2019年4月 生化学基本コース
19 気分は男友達
2019年4月1日、月曜日。時刻は朝8時40分。
長いようで短かった3月が終わり、いよいよ2回生としての生活が始まった。
集合時刻よりも早めに大学に着き、年間を通して2回生の講義場所となる講義実習棟2階の第二講堂に入るとそこにはざっと見て60名ほどの学生が集まっていた。
2回生は全部で110名ほどいるので、6割近い学生が始業時刻の20分も前に登校しているのは珍しい光景だった。
春休み明け最初の登校日なのでしばらく会っていない友達連中と話したい学生も多いのだろう。
ちなみに110名「ほど」と表現したのは医学部医学科では留年する学生が多いからで、僕らの学年は入学時に合計114名いたものの1回生から2回生に上がるタイミングで6人も留年していた。
彼らは今年度も1回生をやり直すことになるので新2回生は114-6=108名になるが、2回生から3回生に上がれずに留年する人も例年少なくないので大体110名ぐらいになるだろうという計算だった。
なぜ医学部では留年が多発するかというと、それは現代日本の医学部独特のルールである1科目留年システムによる。
医学部や歯学部、薬学部などと異なり特定の資格職を養成しない学部(文学部や工学部など一般的な大学のイメージ)では単位を落としても落とした数が少なかったり必修科目は受かっていたりすれば留年せずに済む場合が多いらしいが、現代日本の医学部にはそもそも「選択科目」というものがほとんどなく、特に私立大学ではそれが顕著である。
畿内医大は1回生~6回生までのすべての授業が必修科目になっているという極端な例で、1回生の総合教養講座のように「必修科目だが講義の内容はいくつかの候補から選べる」ものはあるがそれ以外は全学生が卒業まで全く同じ授業を受けることになる。
1回生で言えばドイツ語や数理科学といった直接医学に関係ないような科目でもすべて必修科目なので、例えば物理学・化学・生物学や解剖学・組織学・発生学といった医学と関連が深い科目に高得点で合格した学生でもドイツ語の成績が悪かったために留年するということがあり得るのだ。
実際の所、医学と関連が深い科目で高得点を取れる学生(いわゆる秀才)はドイツ語や数理科学でもそれほど悪い点にはならないので「ドイツ語や数理科学のせいで留年してしまう医学生」というのは意外と少ない。
昨年留年した6名にしても僕が知る限りでは医学部に合格した嬉しさで入学後に勉強を怠けたり、部活をいくつもやり過ぎて勉強時間を確保できなくなったり、入学後に医学部に入ったことを後悔して休学してしまったりといった人物ばかりだったので普通に真面目に勉強していて留年することはまずないだろうと思う。
1科目留年システム(全授業必修科目システムと言った方が正しい)は理不尽に感じられるものの、実際には医学生をいじめるためというより医学生にプレッシャーをかけて勉強に駆り立てるための仕組みなのだろう。
初年度から過酷な試練を乗り越えた同級生たちを見渡しつつ、僕は今年度の自分の座席を確保した。
1回生が使う第一講堂と2回生の第二講堂は場所が違うだけで部屋の構造は全く同じなので、僕の昨年度の定位置に相当する座席に行くと案の定空席だった。
3回生になると教室は講義実習棟3階になり部屋の構造もガラリと変わるらしいが、2回生の間は引き続き同じ位置の座席を使うことにした。
この講堂では座席が左・中央・右の3ブロックに分かれており、それぞれのブロックには長い机が並んでいていずれも固定された椅子に5名が並んで座れるようになっている。
僕の座席は左ブロックの前から4列目で5席のうち最も窓側の所だ。
最も講義室から抜け出しやすいのは右ブロックの通路側の座席で、この辺りは入学後すぐに不真面目な感じの人々に占拠されてしまっていた。
僕の座席は右ブロック通路側とは正反対の位置だが教室の最も左端なのでトイレやちょっとした用事で抜け出す分には便利だし、途中で講義を抜けて帰る習慣はないので何も不都合はない。
周囲には比較的真面目な人が集中しているため授業中も騒がしくなく、位置的に先生にも注目されにくいため今では結構気に入っている。
肩掛けのカバンを下ろして机に置くと、机の中央となる2つ隣の席から友達が声をかけてきた。
「よっ白神。春休み何かいいことあったか?」
「久しぶり、林君。実家に帰らなかったからそんなに大したイベントもなかったよ」
ラグビー部所属の彼は
僕がラグビー部の新歓飲み会に行ったのはラグビーに興味があったからではなく単に新歓が運動部の中で最も豪華だと聞いたからだが、彼は高校生の頃からラグビーをやっていたので今では部内でもエースとして活躍している。
二浪かつ高知県の公立高校出身という点で境遇も僕と近く、クラス別授業のグループ(氏名順で2分割)が異なり所属しているクラブも全く別だったにも関わらず彼は同級生の中で最も仲がいい友達だった。
林君は大学受験の頃から英語と生物が得意で僕は数学と化学が得意だったので、1回生の頃は何度か2人で勉強会をやったこともある。
決して秀才タイプではないが病気や怪我以外の理由で授業を欠席するのは見たことがないし、理科や解剖の実習中も分からない所は先生に何回も質問しに行っていた。
その真面目さが評価されているのか、彼は1回生の最後まで再試にかからなかった数少ない学生の一人だった。
体型はごついが高身長で顔も悪くなく、荒っぽく見えて他人には気遣いができる人なので交友関係も広い。医学部内はもちろんラグビー部のマネージャーの皆さん(大抵は併設された看護学部の女子学生)からも人気が高いが、近隣にある私立総合大学の
実のところ医学部におけるリア充というのはいつも女の子をはべらせている線が細いイケメンではなく林君のような学生を指している。
いつも授業を途中で抜けて遊んでいるパリピ的な人々もいるが、彼らは常に留年候補者と見なされるので医学部ではむしろ非リア充という扱いにしかならない。
「そうなのか。少し前に親父さんが亡くなったって言ってたからてっきり白神は松山に帰省してるもんだと思ってた」
「まあ色々あってね。帰ったところでやることもないし、適当に下宿で過ごしてたよ」
昨月から研究医養成コースに移ったことはいちいち言いふらすことでもないし理由を尋ねられても困るので、誰かから伝わるまではわざわざ話題に出さないことにしていた。
「俺はずっと帰省してたけど、妹の高校受験があるから次の冬休みは帰ってくるなって言われた。ずっと先だけどその時は適当に遊ぼうぜ」
「いいね。また下宿にも遊びに来てよ」
林君とはお互いの下宿に遊びに行ったこともあり駅前のカラオケ店にも何度か一緒に行っていた。
これからはあまり金のかかる遊びはできないが、貴重な友人関係は無理のない範囲で維持していこうと思った。
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