第6話 シャボン玉の少女

 おとなしめぐるは怒り狂うテンシから逃げていた。路地に入り、今はなんとか身を隠せてはいるが、いつ見つかったとしてもおかしくない。テンシは微かに地面が揺れる程の叫び声を上げ、旋に対して明確な殺意を抱いている。


 ――どうして、こんなことになったのだろう……。


 息を整えながら旋は、これまでの経緯を思い返す。


 リツとが無事、ライブハウスに戻ってきた後、彼女らが助けた兄妹と共に、鍵が置いてある職員室へと向かった。

 奈ノ禍いわく、兄妹が向かうべき建物と魔王城は反対方向にあるらしい。ゆえに、このまま全員で行動していては間に合わないと判断した旋は、二手に分かれようと提案する。

「二手にって言われても、あーしはリッツーから離れられないよ?」

「まさか、旋にぃ……ジブンは一人で魔王城に向かうなんて言わないっすよね?」

 の考えてる事が分かったリツは、少し怒り気味に問いかける。リツの険しい表情から、肯定すれば絶対に反対されると思った旋は無言で走り出す。

 当然、リツは兄の勝手な行動を許すはずもなく……地面を蹴って、旋の背中に飛びついた。

「一人で行動することがどんなに危険か分かってないんすか!?」

「分かってるけど! 全員で行動してたら間に合わないかもだし!」

「ちょ……二人共、喧嘩してる場合じゃないっしょ!」

 こんな感じで一悶着ありつつも最終的には、意思を曲げなかった旋が単独行動を取る事となった。


「第一ゲームを仕切ってる“恐怖のテンシ”は自分より弱い相手に対して、かなりなめてかかる。それから恐怖する顔を見るのが大好きで、十分に怖がらせてから捕えるなんて悪趣味なコトもする。だからちょこっと怖がるフリをして路地に逃げ込めば、くコトだって可能だよ。ただし、プライドが高いテンシだから、絶対に挑発しないコト! ガチギレして追いかけてくるからね!」

 ムスッとしているリツの頭を撫でながら、奈ノ禍はテンシの性格や遭遇した際の対処法を教えてくれた。そのおかげでテンシに見つかったものの、なんとか逃げ切った、のだが……。


 襲われている男子中学生を偶然、目撃した旋はその子を助けようと、近くに落ちていた石をテンシに勢いよく投げた。更には謎の変顔をして、テンシを挑発する。

「おい! テンシ野郎! 勝負しろ! まさか逃げる気じゃないだろうな? この腰抜けテンシ!」

 誰かを挑発した事などない旋は精一杯、ひねり出した言葉でテンシを煽り立てる。

 果たしてこんな見え見えの挑発に乗ってくるのだろうか……。そう不安になったのも束の間、テンシはあっさりと標的を旋へと変更した。

 テンシは棘を地面に刺しながら移動し、確実に旋との距離を詰めていく。

 やばいと思った旋は入り組んだ路地へ逃げ込み、ひたすら走り続け……今に至る。


 ――どうして……うん、全部、ジブンのだな……。


 回想を終えた旋は目を閉じ、自分自身の行動に思わず苦笑いを浮かべる。とは言え、どの行動に関しても後悔はないため、気持ちを切り替えて慎重に魔王城を目指す。


 あともう少し。いつの間にか、テンシの声も聞こえなくなった。きっと近くにテンシはもういない。この路地を抜ければ、魔王城の前まで辿り着く。そう思い、路地を出た旋と魔王城の間に、先程のテンシが上空から音もなく降り立った。


 複数の棘と二つのハサミが、旋に向かって伸びてくる。開いたテンシの体から覗く鳥のような顔は、ニタニタと笑っていた。


 全てがスローモーションに見える。正面からだけでなく、横や後ろにも棘が回り込み、旋に逃げ場はない。両親、友人達、この島で出会った奈ノ禍や兄妹、最後に笑顔のリツが頭に浮かび、旋は乾いた笑みをこぼす。


「ごめん、リツ……」

 旋がそう呟いた瞬間、複数のカラフルなシャボン玉がテンシ目掛けて飛んできて、爆発する。その直前に、旋は地面から出現した巨大な白いシャボン玉に包み込まれ、爆発に巻き込まれずに済んだ。

 棘やハサミを失ったテンシは焦げた体を微かに震わせ、残り少ない羽を消費して回復を試みる。そこに追い打ちをかけるように、飛んできた巨大な黒いシャボン玉がテンシを閉じ込めた。


「ばーん」

 可愛らしい声を合図に、テンシの体は圧力をかけられたようにベコべコにへこみ、最終的にはバラバラになった。それと同時に、黒いシャボン玉が割れ、テンシの残骸が地面に転がる。

 旋が声のした方を見れば、ダークブラウンの髪を菜の花色のリボンでツインテールにした、小柄な少女が立っていた。非常に幼い顔立ちだが、ジャンパースカートタイプの制服を着用している事から、彼女は高校生のようだ。

 少女はテンシの残骸から種を拾い上げるとポケットに仕舞い、旋の方を見た。そして少女がポンと手を叩くと、旋を包み込んでいた巨大な白いシャボン玉が割れる。


「助けてくれて、ありがとう」

 旋は少女と向かい合い、頭を下げる。すると、少女はなぜか背伸びをして、旋の頭をポンポンと撫でた。


「えっと……」

「あのね、あなたに聞きたいことがあるの。いい?」

「へ……? うん、いいよ」

 旋は戸惑いつつも、中腰になって少女と目線を合わせ、質問を受ける姿勢を見せる。


「わたし、偶然、見てたの。あなたが男の子を助けるために、テンシをからかっているところ。どうして、お友達でもない子を助けたの?」

「う~ん……正直、見て見ぬふりは出来なかったとしか言えないかな」

「ふ~ん……じゃあもし、さっきの子とあなたの大切な、どちらかしか助けられない時はどうするの?」


 少女があまりにも真剣な瞳で問いかけてくるものだから、旋はしっかり考えた後に、答えを口にする。揺るぎない瞳で、少女を見つめて。

「あの子には悪いけど、妹を助ける。ジブンはヒーローじゃないから、大切な人を優先する。ところで、どうして妹がいるって知って――」

「やっぱり大切な人を助けるよね。答えてくれてありがと。わたしはあくつおと。高校一年生。はいい人そうだからお名前、教えておくね?」

 乙和と名乗った少女に話を遮られ、旋は目をパチクリさせながらも「ありがとう」とお礼を言った後に、ん? と首傾げる。


「妹のことだけじゃなくて、どうしてジブンの名前まで知ってるの?」

の身内だからだよ?」

「へ……それってどういう……」

「あ、そろそろ行かなきゃ。バイバイ、旋くん。また会お?」

「う、うん……またね」

 乙和は不意に何か思い出したように、ぴょこぴょこ飛び跳ねながら、その場から離れていく。彼女のあまりのマイペースさに旋は少しばかり困惑しつつも手を振り、小さな背中を見送った。

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