11: 嘘の香り _ beside the sea

「え、なんで俺こっち? 俺ってば人じゃなくて荷物扱い? 隣座らせてよ、真ん中ちょっと空いてるじゃん。もう少し詰めてくれれば……おい子猫ちゃん、聞いてる? おーい」

「……(ウッッッザ)」


 エルサと並んで車の後部座席に座ったグロウは、トランクでどれほどリベラートに話しかけられようと微動だにせず無視を決め込む。

 いくら生者に『屍者シカバネ』の姿が見えず声が聞こえなかろうと、何もない空間に話しかけたり何か反応を見せれば、グロウがエルサや運転手に変な目で見られること請け合いだ。


 リベラートはしばらく騒ぐとやがて口を尖らせ、一緒に積まれた車椅子のタイヤを退屈そうに触り始める。

 内心では彼が、五番街を離れることで魂の所在を失い突然姿を消してしまわないか懸念もしたが、そもそも彼の本体──亡き骸は七番街に保管されている。リベラートはむしろ七番街の住人で、五番街へは自分を殺したかもしれない犯人を探すべくわざわざ出向いてきたのだ。


(まあ、居なくなってくれたほうがわたし的にはありがたいんだけどさ)


 グロウはそわそわと隣で足を組んでいるエルサをチラ見した。彼女も自ら世間話を振るつもりはないようで、出発してから一度も口を利いていない。


(あーもー……なんでわたしが気を遣わなきゃいけないの……!)


 長い沈黙に耐えきれず、仕方なくグロウが天気なりファッションなり昨夜食べたピザの話なり、ダーチャが茶会のたびにいつもしてくれるような雑談をあれこれ真似するうちに、ようやく車窓から潮の香りが漂ってくる。


 今日は晴天で、空も海も、広がる景色のすべてが青い。

 海を見たのはいつぶりだろう、とグロウは船が煙を上げている様子を遠目でぼうと眺めた。



   ・・・❦・・・



 車は港の近くでゆっくりと停まった。

 エルサが座席から降りるなり、部下らしき数人の男たちを後ろに控えさせ、到着を待ち構えていた老人が歩み寄ってくる。


「おかえりエルサちゃん。車酔いはしていないか?」

「ただいま。久しぶりねプラチドさん」


 カーキ色のスーツを整然と着こなした老人がにこやかに話しかけても、エルサはにこりとも笑顔を返さない。ただ晴れ晴れした表情ではあって、それなりに気心知れた人物なのだろうとグロウは彼女の隣で汲み取った。


「もう乗り物酔いなんかしないわ、私。四番街からちっとも帰ってこなくて知らないでしょう?」

「ははは、そうだね。少し見ないうちに綺麗になったな。口も達者になって」

「催しの手配だって一人でできるわ。ほら、コーディネーターもちゃんと連れてきたし」


 グロウは花屋をコーディネーターと呼ぶエルサに眉をひそめた。自分はあくまで花を飾るだけだ、他のあれこれは管轄外だと彼女には後でしっかり主張しておきたい。

 さっきも、畳んであった車椅子を展開させ、グロウをエスコートしたのも彼女ではなく運転手だ。おまけに横からリベラートが手伝おうとし、ついには車椅子ごと身体を抱き抱えていこうとしたのを「お願い止めて! 人前で私を宙に浮かせるつもり⁉︎」とどうにか止めている。

 グロウの店を探したのも部下だろうし、エルサがいったい自分で何をしたというのか。なんなら今日は彼女のせいで、余分な労働が立て続けに発生しているくらいだ。


 プラチドと呼ばれた老人も、葬儀を催しと嘯いたエルサへわずかに難色を示す。


「……今回はあまり好ましい催しではないがね。いやはや残念だよ。僕も、彼のことは我が子のように思っていたのだが」

「どうかしら。あいつにしてみれば自分のお葬式なんて、お祭りかパレードみたいなものよ」

「ははは、それもそうか。今頃は彼もさぞかし天国で喜んでいるな」


 困り顔を浮かべながらも、プラチドは自分が予想していたほどエルサが落胆していなさそうな様子に安堵している風であった。


「さ、コーディネーターのお嬢さんもどうぞこちらへ。せっかくだから七番街で一番美味しい店をご馳走しよう」

「どうも……(花屋だってば)」


 エスコート役でも命じられたのか、先ほどの運転手がグロウの背後に周り車椅子を押していこうとする。


「あの、お構いなく。自分で動けますので──」


 グロウは遠慮がちに振り向き、ぎょっとする。

 そのまま強張った顔で動かなくなってしまったのを、エルサも不思議そうに見下ろす。


「どうしたの?」

「いっいえ……なんでもないです」

「もしかしてあなたが酔っちゃった? いつでもそうやって車に乗っているのにね」


 自動車と車椅子を一緒にするなと反論する暇もなく、グロウは大人しく運転手にエスコートされた。



 背後に立っていたのは運転手だけではない。リベラートは彼らから少し離れたところで、静かにプラチドを見据えていた。

 天国? ──あれは、どう見たって逆だ。

 ひどく静かに、しかしグロウでさえ怯むほどに、レイピアを構えていたあの夜と同じくらい──いや、もっと恐ろしい地獄の番人みたいな形相をしていて。


「クソジジイ」



   ・・・❦・・・



 見慣れない街で、気の抜けない相手にグロウは心身ともに忙しい昼間を過ごした。

 プラチドに連れていかれた貸切のレストランで、テーブルを囲んでランチに勤しみ、その後は葬儀屋と合流し、葬儀を執り行う予定の海辺を練り歩く。


「今回は火葬した骨の一部を海へ還す『散骨さんこつ』をご提案させていただきます。お花も、棺桶だけでなく潮風に乗せて天国のリベラート様へ直接贈っていただけますよ」

「いいねえ! 普通に埋められるよかずっと素敵だ。それでいこう!」


 葬儀屋の提案に、リベラートが手を叩き大喜びしている。どうやらお気に召したようだ。

 花くらいグロウであれば、今すぐにでも本人へ直接贈れてしまう。死人に口なしなんて大嘘じゃん──と、グロウが険しい表情を浮かべればまたもエルサに体調を心配されてしまった。



