35 気分は受験技法

「まず数学の成績なんだけど、大問別の得点って見られる?」

「できますよ。この次のページです」


 珠樹君はそう言うとスマホの画面に表示されているPDFファイルをスライドさせ、成績表の二枚目にある各科目の大問別得点状況を見せてくれた。




 数学Ⅰ・A 57/100

  大問1(数と式、二次関数) 25/30

  大問2(図形と計量、データの分析) 14/20

  大問3(確率) 13/20

  大問4(整数) 5/20

  大問5(図形の性質) 未選択


 数学Ⅱ・B 38/100

  大問1(指数関数、対数関数) 15/30

  大問2(微積分) 14/30

  大問3(数列) 9/20

  大問4(ベクトル) 0/20

  大問5(確率分布と統計的な推測) 未選択




「数ⅠAはそこまで悪い点数じゃないけど前半が高得点なのに整数の点数が低いよね。図形の性質は選択してないけど整数も図形も苦手なの?」


 数学Ⅰ・Aの試験問題のうち数学Ⅰの範囲である大問1・2は解答必須だが、数学Aの範囲である大問3~5は2つを選択することになっていた。


「いえ、数Aの図形問題はミスしやすいのでいつも確率と整数を選ぶようにしてます」

「上手い戦略だと思うよ。でも、そういう理由なら整数問題に苦戦しそうにないけどもしかして時間切れになった?」


 大体検討は付いていたが珠樹君に裏を取ってみた。


「実はそうなんです。数ⅡBなんて微積分までで時間が足りなくなって……」


 予想通りだった。


 数学Ⅱの範囲は大問1・2に相当するので、こちらも数学Bは理解できていないというより時間切れになっていたらしい。


 真の意味で学力が身に付いていない受験生は数学Ⅰや数学Ⅱの範囲でも点が取れないし、その場合はむしろ時間が余るせいでどの大問も同じぐらいの低得点になる。


 珠樹君のようにセンター数学で時間切れになっているのは十分な理解が足りないせいでもあるが、実際には「時間がかかっている場合は次の大問に進み、後で時間が余ったら続きを解く」という基本的なテクニックを知らないのが原因だ。



「そうなんですか? 俺、大問1とか大問2を解くスピードを上げようとばかり思ってました」


 問題点を分析して伝えると珠樹君は驚いていた。


「医学部受験でセンターを利用するなら最終的には数学は9割ぐらい欲しいから、もちろんどの大問も完答できた方がいい。ただ、そういうレベルになるには本番の直前ぐらいまでかかるし問題の難易度によっては本番でも途中で解けなくなることはある。大問の途中で詰まった時はすぐに次の大問に移るのが鉄板のテクニックだよ」


 僕は畿内医大には一般入試で合格したので関係なかったが第一志望だった伊予大学医学部は国立大学なのでセンター試験は当然受けたし、数学に関しては数ⅠAも数ⅡBも9割以上を得点できていた。


 このテクニックは市販のセンター試験指南本で読んだ内容を地元の塾の先生に聞いてみたり自分で試してみたりして確立させたものだった。


「ありがとうございます。今度過去問演習の時にその戦法試してみます。他にも何かアドバイス貰えませんか?」

「もちろん。次に英語の大問別の得点なんだけど……」


 それから成績表を見ながら、僕は珠樹君に「センター英語では前半の文法問題よりも後半の長文問題を先にマスターするべき」「理科の低得点は夏の模試まで気にしなくていい」「社会は志望校の配点に応じて目標得点を決め、場合によっては80点ぐらいで妥協する」といったアドバイスを伝えた。


 珠樹君は目を輝かせて話を聞いてくれたが、彼が通っている大手予備校では科目別の授業はやってくれてもこういったテクニックを教えて貰える機会はないらしい。


 地頭の悪くない受験生が受験技法のリサーチ不足のせいで伸び悩んでしまうのは集団授業や映像授業の予備校に共通の問題点だと思った。


 かといって個別指導の塾や予備校は大学受験ではメジャーでないし、個別指導でも必ず受験技法を教われる訳ではないのでこればかりは受験生が自分で調べるしかないのかも知れない。



 一通りの相談が終わって、僕と珠樹君は再び公園のベンチでリラックスしていた。


「白神さん、今日は本当にありがとうございました。ずっと成績が伸びなくて悩んでたけど大学受験には勉強をするだけじゃなくて勉強のやり方の工夫も大事なんですね」

「その通り。僕は二年間も浪人して今の大学に入ったけど、一浪目まではがむしゃらに勉強するだけでどうしても成績が上がらなかった。特に珠樹君はセンター試験の最後の世代だから、何とか現役で受かって欲しい。それが医学部でも医学部じゃなくてもね」

「はい、頑張ります!」


 珠樹君がセンター試験を受けるのは2020年1月だが、2021年からはセンター試験は廃止されて大学入学共通テストという新しい方式に切り替わる。


 彼の第一志望校である畿内医大の一般入試には関係ないが、センター試験が高得点ならセンター試験利用入試のチャンスもあるし何より国公立大学の選択肢が大幅に広がるのでどうにか頑張って欲しいと思った。


「ところで、今日会った時は失礼な態度を取ってしまってすみません。カナちゃんの彼氏っていうだけで苦手意識があったけど、こんなに優しい人なら安心してカナちゃんを任せられます」

「ありがとう。珠樹君、これは本当は言っちゃ駄目なんだけど……」


 ここまで珠樹君と話してきて、彼がカナやんのことを諦めるにしてもそれは僕らの嘘に基づく判断であってはならないと思った。


 僕はカナやんとの約束をあえて破ることにした。



 その時だった。



「……すみません、白神さん。あれを見てください」


 珠樹君の表情が突然こわばり、彼は僕に公園の入り口の方を指し示した。



「どうしたの?」


 不思議に思って目を向けるとそこにはカナやんの姿があり、公園の前の道路で中高年に見える男性と何やら口論をしていた。


 口論というが実際には男性の方が一方的に怒っており、カナやんは脅えた様子で必死で謝っていたが男性は激怒してつかみかからんばかりの勢いだ。



「どうしよう、カナちゃんを助けないと」


 狼狽ろうばいする珠樹君に、僕は瞬時に今からやることを決めた。



「珠樹君!」

「は、はい」


 厳しい口調で名前を呼んでから僕は手短に命令した。


「今からそのスマホのカメラで、あの二人の様子をビデオ撮影して。僕が何とかするから、君はそれまで見えない所からずっと録画し続けるんだ。何があっても録画に専念して絶対にあの二人に近づかないこと。いいね?」


 低い声でそう伝えると、珠樹君はスマホを動画撮影モードに切り替えつつこくこくと返事をした。



「今すぐ撮影しに行って。頼んだよ」


 最後にそう言うと僕は静かにベンチを立った。



 公園の隅に落ちていた太めの木の枝を拾い、僕は園内を四角く囲う柵によじ登った。


 そのまま柵を乗り越えて公園の裏の道路に出る。



 珠樹君がスマホを持ってベンチを立つのを確認すると、僕は物音を立てないようにして道路を速足で歩き始めた。


 これからカナやんを助けられるかどうかは僕の剣道のセンスと珠樹君の勇気にかかっている。

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