12: 決勝戦 _ final game

 決勝戦の時刻が迫っている。

 最後の戦いに備え、グロウは昨晩のうちに近所の店で仕入れた、ライスコロッケとフライドポテトを頬張っていた。


 そのベンチへ、つかつかと歩み寄ってくるひとりの少女。

 同じ『少女』と言っても、グロウよりうんと背が低く幼い顔立ちをしていて、その手には、初戦から肌身離さず持ち続けていた、グリップに黄色いラインの入ったテニスラケット。

 腹ごしらえ真っ只中なベンチのそばでぴたと立ち止まった少女へ、グロウは複雑な感情を顔へにじませ見上げる。



 お互い、今さら自己紹介も必要なかった。

 その少女──イメルダ・タルティーニこそが、決勝戦の相手だからだ。




(うげえ……)


 グロウはコロッケを口の中で転がしつつ、早々にイメルダから目を逸らしたくなる。イメルダは一言も発さないまま、きりりと目尻を吊り上げ、睨むようにグロウを見据えていた。

 対戦相手を品定めするような、見るからに勝ち気が強いイメルダの面構え。


 こういう、意識高い系もグロウは苦手だ。相対しているだけで気が滅入りそうになる。

 観衆の前で年下っぽいイメルダとしのぎを削りあうという構図もかなりやりづらい。この子と戦う羽目になるくらいだったら、まだエルサが最後の敵であってくれたほうが気をラクにできたのに。


「……ねえ、あんた」


 つんと空間を切り裂くような鋭い声。


「アウグストの知り合い?」


 イメルダは開口一番、そうたずねてきた。

 そこのベンチを空席と見做したのか、グロウの真隣を陣取ろうと、大股開いていたリベラートの膝上へ座ろうとしたのを、


「おっと」


 リベラートは慌てて起立し、席をイメルダへ譲った。

 腰掛けたベンチの右隣にはグロウの車椅子──左隣には、アウグストが座っていた。


「……んー……」


 グロウは返事に困ってしまう。

 なんと答えるべきか。しらを切ったほうが賢明? しょせん相手は子どもだし。


「……グリップの握りかた」


 イメルダはにこりともせず、じろじろとグロウの顔色をのぞき込んでいる。


「特に、初戦前半くらいでやってた、素人くさい上半身の姿勢。あれ、アウグストがクラブ入ったばっかの時の姿勢にそっくり」


 ──そ、そうなの?

