243 気分はこれからのこと
11時の少し前には荷物をまとめて客室を後にし、僕と壬生川さんは割り勘で宿泊費を払うとホテルを出た。
タクシーに乗り込んで特急今治駅に向かう間も壬生川さんは僕と口を
「2泊しただけだけど旅行楽しかったね。また2人で行けるといいね」
「……行けるといいね、じゃなくて絶対行くから。今度は愛媛以外でもいいし」
タクシーから降りトランクを引きずって歩きながら、僕らは旅行中最後の会話を交わしていた。
僕は再び松山に戻って年明けまで実家に滞在する一方で壬生川さんはこのまま岡山駅経由で大阪に帰るので、僕らはここで一旦お別れになる。
2人で今治駅構内のベンチに座ると、僕は壬生川さんに伝えたかったことを口にした。
「壬生川さん、まだ結婚の約束はできないけど僕は君のことが好きだ。この旅行で自分自身はっきり分かったと思う」
「……」
「だから、今は僕を見守って欲しい。これから3回生になって学生研究が軌道に乗ってきたら、改めて結婚とか婚約の話ができると思う。それまでどうか待って貰える?」
真剣に尋ねると壬生川さんは笑顔で頷いた。
「じゃあ、私からも最後に一言。……ねえあんた、カナちゃんとかさっちゃん先輩は名前で呼んでるのにどうして私だけ名字なの?」
「あっ……」
僕にとって壬生川さんは今でも壬生川さんなのだが、確かにこれほど親密になっても名前で呼んでいないのは不自然だ。
「せめて2人きりの時は名前で呼んでくれない?」
「うん、そうする。えーと……恵理さん……恵理さん」
たった2文字の名前だが、僕はその言葉を口にするだけで恥ずかしくて仕方がなかった。
「え、恵理さん……これでいい?」
「はーっ、これじゃダメダメね。まあ慣れるまではこれまで通りでいいから。聞いてるこっちが気まずいわ」
「ごめんなさい……」
壬生川さんは呆れた様子で僕を許してくれて、弱々しい返事を聞くとけらけらと笑った。
それぞれ券売機で切符を買い、僕と壬生川さんは改札を通った。
松山方面と岡山方面へのエスカレーターの間で僕らは別れ際の会話をする。
「それじゃ、今回も色々ありがとね。大阪に着いたら連絡するわ」
「ありがとう。壬生川さんもよいお年を」
そう言ってぺこりと頭を下げると、壬生川さんはトランクから右手を離した。
「そういえばクリスマスプレゼントあげてなかったわね。はい、どうぞ」
そう言うと彼女は素早く僕の背中に両腕を回し、
僕を抱きしめると、そのまま唇を奪った。
キスは10秒ほど続き、それから壬生川さんは僕から身体を離してにやりと笑った。
「……?」
「あーすっきりした。続きはまた今度ね! アディオス!!」
呆気に取られている僕に構わず壬生川さんはそのまま右手を上げて去っていった。
公共の場でのダイナミックな行為に通りがかった中年の男女まで唖然としていた。
それでも別れ際まで大胆な壬生川さんの姿を見て、僕はやはり彼女を好きになって良かったと思った。
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