04: 界 _ who is me?

 花屋『アモーレAmore』は昼に開いて夕方に閉まる、五番街でも特にやる気がない店だ。

 目立たない路地に店を構えているせいで客が誰も来ない日も珍しくないが、夜はもう一つの仕事を抱え込んでいたグロウにとっては、それでむしろ丁度良いのかもしれない。


「……ねえキリエ」


 グロウは店じまいと支度を済ませ、出かける間際に掛け時計へ話しかけた。扉を開きもせず、キリエは「おう」と小屋の中から返事する。


「『手向たむけ屋』って、わたしの他にいないの?」


 メガネのレンズ越しに、灰色の瞳が神の使いへ探りを入れた。


「なんだおもむろに? ああ居ないさ、お前さん以外にはだあれもな。それがどうした?」

「じゃ、そろそろ人手を増やしてみたら?」


 グロウは外へ目線を移す。

 メガネで制限していた今の視界では、夜を待たずして閑散としている寂れた道。だがメガネを外せば景色は一変し、こんな路地でも手配書から漏れた『屍者シカバネ』でたいそう賑わっていることだろう。

 ──この街でただ一人、グロウにしか見えていない世界。


「そうポンポンと増やせるかよ」


 キリエは小屋に篭もったまますかさず答えた。


「『屍者シカバネ』連中はともかく、生きてる連中に『手向たむけ屋』の存在がバレたらまずいんだからよ。世間様にその仕事が知れ渡ったらお前さんもやりにくいだろ、色々。自分がサボることばっか考えてないで、今晩もお務め頑張ってこいや」

「……はー」


 行ってきます、なんて挨拶もキリエには必要ないだろう。

 グロウは黙って外を出た。無人となった店の扉へガチャンと鍵をかける。

 まだ太陽も沈みきっていない夕暮れの大通り──店の前よりかは多少栄えた道へ、車輪の音もコンクリートで響かないくらい静かに入っていった。



 死者の世界へは、誰一人として踏み込むこと叶わず。


 しかし生者と『屍者シカバネ』が入り乱れた空間──『サカイ』とキリエが呼ぶ世界には、ただ一人、立ち入ったまま居座ることを可能にする少女がいた。

 生者の身では決して『屍者シカバネ』に会えない。もちろん触れられない。

 対する『屍者シカバネ』も──かつて生者だった存在も、どれほど死に抗おうが地上に留まろうが、もう二度と今を生きている者たちと直接触れ合うことができなくなってしまうのだ。


 サカイ』の住人。

 生者とも『屍者シカバネ』とも交われる希少な存在──〝花の弾丸グローリア〟。



(半端者、とも言う)


 にこりともせず、大通りを進みながら自嘲するグロウ。

 いくら面倒くさがりでも、やはり考えずにはいられない。自分はいったい何者なのかと。

 生きてはおらず死んでもいない、半端な姿で此処ここに立っている──存在すわっている。


 自分だけはいつまでもこの命を、魂を、存在を絶たれることないまま。

 キリエに誘われ『手向たむけ屋』を営むようになってからは、まことしやかに呼ばれるようになった殺し名コードネームとともに、かろうじて己の価値レゾンデートルを保っている状態だ。

 それでもグロウの中では抜け落ちていた。此処ここで生き、此処ここに存在する己が理由アイデンティティを。

花の弾丸グローリア〟の名が一人歩きしてしまうごとに強まっていく欠如、無常、喪失感。


 なぜ生きているの。

 なぜ死んでいないの。

 なぜこんなに鼻が利くの。いつから花屋さんなの。この足はどこで悪くしたの。

 どうして、わたし──


 ああ。きっと、最初から『人間ヒト』ではないんだろう。



   ・・・❦・・・



 グロウが目指したのは大通りのとあるレストランだ。

 美味しいピザが食べられるからとダーチャに初めて誘われてからは、一人でもしばしば足を運ぶようになっていた。


「ようグロウ!」


 扉の鐘を聞くなり、男店主が厨房から出てくる。名前を覚えられてしまったのは通い詰め過ぎたからか、車椅子が物珍しくて目立つからか。


「お前は混み出す手前の頃良い時間を狙ってくるのが本当に上手いなあ」

「そういう時間を選んでるからね」

「別にいつ来てくれても構わねえよ? お前の特等席はいつも満席ギリギリまでは空けてあるから。だから、まあ、よその店に浮気すんなよ? はっはっは!」

「……あっそ」


 男店主は豪快に笑った。気前良くて気遣いもそれなりにできるものの、話し方はややキリエに似ているのが玉にたまだ。

 グロウが座るのはかどのテーブル席だ。脇にグロウが生けた大きめの観葉植物が飾ってあるため、他の席よりも間隔が空けてあり広々としている。


「クアトロ、チーズ大盛りで。あとホットロイヤルミルクティー」


 メニューも開かずグロウが口ずさめば、男店主は「あいよ」と厨房へ消えていく。いつも通りの注文を済ませるなり本を開き、ピザが焼き上がるまで静かに待つ。

 そう──待っていた。

 いつも通りにしていれば、ピザが運ばれる頃合いにきっとやってくるだろう。



 扉の鈴が鳴った。


「いらっしゃいませ!」


 来客の顔ぶれを見るなり、今度は男店主の奥様のほうが慌ただしく玄関へ駆け寄ってくる。


「ご人数は?」

四人クアトロだ」

「窓際のテーブル席が空いてございます。ささ、どうぞこちらへ」


 男店主よりもずっと畏まった様子で応じる奥様を、グロウは本の見開き越しに盗み見た。

 彼らは誰しもが黒いスーツ姿で、せっかくのレストランに難しい顔をして足を運んでくる。今日は特に眉間のシワの数が多い──とグロウは吟味した。


(……来た)