 そうしてつつがなく打ち合わせが進行していけば、図らずともエルサとプラチドたちの関係性も見えてくる。


 プラチドは四番街を取り仕切っている、オルソ・ファミリーの『第一顧問コンシリエーレ』らしい。

 三番街のチェルヴォ・ファミリーとの抗争で初めて同盟関係が浮き彫りになっただけで、実はスコイアットロ・ファミリーとオルソ・ファミリーは、かねてより水面下で交流を持っていたのである。


(本当はマフィアの裏事情なんてキョーミないんだけどさ……)


 ため息を露骨に吐くのもはばかられる雰囲気に、グロウはエルサが昔から住んでいるという屋敷で難しい顔を浮かべる。


「今日はうちに泊まっていきなよ花屋さん。シャワーも寝間着も貸すからさ」


 エルサの有無を言わせない提案にも二つ返事で応じるしかない。

 事実、今更あの店に帰っても夜を迎えればグロウも他にすることがない。むしろ、今日はこの街に留まったほうが、うんとも進展しそうだとリベラートの様子から感じていた。


 ディナーは屋敷の中で、エルサが雇っている給仕たちによって振る舞われる。

 今回の葬儀にはプラチドも一枚噛んでいるようで、部下たちを帰した後も単身でディナーに同席した。


「無事に開けそうで良かったなエルサちゃん。どうだい、良い葬儀屋だったろう」

「そうね。あのロマンチストにはおあつらえ向きじゃないかしら」


 やたらと広い部屋にエルサとプラチド、グロウの三人きりで食卓を囲む異様な空間。壁際には何人かの給仕と、三人から背を向け窓の景色をぼんやり眺めたリベラート。

 やっぱり居心地が悪い──グロウは少しやけくそ気味にパスタへ粉チーズを振りかけた。



   ・・・❦・・・



「そうか。結局、若頭にはきみがね……」


 粉チーズが山盛りになったグロウの皿を、プラチドは子どもを慈しむような目で微笑んだ。


「まあ仕方あるまい。スコイアットロはうちみたいに人数が居ないし、ドン・エヴェラルドもかなりお年を召してきた。早いところきみや、誰か実績がある者に継いでもらいたいという気持ちが出てくる頃合いだろう」

「言うほど年寄りじゃないよ、じいさんは。低く見積もって十年……ま、せいぜいあと三十年くらいはしぶとく生きるんじゃないかしら」

「この業界では単に体が丈夫なだけでは安心できない。きみのお父上だって……もう分かっているだろう?」


 エルサは顔色変えず、くるくるとフォークにパスタを巻きつけている。

 どうも彼女は父親の死も、祖父エヴェラルドの進退にもさほど関心を抱いていないようであった。それほどにマフィアの世界を嫌っているのか、もとより家庭仲が思わしくなかったのかまではグロウの計り知れたところではない。


「丈夫な奴が早死にするのは、勝手に生き急いでよそモンと喧嘩するからよ」


 何口かパスタを頬張ったエルサも、粉チーズが入った筒に手をかけた。


「仲良くしろとまでは言わないよ。チェルヴォも他のファミリーもそんなつもりないだろうし……ただ、うちはどうせ小さいファミリーだ。少ない面子で小さな五番街シマさえ守っていれば、それでじゅうぶんとは考えられないのかしらね」

「今回は先に手を出してきたのはチェルヴォなんだろう? リベラートも、彼が動く時というのはたいてい相手のほうが動き出した時だ」

「そういうのがガキの喧嘩くさいから止めてって、私はいつも言っていたんだけどね」


 エルサの皿も粉チーズでいっぱいになる。


「喧嘩なんてもとから、やってやられての繰り返しじゃない。利益とか誇りとか仕返しとか、突き詰めればキリがないものにこだわって死ぬくらいなら、弱くてもダサくてもみっともなくても良いから、ちゃんと最後まで生きてほしいけど?」


 プラチドはフォークを止め、まじまじとエルサを見つめた。


「リベラートも、私にはじいさんに拾われてから女にモテるようになったとかチャラついたことを色々のたまってたけどさ。それで誰かに恨まれて死ぬくらいなら、貧民街で暮らすのとどっちがあいつにとって幸せな人生だったか、今となっては分かったものじゃないね」

「……なるほど。それが、エルサちゃんの今の本音か」


 パスタと一緒に真顔で本心を口にするエルサに、プラチドはフォークを手放し、少し考え込む仕草を見せた。

 そしてドン・エヴェラルドにも劣らず孫のように可愛がってきたエルサへ、精一杯親しみを込めた微笑みを向けるのだ。



「じゃあ……いっそ、かい?」

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