つまり、このダイオンとの戦闘は、どう足掻いても避けられないようであった。
そして何故だか彼はひどく油断をしており、薄ら笑いを浮かべながらレウを眺めている。
――やるしかない、よなぁ。
支部長といえど、この男も、これまでの木っ端の冒険者と同じように、魔法なぞ結局斬れるわけがないと、決めつけているのだろう。
その鼻を明かしてやりたいという気持ちが膨れ上がり、レウは剣を上段に構えた。
間合いを計りながら、じり、じりと。この無防備がフェイクである可能性を見ながら、少しずつにじり寄り。
あと一飛びで、斬撃を浴びせられるという距離まで近づき――ダイオンが本当に、無防備を貫いたままであることを見た、その時。
レウは飛び掛かった。周囲で見ている者は、残像しか目に映らぬほどの、驚異の速度で。剣を鋭く斬り降ろしながら、ダイオンの首に真っすぐ打ち据えた。
金属が跳ね返されるような、硬質の残響が、広がった。
ダイオンは両腕を下げているままで、防御などなにもしていない。
首元に過たず、最速の斬撃は放たれた。なのに、刃は届いていない。
首の数ミリ上で、静止している。
否。何かに、阻まれている。何か、黒い靄のようなナニカが、ダイオンの全身から立ち上っていた。
「《水平線》」
ダイオンが、そう囁いた。おどろくレウを見て、彼は――にやりと、顔面が歪むほどに、意地汚く嗤った。
「ふふ。フハハハ。フハハハハハハ! やはりな! 愚かなり、水平の残党よ! ご自慢の“魔崩剣”もこの通り、我が貴種魔法、【
そしてダイオンは、握り締めていた大剣を、力の限りに振り回した。
その周囲は台風が巻き起こったようであった。風圧と剣圧にたまらず、レウは飛び退る。が。その大剣は、見ると青白く光っていて。
「爆ぜろ、魔剣【クランバオル】」
大剣が地面に叩きつけられると、青白い爆発が巻き起こった。
爆風を受け、レウは吹き飛ばされ、背中を強く地面に打ち付ける。
その爆煙の向こうから、黒い鎧がぬるり、と現れた。
否。それは、鎧ではない。ダイオンは、炎のような黒い魔力の塊を、全身に纏っているのであった。
これこそが、ギルドトップランクの力。Aランクという頂点の中の頂点の実力。
圧倒的強者を前にして、レウは、口元から零れる血を、拭うばかりであった。
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