 彼らとは決して目線を交わさないよう気を付けつつ、何食わぬ顔で安堵する。

 グロウは車椅子でも、一人であちこち遊びにいくほうだ。もちろん単なる趣味という側面もあったが、そうして普段から五番街を歩き回ることで、いざ仕事が舞い降りてきたときの手間を減らす努力をしていたのである。

 このレストランも、普段から常連客として張り込んでいる店の一つ──スコイアットロ・ファミリーが日常的にたむろしている店の一つだった。



(ひとまずリベラート・マッツィーニの行方は彼らの会話と足取りから、ってことで……)


 虎視眈々と作戦を練るグロウ。

 もし標的のことを、標的の関係者から居所を探るような遠回りをしなくて済むのだが、今回はキリエに渡された写真で初めて見た男だったのだから仕方がない。


(スコイアットロなら、顔と名前はけっこー把握しているつもりだったけど……)


 グロウはミルクティーをずずと啜りながら考える。

 リベラートは若頭候補というくらいだから、そこら辺の街を遊び歩けるような立場の人間ではないということだろうか。あるいは、遊ぶときはよその街へ行くタイプか。


(ま、後者かな。あのチャラさで家に籠もってるわけないもん)


 グロウが密かに決めつけていると、テーブルに着いた男の一人が奥様へ呼びかける。


「ああそうだ、チェアをもう一つ。店で一番座り心地が良いやつを頼む」

「は、はい! ただいま……」


 奥様がバタバタと部屋の奥へ消えていったのを、グロウも視線は向けず気配のみで眺めた。

 おそらく店内ではなく、自分たちが普段暮らしている部屋から選んできたのだろう。やがて奥様が背もたれの高いチェアを持ってくると、時を同じくして玄関の扉から再び鈴の音。

 今度は来客の姿を直接目にし、


(…………あ)


 グロウはぽかんと口を開けた。その口元は本で隠していて、マフィアの連中にはみられていないだろうけれど。


 重力に逆らわず、一糸の乱れもないほどに真っ直ぐで長い黒髪。

 二重まぶたに長くて太いまつ毛からのぞく、ぱっちりと大きく開かれた深みがある青い瞳。

 スーツを着込んだその若い女性は、グロウが初めて会う顔だったが、かといってまったく知らない顔でもなかった。なにせ彼女は、あの写真にリベラートとともに映っていたのだ。



「お務めご苦労様です」


 彼女がレストランに現れるなり、男たちは一斉に頭を深々と下げる。座りかけていた男もすくと立ち上がった。


「こちらへお座りください、エルサさん」


 運ばれてきたばかりのチェアへ誘われると、エルサと呼ばれた女性はなぜか眉をひそめる。不機嫌そうに指先で毛先をいじり、


「仰々しい……」


 か細い声で窮屈を訴えた。


「私はあんたたちに美味しいピザが食べられる店を聞きたかっただけなのにさ……」

「どうか我々の作法に準じてください。あなたはもうスコイアットロのご立派な若頭ですから」

「は〜あ……」


 男に諌められると、エルサは観念したように着席する。気だるそうにため息を吐く感じにどこか親近感を沸かせつつ、グロウは男たちのやり取りに驚愕した。


(若頭? あの人が?)


 あくまでも彼らのテーブル席への無関心を装いながらも、グロウはわずかに動揺する。

 キリエからはそんな情報を一切提示されなかったし、グロウが調役職候補者の中にも、あんな女性は影も形も見当たらなかった。

 新たな若頭の任命はマフィア間の抗争が終わった後──もっと言うならリベラートの死後に決まったのであろうが、街でも見かけず噂でもまるで耳にしない人間が、いきなり役職、それも若頭に就くようなことがあり得るのだろうか。



   ・・・❦・・・



(今回の仕事、ちょっぴり面倒くさいかも)


 もとより面倒くさがりなグロウの、嫌な予感は当たるか、否か。

 ふうっ、と──気配を感じた。

 まだ開かれていない玄関の扉から、空気の流れがほのかに変わったのをグロウは認識した。


(あー……手間はいっこ省けたね)


 グロウはポーチから薄い生地のハンカチを取り出し、さりげなくメガネを外してハンカチで磨き始める。──開放した視界で、そっとをのぞき見た。



 すらっと伸びた長い足が、扉を貫通する。

 そのまますり抜けるように、一人の青年が店へ侵入してきた。余裕のある足取りで、へらっとした薄笑いを浮かべている茶髪の青年。よく見れば両耳にはピアスも付いている。


 グロウの標的──『屍者シカバネ』リベラートが自ら姿を現した。

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