第23話 ヴィヴィアンの二週間ぶりの学院
学院にヴィヴィアンとアレクサンドルが戻ったのは、事件から二週間経った後だった。
アレクサンドルの手配で、護衛のミックと、侍女のルルが同じ第五学年に編入した。ルルは護身術の嗜みもあるというが、ヴィヴィアンは初めて聞いた。これまでアレクサンドルからルルとの二人歩きを許されていた理由として納得した。
化学準備室の事件は、緘口令が敷かれ、化学のダルメイヤー教授の他は、学長と学長一派の数人だけで処理された。
そのため、二人の二週間の不在は、アレクサンドルは公務、ヴィヴィアンは王宮の研究機関への研修という名目になった。
「ヴィヴィ、とにかく学院内を一人で行動しないこと。ルルとミックは全ての授業が同じ。ルルは寮に入ったけど、俺たちより、先に登校して待ってるから、俺が一緒でないときは、必ずルルと行動して。」
アレクサンドルは、同じ話を何度も繰り返している。
「大丈夫。言われた通りにする。」
学院には、二週間前と変わらない風景があった。
相変わらず、瓶底眼鏡のヴィヴィアンは注目されることなく、ご落胤のアレクサンドルに近づく生徒は少ない。一部の女子学生はまだアレクサンドルに執心していたが、美女を伴って社交を始めたという噂のせいか下火になりつつある。
アレクサンドルは、この二週間のうちに、何度かニールと手紙をやりとりし、昼休みに美術室で会う約束をしたため、二人でそこへ向かう。
これまでは、一、二歩アレクサンドルが前を歩くのが常だったが、今は横を並んで歩くし、時にはヴィヴィアンに一歩先を歩かせることさえある。その紳士然とした変わりようは、ミックの指導の賜物かもしれない。
美術室には、ニールが先に着いていた。そして、隣にニールの婚約者のアンナがいた。
「待たせたな。」
アレクサンドルが声を掛ける。
「殿下、ご無沙汰しています。今日は、アンナも同席させて頂いても?」
アンナが静かにカーテシーを取る。
「勿論だ。気楽にしてほしい、アンナ嬢。」
ヴィヴィアンたちも二人の近くに腰掛ける。
「さっそくだが、手紙で頼んだ件、話して貰えるか?」
「はい。まず、ヴィヴィアン嬢が見聞きした話について。」
ニールに依頼したことの一つは、ヴィヴィアンが浴場でエリーゼが話していた相手を特定することだった。
「私から、お話ししますわ。調べたところ、黒髪でピンクのガウンで背が低い、の条件にライザ嬢が当てはまります。他にも数人おりましたが、私の…シャッツェ侯爵家やマイヤー公爵家の縁戚の者、平民の特待生の三名で、この件に加担している可能性は高くないと考えています。」
あの日の会話は、マイヤー公爵家を諮る工作についてだった。マイヤーを貶めて、得をする人物や派閥として、シャッツェとマイヤーの近親者は可能性が低い、とアンナは言う。
続いて、ニールが口を開いた。
「マイヤーは、どの派閥にも属さない。これは、三代前に、当時のヘンリー第三王子が王籍を抜けた時から変わらない方針です。支持する政策ごとに手を組む相手を変える、必要がなくなれば、簡単に手を切る。それを可能にするために、マイヤーの係累の結束は固い。マイヤーこそが単独の派閥なんです。これが、マイヤーの近親者に裏切りはない、と申し上げた理由です。」
ヴィヴィアンは初めて聞く話だが、アレクサンドルは、知っていたのか、黙って頷いた。
「それから、僕が、今から話すことが、アンナの話とも繋がるんですが… まずは、背景となる、イーサンとリリーの婚約について。ご存知の通り、リリーの父はティグリス宰相。近年の改革の立役者です。一時期、マイヤーとかなり親密にしていた時期があり、リリーは僕の配偶者としてマイヤーに嫁ぐという親同士の口約束がありました。」
一度、ニールは話を区切って、アンナを見つめる。アンナも知らない話なのかもしれない。アンナは頷き、ニールに先を続けるよう促した。