 アウグストがむっとしている側で、イメルダはなおグロウのテニスを評し続けた。


「そのくせして、ボールの打ち方は自己流とかなんとなくじゃない、いかにも誰かしら経験者に教わってきましたって感じ」


 イメルダは目を細める。


「意味わかんないプレーするわね。なんなの? アウグストに習ったことでもあるわけ?」


 まずい。見破られている。

 しらを切るに切れなくなってしまい、グロウはごっくんとコロッケを飲み込んだ。


「んー、と……」


 水をちびちび飲みつつ、


「そういうのって、わかるものなんだ?」

「当たり前でしょ」


 グロウが躊躇いがちに聞き返せば即断される。


「こっちはプロよ。スポーツは、一日やそこらで身に付くもんじゃないの」

「はっは、クソガキ」


 最後はリベラートのセリフだ。いくらグロウがずぶの素人でも、その年頃で自分はプロだと大人相手に言い切られてしまっては、もはや笑うしかなかっただろう。

 だがイメルダも──終始イメルダの顔を見て黙り込んでいるアウグストも、二人して真面目な表情をまったく崩さなかった。



「あんた、なにしに来たの?」


 とっくにグロウがアウグストか、その関係者の差し金だと気付いているイメルダが問い質しにかかる。


「『アモーレAmore』なんて名前の店、聞いたことない。あいつのママに、代わりに大会出てって頼まれたとか? そんなにアウグストと仲良かったわけ?」

「い、いえ……」

「それに、さっきの試合。途中から見てたけど、あんなおかしな動きする選手、クラブでもよその街でも見たことない。あんた、何者?」


 深淵をのぞくような──グロウという存在の核心に迫るような言葉。


「あれ、?」



 グロウは視線を泳がせ、言い訳を懸命に考えていたが、


「……ふん。まあ良いわ」


 イメルダはその返しすら待たずにベンチを立つ。当のアウグスト本人がすぐ隣にいるとは夢にも思っていない素振りで、


「代役だろうが死人が蘇ってこようが、あたしがアウグストに負けるはずない」


 言い放った。


「ええと、あの──」


 それは、誰へ向けての宣戦布告だったのだろう。

 イベルダは言いたいだけ言い終えるなり、さっさとグロウのもとを離れてしまった。まもなく、スタッフが試合再開を呼びかけにやってくる。



   ・・・❦・・・



 ベンチの空気は重い。

 いそいそと昼食を片すグロウが、腑に落ちない表情をしたままでいるのを、リベラートが見かねて、


「どうするんだ、グロウ?」


 その問いかけにグロウは眉をひそめる。


「どうって……ここまで来ちゃったんだし、さすがにサボれないじゃん」

「当たりめーだろ、まさか試合サボる気だったのかよ。……じゃなくってさ」


 リベラートはうっすら笑みを浮かべ、


?」


 しかし低く唸るような声で囁きかけた。


 わざと負けるつもりか──なんて消極的な意味合いではなかっただろう。

 グロウとイメルダの、テニスプレイヤーとしての実力差が急に埋まることはない。プロ界隈で通用するか否かはさておき、イメルダが確かな腕前を誇っているのは間違いなかった。


 ゆえに、グロウの彼女への勝算はプレースキルにあらず。

 エルサを前に垣間見せた、『手向たむけ屋』としての『本気プレー』。

 己が魂を削る、文字通り全身全霊だったとはいえ、見る人が見れば『イカサマ』と呼ばれても文句は言えないほどに人間離れしていた、あの動き。


 車輪もラケットも自由自在に操る狂戦士バーサーカー

 それが今度は、先ほどの生意気だがあどけない少女にも牙を剥くのだろうか──という意味の問いかけであって。



「んー……」


 グロウは悩んだ末に、


「どうして欲しい? アウグスト」


 本来、この試合に臨むべきだった者へ、最後の決断を託す。

 アウグストの代役に過ぎず、己でも代役として以上の役回りは望んでいないグロウは、


「お望み通り、あの子と戦えるけど? どーしても勝って欲しいってあなたが言うんなら、まあ……


 ぶっちゃけ疲れるからもうやりたくない──とは、水を差さないでおいた。

 アウグストは今なお、歩き去っていったイメルダの背中を目で追いかけている。

 しばらく口を堅く閉ざしていたが、


「……良いよ」


 ついに、腹を決めたらしい。


「お姉ちゃんの『本気プレー』を出してよ。でなきゃ、あいつと対等に戦えない」

「正気かアウグスト?」


 口を挟んだのはリベラートだ。両手を肩の上へ上げてやっかみを入れる。


「さっきのエルサを見ただろ? 対等どころか、グロウのワンサイドゲームになっちまうかもだぜ?」

「あり得ないね」


 アウグストの言葉尻が強まった。


「本気出さなかったら、イメルダのワンサイドゲームだ」

「へぇえ! そいつぁ買ってんねえ」


 リベラートは打って変わって楽しげな表情を作り、アウグストの強い心意気に口笛を吹く。グロウもぱちくりと目をまたたかせ、アウグストを凝視した。

 片頬をぷくと膨らませ、ベンチの背もたれへ寄りかかり、両腕を組んでイメルダを見据えるアウグストの視線は鋭く険しい。

 彼も彼で、本気なのだ。



「……そんなに、あの子に勝ちたかったんだね」

「ああ」グロウの確かめるような声に、「できれば俺の手で、だけどさ」


 ぎゅっと、腕を掴む指先の力を強めるアウグスト。

 その声色にはイメルダへの勝ち気以上に、自ら彼女に挑むことは叶わないという悔しさも乗っていると、グロウは容易に想像できて。


(わたしの『本気プレー』……か)


 グロウは、再びテニスラケットを持つ。

 その白いラケットも、そもそもアウグストからの借り物だったけれど。


(その『本気プレー』はわたしのものであって、やっぱり、アウグストのプレーじゃないよね)


 灰色の瞳にグロウの迷いが映る。

 どう足掻いたってグロウは彼の代役。彼そのものに成り代わることはできない。

 とはいえ、それでもグロウ自身ではなくアウグストが、彼女と直接、このラケットでボールを打ち合える方法は……。



   ・・・❦・・・



(──っ!)


 はっとしてグロウは、リベラートを見上げる。

 リベラートはまるで心当たりがなさそうにしていて。


「ん? なんだい子猫ちゃん」

「……あー……」


 少しの間言い淀んだグロウだったが、腹をくくったのか、今度はアウグストへ向き直す。


「ええっと……アウグスト?」

「ん?」


 同じくきょろんとしている少年へ、グロウは小さく唇を動かす。

 その提案にアウグストも、近くで聞いていたリベラートさえ顔色を変えた。彼女の口から、よもやそんな提案が飛び出すなんて、よほど物珍しかったらしい。


(わたしだって、こんなの気が進まないけど……)


 仕方ない。これも仕事のうちだと割り切ろう。

 どうせイメルダには、アウグストの差し金だってバレてるんだからさ。

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