「しかし、ある茶会でリリーを見初めたイーサンが、リリーとの婚約を望んだのです。ただ、これは、イーサンの母である側妃の派閥から猛反対がありました。政治的にイーサンと側妃は、保守だから、改革を進める宰相家とは相容れない、と。結果的にイーサンの我儘が通ったからか、リリーを人質にするような形で、宰相家の力を削ぎ落とそうという意図があったからか、婚約が成立しました。宰相家は、断れなかったのだと思います。」
ヴィヴィアンが感じていた違和感は、これだった。
アレクサンドルは、これも知っていたのか、驚く素ぶりもない。
「その後、僕は、アンナとの縁組が決まりますが… この理由を、アンナにも今、初めて話すよ。」
ニールは、改めてアンナの方に向き直る。
「アンナ。縁組のきっかけは僕がきみのことを好ましい、と僕の父に伝えたからだ。」
アンナは、目を見開き、ニールを見つめ返す。この場に、ヴィヴィアンとアレクサンドルがいなければ、口を挟みたかったのだろう。一度、口を開いたが、黙ってニールに先を促した。
「だけど、父にとって、利のない縁組は意味がない。もともと、マイヤーがティグリス宰相家と手を組みたかった理由は、とある法案を通したかったからなんだ。しかし、宰相が娘を差し出す相手がマイヤーから側妃一派になって、雲行きが怪しくなった。」
ニールは、一度、アレクサンドルとアンナに視線を送り、話を続ける。
「件の法案について、宰相家が加担しなくとも、成立させるにはいくつか条件があって、その一つが、シャッツェ家の賛同だった。シャッツェ家は、改革の先陣を切る一族ではない。だから、縁組の候補にも上がらなかった。だけど、僕たちの婚約が決まる前に、君の年の離れた姉君が隣国から帰国したね?」
「…ええ。それは、公にはしていませんが…」
アンナは、目を伏せる。
「殿下たちに話してもいい?」
ニールに問われ、アンナは、アレクサンドルとヴィヴィアンの顔を見遣る。
「私からお話しします。姉は、隣国に嫁いだのですが、嫁ぎ先に恵まれず、密かに離縁して帰国しています。理由は、嫁ぎ先で薬物中毒になったからです。6年も経った今も、まだ治療を続けていて、領地に匿っています。醜聞になるので、シャッツェの人間しか知りません。ニールが… マイヤーが知っているとは、今初めて知りましたが… シャッツェの人間が、薬物の不正使用に加担することは、決してありません。」
「マイヤーが、成立させたかった法案は、薬物の規制だね?」
アレクサンドルが口を挟んだ。
「その通りです。シャッツェと連なる中立派がその法案に賛同する見込みができたので、僕は大手を振って、アンナとの婚約を進めました。」
ニールは、アンナをもう一度見つめる。
隠されていた政治的な思惑と、ニールの恋心が発端であるという告白との両方を一度に明らかにされ、アンナは困惑している。
「… 家格の釣り合いだけのご縁だとばかり…」
アンナは完全に消化不良を起こしている。
「これで、薬物の件は、繋がる? 規制したい側と、規制の対象となる薬物の流通で利益を上げている側、で線引きできそう?」
ヴィヴィアンは、アレクサンドルを見遣る。
「規制側が、マイヤー、シャッツェ。利益を上げる側が、ライザのオルトと教団に、それと…」
ニールが答える。
「オルトと教団の意図、それに第二王子がどう絡むのか絡まないのか、もう少し情報が要るな。身を守るために、名前が上がっただけ成果だ。今日はここまでにしよう。」
「そうだ、アンナ嬢、当面、校内では、ヴィヴィアンと俺に近づかないでほしい。リスクが読めない上に、こちらの警護要員を回す余力もないんだ。」
アレクサンドルは、美術室の外にミックとルルが来たのを機にまとめに入る。
「殿下、アンナにはマイヤーの警護をつけています。」
アンナがびっくりしている。
「君たちも、話し合いが必要じゃないか? ニール、改めて離宮に来てくれ。」
アレクサンドルとニールが握手し、ニール達は部屋を出て行った。
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